タグ

ブックマーク / kihamu.hatenadiary.org (42)

  • 政治思想史を学ぶ意義とは何か(実践編) - on the ground

    2006/12/10(日) 17:44:54 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-305.html 普段あまり真面目には読んでいないEU労働法政策雑記帳を改めて見ていると、濱口さんが以前厳しくダメ出しした薬師院仁志『日とフランス 二つの民主主義』とかなり共通する見方で政治的対立軸について語っていることが分かった*1。とりあえず目に付いたところでこのぐらいある。 ネオリベとリベサヨの神聖同盟(特にコメント欄) ザ・ソーシャル リベじゃないサヨクの戦後思想観 リベラルサヨクは福祉国家がお嫌い リベラルとソーシャル 薬師院についても述べたが、何に苛立っているのかは解る。解るし、実践的にはこうやって単純化した切り口を提示した方が良い結果をもたらすのかもしれないとも思う。でも、こういう単純化が、大げさではなく日の戦後思想のかなりの部分をドブに捨てようとして

  • 自由主義と民主主義のお勉強 - on the ground

    2006/10/31(火) 14:32:03 http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-288.html 複数のブログで採り上げられているのを見て、薬師院仁志『日とフランス 二つの民主主義』(光文社新書、2006年)を読んでみた。すると、ページを繰るたびに物凄く違和感を覚える。著者の「自由主義」や「民主主義」についての理解がかなり粗放なためだ。問題意識は理解できるし、具体的記述については首肯できるところもそれなりにあるのだが、政治理論・政治思想史プロパーの人が読んだら言葉を失うのではないかと心配するほどである(私が何プロパーかは不明)。社会学者が書いた新書にすぎないのだから、それほど目くじらを立てるべきじゃないのかもしれないが、よく知らないくせにやけに自信満々な書きぶりが若干ムカつくので、一応基礎的な部分で批判を加えておきたい。 まず「自由だけが民主主義

    自由主義と民主主義のお勉強 - on the ground
  • 利害関係者と当事者 - on the ground

    以下、拙稿『利害関係理論の基礎』第1章第5節2「利害関係者と当事者」(2008年1月)から、ほぼ全文に近い引用。 日語において、当事者という語彙は、利害関係者よりも日常的に用いられる一方で、法律条文や学問研究、社会運動の現場など多様な文脈で用いられている。だが、そうした多様な文脈、多様な領域で共有される当事者という語彙が示す「当事者性」とは何であるのかについての研究は、利害関係についての研究以上に少ない。 しかしながら、それは、これまで「当事者とは誰か」という問いが発せられることが乏しかったからではない。そうした問いは、女性運動や障害者運動など、主に「運動」の現場で盛んに発せられ、真剣に検討されてきたのであり、それが学問研究の場で当事者研究として反映されることが少なかったに過ぎない。近年では、こうした「運動」の歴史と成果を継承しつつ、学問研究の場で改めて当事者について語ろうとする動き、あ

    利害関係者と当事者 - on the ground
  • 賢人政治批判のパラドクス――八代尚宏『新自由主義の復権』 - on the ground

    八代尚宏『新自由主義の復権――日経済はなぜ停滞しているのか』(中公新書、2011年)は、経済財政諮問会議などで活躍した著名な経済学者による政治的パンフレットである。その主たる眼目は、「官から民へ」「民間にできることは民間に」をスローガンとした小泉政権期の一連の改革を擁護し、同じ路線を継承した更なる改革を訴えることにある。 著者によれば、近年しばしば「市場原理主義」と同一視され、小泉改革を貫いたイデオロギーとされる「新自由主義(neo-liberalism)」は、必ずしも市場を万能視するものではない。著者によって現代経済学の標準的立場に等しいものとして位置づけ直されたこの考え方は、「政府の失敗」を強く問題視はするが、市場を健全に機能させるためのルールとしての規制の必要性は認めている。新自由主義は、一部集団の特殊権益など多くの非効率を生む過剰な政府介入を、人々のインセンティブを巧みに刺激する

    賢人政治批判のパラドクス――八代尚宏『新自由主義の復権』 - on the ground
  • 哲学的想像力の滞留――東浩紀『一般意志2.0』 - on the ground

    一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル 作者: 東浩紀出版社/メーカー: 講談社発売日: 2011/11/22メディア: 新書購入: 14人 クリック: 581回この商品を含むブログ (164件) を見る 東浩紀『一般意志2.0−−ルソー、フロイト、グーグル』(講談社、2011年)を強いて言えば、公共哲学のと言えるだろう。表題の通り、書は、グーグルに象徴されるような高度に発達した情報技術環境に刻まれる行動履歴が人々のフロイト的な無意識(当の望み)を統計的に可視化することを通じて、かつてジャン・ジャック・ルソーが『社会契約論』の中で示したような「一般意志」の新たな形態と言えるものが現れ得るのであり、またそうした「一般意志2.0」こそが従来的な政治過程を規律する原理になり得ると主張する。著者は「政治」(過程/イメージ)の刷新を志しているが、考えられているのは、狭い意味での政治にとらわ

