ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (9)

  • BLOGOSへの転載をやめた理由について: 極東ブログ

    たまにBLOOGSさんからエントリーの転載を求められることがあって、次の新エントリーが上がった時点で「該当エントリーの転載、OKですよ」ということにしていた。だだ漏れ的に転載するのもなんなので、転載時にはエントリの新旧差を付けていた。 転載を求められるエントリーはBLOGOS編集部から評価を頂いたものだと思うし、どういう基準で評価されるかはわからないでもなかった。 そのうち、これは転載しないほうがいいなと思うエントリは、転載に不向きなような下品なギャグをわざと撒いておいたりもした。極東ブログというブログをそれなりに読んできた人や、それなりに読む価値があると思っていただける人でないとわからないエントリというのもあり、転載に向かない内容もある。その場合には自分なりの配慮をしていたつもりでもあった。口調が下品であることと内容の深みには関係ないが、広く公開される文章というのは逆の関係にあり、内容の

    llill
    llill 2011/08/03
    プル型メディアにおける公開範囲のマネジメントは神経使います...。
  • 福島原発が世界に残すかもしれないひどい遺産: 極東ブログ

    菅首相が昨日、脱原発の方針を目指すとして記者会見を行った。私はリアルタイムに聴いてなくてツイッターで話を知った。それによると「原子力は安全性確保だけでは律するのことできない技術だ」と述べたらしい。呆れた。当にそう発言したのだろうか。NHKの7時のニュースでその記者会見が小ネタ扱いで報道されたので聴いた。たしかにそう発言していた。東京工業大学も情けない卒業生を出したものだな。 最初に自分の立場を明確にしておくと、私は反原発でも原発推進でもない。現状の原発がこのまま推進できないことは明白であり、特に安全性対策と廃棄物処理について大きな変革が必要であるのは論を俟たない。また日の原発をなくすとしても中長期的な問題であり、当面は安全性対策が重視される。であれば、反原発でも原発推進でも中期的な展望に異なる点はない。つまり、現下の問題ではない。菅政権は復興という現下の問題に取り組むべきであって、脱原

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    llill 2011/07/14
    実際問題無理だわー、これ筋悪だわー、ってのが今回得られたとして、それは科学的な知見じゃないんでしょうか
  • ハクティビスト(hacktivist)、「正義」を問うハッカー: 極東ブログ

    ハッカーというと愉快犯的な動機が連想されがちだが、独善的な「正義」を動機とするタイプのハッカーとして「ハクティビスト」が注目されている。7700万人の顧客情報が流出したとされる、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のハッキング事件も欧米では「ハクティビスト」として話題になっていた。 ハッカー(hacker)+活動家(activist)=ハクティビスト(hacktivist) 「ハクティビスト(hacktivist)」は、「ハッカー(hacker)」と「政治的な活動家(activist)」を合わせた新語。政治的な目的意識をもってハッキング活動を行う人やグループを指している。英辞郎には「政治ハッカー」という訳語もあった。 類似の用語「サイバーテロリスト(cyberterrorist)」は破壊という活動に焦点があるが、「ハクティビスト」は意図が注目される。米国外交公電の暴露で注目を

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    llill 2011/06/27
    アノニマスについて言えば、集団(徒党)のようで集団でないらしいのであんま壮大な意図はないかもです。アップルが対象となっていないのも、単純にスマフォよりゲームの方に興味がある年代ゆえの結果かと思います
  • キューブラー・ロス博士の死と死後の生: 極東ブログ

    精神科医エリザベス・キュブラー・ロス(Elisabeth Kubler‐Ross)博士が、米国時間の8月24日午後8時15分(日時間8月25日)アリゾナ州の自宅で死んだ(参照)。享年78歳。彼女は、1999年タイム誌が選んだ20世紀最大の哲学者・思索者100人のうちの一人でもあった。 彼女はもっと早い時期の死を予言していたので、長い読者の一人である私にはある種心の準備が出来ていた。中島らもの死を知った時のような驚きはなかった。また私は彼女の著作を通して、彼女が自身の死をどう捕らえているのかも理解していたつもりなので、その意味では哀悼とはまた違った思いが去来する。なにか書きたいという思いと、奇妙になにも書けない思いが錯綜しているが、やはり書いておこう。 エリザベス・キュブラー・ロス博士は、世界的なベストセラー「死ぬ瞬間」(On Death and Dying)の著者として知られている。19

