タグ

当事者性に関するlotus3000のブックマーク (6)

  • 利害関係者と当事者 - on the ground

    以下、拙稿『利害関係理論の基礎』第1章第5節2「利害関係者と当事者」(2008年1月)から、ほぼ全文に近い引用。 日語において、当事者という語彙は、利害関係者よりも日常的に用いられる一方で、法律条文や学問研究、社会運動の現場など多様な文脈で用いられている。だが、そうした多様な文脈、多様な領域で共有される当事者という語彙が示す「当事者性」とは何であるのかについての研究は、利害関係についての研究以上に少ない。 しかしながら、それは、これまで「当事者とは誰か」という問いが発せられることが乏しかったからではない。そうした問いは、女性運動や障害者運動など、主に「運動」の現場で盛んに発せられ、真剣に検討されてきたのであり、それが学問研究の場で当事者研究として反映されることが少なかったに過ぎない。近年では、こうした「運動」の歴史と成果を継承しつつ、学問研究の場で改めて当事者について語ろうとする動き、あ

    利害関係者と当事者 - on the ground
  • (5) 【追記】 民族浄化ならぬ、当事者浄化 - Freezing Point

    連続エントリ: 第1回 「《つながりの作法》 としての差別」 第2回 「《不定詞の束としての人格》という考え方」 第3回 「生の様式そのものとしての不定詞 infinitif」 第4回 「差別と批判の見分け方」 第5回 「【追記】 民族浄化ならぬ、当事者浄化」(今回) 【承前】  名詞形の当事者論は、《純粋な○○》 を探し始めます。 「より純粋な○○はどっちか」 の競争になる。*1 しかし動詞形で 《当事化する》 と考えるかぎり、その衝動は起こりません。 多角的な当事化がお互いを調べるのは、あくまで動詞形ミッションとの関係において、 つまり必要な変化との関係においてであって、「固定された性質」を記述するためではない。 名詞形にもとづく倫理は、差別と同じ 左翼系論者が差別をやめられないことと、名詞形「当事者」論は、リンクしています。 彼らは、名詞形の概念枠をやめられないのです。 自分を否定す

    (5) 【追記】 民族浄化ならぬ、当事者浄化 - Freezing Point
  • 笑いを擁護する – sociologbook

    以下は、2011年1月9日に奈良女子大でおこなわれたシンポジウム「社会運動で語ること/伝わること/繋がること」で私が話した内容をもとに書いて、シンポの報告書に掲載してもらった文章です。一部細かい間違いは直しましたが、だいたいそのままです。 このシンポジウムは、奈良女子大の鶴田幸恵さん、名古屋大学の渡辺克典さんたちが中心になって企画されたもので、それぞれ関西の有名な運動家(という言い方が正しいのかどうかいまだにわからないけど)の、土肥いつきさんと上野久美さんのお話を中心にして、それになにかコメントしてくださいということだったので、だいたい以下のようなお話を……するつもりが、土肥さんのトークに引きずられて結局あっちゃこっちゃ脱線し、自分自身のカミングアウトもおりまぜながら、何かようわからん話になっちゃったので、以下に文章をあげときます。 テーマは「関西らしい社会運動について語る」ということだっ

    lotus3000
    lotus3000 2011/09/29
    多分この笑いの中にヘイトスピーチと何かを分けるものがあるのだろう。かと言って言語化すれば趙括の愚もありうるし難しい。
  • 「当事者性vsないものねだり論者」という新しい対立軸 2011/08/29

    佐々木俊尚 @sasakitoshinao 野田さんが首相か。またも「史上最低の宰相」とか「菅の方がまだましだった」とか言い出す人がいっぱい出てくるだろうな。いつまで同じ事を繰り返し続けるんだろう・・。 佐々木俊尚 @sasakitoshinao 震災への対応にしろ、グローバリゼーションとどう向き合うかという問題にしろ、だれもが納得できる解決方法なんてもはや存在しないんだよね。皆すべての責任を政治に押しつけて、ないものねだりし続けてるだけ。

    「当事者性vsないものねだり論者」という新しい対立軸 2011/08/29
  • 正義 と 臨床 - Freezing Point

    『アンチ・オイディプス(上)資主義と分裂症 (河出文庫)』 『千のプラトー 上 ---資主義と分裂症 (河出文庫)』 副題にある「資主義と分裂症」という言葉は、 法哲学・政治思想と精神病理学は、同時に考えざるを得ない 正義と臨床は同じ事業 そういう話でないなら、苦労して読み解く意味がない。 左翼系論者の多くは、「資制と精神医学を批判し、弱者を擁護すればそれが正義」という幼稚な話しかしていない。 論じる自分も関係を生き、《対象的=臨床的》に何かをしてしまっているのに、その実態を分析させず、メタ正義にふんぞり返る。 理論意識を持ちさえすれば、自分の当事者性を棚にあげられると思っている*1。 難しいのは、このモチーフをどう制度的に運営できるか。 「そのつど分析するしかない」というなら、手続きが生まれないで終わる*2。 けっきょく、「普遍化できない分析過程を地道に主張し続けるしかない」とい

    正義 と 臨床 - Freezing Point
  • 環境と臨床 - Freezing Point

    NHKブックス別巻 思想地図 vol.4 特集・想像力 作者: 東浩紀,北田暁大,宇野常寛(編集協力)出版社/メーカー: NHK出版発売日: 2009/11/26メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 81人 クリック: 2,260回この商品を含むブログ (90件) を見るあまり期待せずに、宮崎哲弥氏の座談会を読み始めたら面白くて、けっきょく購入。 まだ読んでいない章もあるが、決定的だと思った箇所から、理解や方針のちがいを整理してみる(以下、強調はすべて引用者)。 中沢新一: ひとつの問題点は、(略) 人間の思考というのは平面を作り出してしまうことの問題性なんだと思います。 思考するときに必ず何らかの平明を作り出してしまう。 (略) 思考し始めるだけではなくて、これを商売とする人たち、なりわいとする人たちが出てくる。 それから、それをひとつの社会組織にまで展開してくる運動が同時に発生して

    環境と臨床 - Freezing Point
  • 1