    哲学的想像力の滞留――東浩紀『一般意志2.0』 - on the ground
  • リバタリアニズムとは何か - on the ground

    最近、NHKで放送されているマイケル・サンデル氏の講義と、それに並行した宮台真司氏の「解説」によって、リバタリアニズムへの関心が一部で高まっているように見えます(見えるだけかもしれません)。 「【追補しました】リベラリズム・コミュニタリアニズム・リバタリアニズムについてのtwitterまとめです」@MIYADAI.com Blog 「米国におけるリベラリズムとリバタリアニズムのルーツ」@MIYADAI.com Blog 上のように展開されている宮台説を総合的に検討することは私の手に余りますが、サンデル講義や宮台氏のtweetを経由してリバタリアニズムに興味を持った人にやサイトを紹介することぐらいはできますので、以下ではそれをします。 リバタリアニズムの入門書としては、森村進『自由はどこまで可能か』が既に定番になっていると思います。2001年に出たですが、比較的最近にfinalventさ

    リバタリアニズムとは何か - on the ground
  • フランス自由主義の両義的位置――三浦信孝編『自由論の討議空間』 - on the ground

    三浦信孝編『自由論の討議空間――フランス・リベラリズムの系譜』勁草書房、2010年 「フランス自由主義」なる言葉遣いは,聞く人を怪訝にさせるかもしれない.まるでそれは語義矛盾であるかのように,「フランス」と「自由主義」が寄り添って私たちの会話の中に座るのは稀な出来事である.「ドイツ」「ロシア」「日」といった語との距離はそれ自体として測られる必要があるとしても,「自由主義」はいつも「イギリス」と,あるいはやや違った相貌を備えた“Liberalism”として,「アメリカ」の語と同席してきた.対して,「フランス」の語には「自由主義/Liberalism」よりも,「民主主義」や「共和主義」が結び付けられることが常であった. 「フランス・リベラリズムの系譜」を副題に持つ書は,このように祝福されてこなかった交際について,その馴れ初めと道程を,個々の思想家に即して語ろうとする営みの収穫である(200

    フランス自由主義の両義的位置――三浦信孝編『自由論の討議空間』 - on the ground
    lotus3000
    lotus3000 2012/10/17
    フランスの自由主義と共和主義との関係が興味深い。多分この溝は日本のリベラリズムの受容にも大きく影響がありそうだ。
  • 正しいのはオレだ - on the ground

    例えば音楽で世界を変えようとすることは、愚かなことだろうか。「愛と平和」と叫んで暴力を止めようとすることは、馬鹿げているだろうか。気で世界を変えようとしている人は馬鹿と呼ばれても別に何も思わないだろうが、実際のところ馬鹿でもなんでもない。確かに、争いの無い世界を皆で想像すれば争いを無くすことができると考えるのは、社会科学的観点からして認められない見解である。けれども、そう考えることは間違いでも、それを実行しようとすることは社会科学と相容れないわけではない。 もちろん、音楽では世界を変えることはできない。そんなことは、いい大人なら誰でも薄々解っていることだ。でも、世の中には歌う人がいる。音楽に限らず、人に世界を変えることは不可能である。それでも、人はそれをしようとする。そして、それは決して愚かな行為ではない。 なぜか。世界を変えることはできないと解っていて、それでもなお変えようとすることが

    正しいのはオレだ - on the ground
  • マックス・シュティルナーについて - on the ground

    この記事は「ああ、シュティルナー様…。」「『唯一者とその所有』マックス・シュティルナー」「マックス・シュティルナー研究日語文献選集」「シュティルナーは「生き生き」しているか」「シュティルナーとアイロニーについて」「ほんとうにおめでたいのはだれか」「『唯一者とその所有』の訳文について」を素材として加筆・修正を施したものです。 シュティルナーとエゴイズム マックス・シュティルナーは、1844年に『唯一者とその所有』を著して脚光を浴びた哲学者である。哲学史においてはヘーゲル左派における最急進派として言及され、政治思想史的には個人主義的アナーキズムの源流の一つとされることが多い。彼自身は、「エゴイズム」を以て自らの思想的立場を示した。 エゴイズムとは何かについて、私自身の考えとは多少異なるものの、日におけるシュティルナー研究の第一人者である住吉雅美の解説を引いておく(後掲『リバタリアニズム読