  • 小沢一郎氏を起訴相当とした検察審査会の議決: 極東ブログ

    昨日の小沢氏を起訴相当とした検察審査会の議決が話題になっている。「市民目線からは許し難い」との報道があり、感覚的な反応かとも思ったが、議決の要旨を見ると、きちんとした議論をしたことが伺われる内容だった。読売新聞記事「小沢民主党幹事長「起訴相当」議決の要旨」(参照)より。今後の推移のための資料になるし、独自の報道ともいえないので、あえて全文引用しておきたい。 小沢一郎・民主党幹事長に対する東京第5検察審査会の議決の要旨は次の通り(敬称略)。 被疑者 小沢一郎 不起訴処分をした検察官 東京地検検事 木村匡良 議決書の作成を補助した審査補助員 弁護士 米沢敏雄 2010年2月4日に検察官がした不起訴処分(嫌疑不十分)の当否に関し、当検察審査会は次の通り議決する。 【議決の趣旨】 不起訴処分は不当であり、起訴を相当とする。 【議決の理由】 第1 被疑事実の要旨 被疑者は、資金管理団体である陸山会の

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    llill 2010/04/28
    "民主主義という権力に歯止めをいかにかけるかという制度" 一瞬、係り係られで混乱
  • 「ゆとり世代」という考え方がわからんな: 極東ブログ

    「ゆとり世代」についてというか、「ゆとり世代について書かれたもの」についてちょっと心が引っかかっているのだが、どうもうまくまとまらない。気にはなっているので、少し書いてみようかと思う。 気になったきっかけは先月の月刊文藝春秋「「ゆとり世代」社員はやはり非常識」(ジャーナリスト山内宏泰)という記事だ。ところで、この山内さんって誰?というか、私は知らない。文春に書いているのだから、なにか単著でもあるのかなと見ると、「彼女たち―Female Photographers Now」(参照)というのがある。ほぉとおもって、著者略歴を見るとこう。 著者について 1972年愛知県生。フリーランスライター。写真をはじめとする美術、都市論、教育問題、人物ルポなど幅広い分野で執筆活動を行う。 主著:『フォトグラファーになるには』(共著・ぺりかん社) 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 山内 宏泰 197

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    llill 2009/04/14
    >>このダメダメな状況を一気に解決する夢のような方法がある、と信じている<< ここから「不幸には必ずどこかに悪がある、と信じている」に繋がるのかな
  • 成人の日に: 極東ブログ

    さっきNHKの「爆笑問題のニッポンの教養 成人の日スペシャル」(参照)という番組を見ていた。爆笑問題(漫才師)、立花隆(評論家・ジャーナリスト)、 糸井重里(コピーライター)、矢口真里(タレント・歌手)という面子。番組は現代らしく、40歳過ぎの面々が一様に、20歳になったからといって大人になったという自覚はなくて、そう思えたのは、40歳過ぎてから、人を雇うにようになってから、子どもができてからみたいな話だった。爆笑問題が二人とも40代半ば、糸井が60歳、立花が68歳で、矢口が25歳ということで、そうだな、俺みたいな50代はなかったが(今年で私は52歳になる)。 話の流れで、糸井さんにお子さんができたのはというのがあって、1981年と聞き、ふーんと思った。33歳くらいにできた子で今27歳くらいになるのだろう。その話はそこでぷつんと切れたが。 番組を見たのは偶然だったが、今日街中で成人式の女性

  • 知人の自殺をきいて: 極東ブログ

    ごく私事といえば私事なのだがなんとなくブログに書いておきたくなった。知人が自殺した。一歳か二歳年上のかただった。パソコン通信時代からの知り合いだった。そのころの知り合いは、私が言わなくてもこのブログのことをは知っているものだが、彼についてははっきりとこのブログを書いていると告げた数少ない人だった。当初は私が珍妙な古代史観をもっていることに興味を引かれたらしくそんな交流をしていたものだった。 あのころの私は今のようにネット上での交友関係から引きこもるふうでもなく、よくオフ会なども出たものだった。でも不思議と奇妙な縁で彼と面識をもつ機会がなく、初めて会ったのはこの夏の終わりだった。そしてそれが最後になった。それから数日して彼は自殺したということになる。 彼とは喫茶店で二時間も尽きぬ話をした。その後の古代史観についても話した。古代史というのは、素人にはトンデモ説花盛りの幻想の領域だし、彼もそこを

  • NHKインサイダー事件でまたモラルとかちと思う: 極東ブログ

    ブログを書かないことが定着しそうなので、近況めいた雑談でも書いておこう。当初、そういう部分の話は別所に書いておき、ブログではある程度再読性のある話(軽いけど季節がら「極東ブログ: チョコレート・フォンデュ」とかもね)、あるいは時代のログのような資料性のある話と思っていた。そういうネタのないときや、あるいはあえて世間やネットの空気に言及したくないときは、書籍のこととか料理のこととか書いてきた。現状、ネタがないわけでもない。手間がないというのはあるかな。自分のなかでのブログも変わってきたかもしれないというのはある。また、時事や世界情勢、経済問題で気になることがないわけではないが、振り返るとそれなりに予言的に言及していてそれほど足すことはないように思える。 じゃということで気分を変えて、このところ気になることと言えば、いわゆるモラルということかな。モラルを持ちなさいという説教めいた話とは少し違う

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