    マックス・シュティルナーについて - on the ground
    lotus3000
    lotus3000 2012/06/10
    ニヒリズムはこんぐらいの根性がないとやってけないはずだがね。
  • 震災という不正義と、2つのメタ・ガバナンス - on the ground

    まもなく私たちは、3月11日という日付を再び迎える。去年のその日は、大きな地震と津波があった。人が沢山死んだ。たくさん、たくさん、死んだ。同じ日に原子炉が壊れ、放射性物質が漏れた。私たちの生活は見えない怖れに汚染され、日常性はひしゃげた。 自らの命や愛する人、住まいを喪った人は不運だった。そう言えるだろうか。河野/金(2012)は、不運(misfortune)と不正義(injustice)を区別することの必要を説く。いわゆる天災と人災に対応させれば解りよいこの区別は、ジュディス・シュクラーに従うものである(Shklar 1992)。シュクラー自身が区別しながらも明確な線引きを避けたように、不運と不正義の違いは、それほど明瞭に得られるわけではない。道歩き、石につまづいて転べば、私たちはそれを不運と嘆けばよい。だが、もし私を忌む人がその石を仕込んだのだとすれば、いかにたわいがなくとも、それは不

    震災という不正義と、2つのメタ・ガバナンス - on the ground
    lotus3000
    lotus3000 2012/03/29
  • 民主党の組織と政策 - on the ground

    民主党の組織と政策 作者: 上神貴佳/堤英敬出版社/メーカー: 東洋経済新報社発売日: 2011/09/02メディア: 単行購入: 1人 クリック: 66回この商品を含むブログ (18件) を見る 今夏、書籍としてはほぼ初と言っていい、民主党についての実証的研究が出版された。若手の研究者を中心とする書では、民主党の特徴を予め(1)理念や政策の曖昧さ、(2)政権獲得の追求、(3)組織戦略の不明確性の3つに見定めた上で、その曖昧な組織と政策についての分析を行っている。 1章では、地方議会における民主党所属議員の議席割合が自民・公明・共産各党などと比較して低水準であり続けていることや、党員・サポーター数が自民党の3分の1程度に留まっていることなどから、民主党の地方組織の脆弱さが示される。これは、国会議員を中心として結成されたため、院外の社会的基盤を欠いている同党の性格を現わすものとされる。

    民主党の組織と政策 - on the ground
    lotus3000
    lotus3000 2012/03/29
  • 差別はなぜ許されないか――区別との区別 - on the ground

    「風評被害」の虚飾の下に、差別が拡がっています。差別は昨日今日、生まれたのではありません。レイシズムもセクシズムも、宗教差別も出生地差別も、疾病・障害や能力その他の特徴による差別も、過去から現在まで一貫して存在しているものです。起きたことは、新たな材料が手渡されたというだけです。この事態に私たちができることは、「差別はよくない」とお題目を唱え、お説教をぶつぐらいしかないのでしょうか。 人は差別をするものです。そして多くの人は、自分が差別をしていることを認めたがりません。非難を避けるためには、「これは差別ではなく区別である」などと主張されることがあります。不当な別ではない、と言いたいわけです。 辞書的な意味を言えば、複数の対象をそれぞれ違うものとして分けることが、「区別」と呼ばれます。そして、それら異なるものの間で取り扱いに差を付けること、特に一方をとりわけ不利に扱うような類の差を付けること

    差別はなぜ許されないか――区別との区別 - on the ground
  • 震える思考 - on the ground

    twitterから。 3月11日 余震の不穏さというのは,特筆すべきものがある. posted at 15:20:11 今回の件でustはじめ,ソーシャルメディアの認知度と受け入れ・積極利用が広まるのは確実だろうな.自治体など公共団体のtwitterでの情報発信もますます増えるのだろう.10年ぐらいすると,あれが「〜元年」だった,みたいに言われるのかも. posted at 19:34:21 政局への影響もどう出ることか.都知事選へは,あんまり関係ないかもだけど. posted at 19:38:42 3月12日 暗闇に,絶えざる余震か.精神面も心配になるな. posted at 00:15:44 善意が凄いな.氾濫してる.善意が交錯したり,衝突したり,擦れ違ったり.twitterばかり見ていると,酔いそうになる. posted at 00:40:32 これが社会ですね. posted a

    震える思考 - on the ground
    lotus3000
    lotus3000 2011/10/11
  • 熟議的な熟議と、そうではないもの - on the ground

    日々不勉強を沁み込ませている身では、専門的なことについて何かを言うということははばかられるのですが、しかしそれでも感じたり考えたりしていることを折々に吐き出しておかないと、いつまで経っても何も言えないことになるので、最近細切れに書き付けていることなどをラフにまとめておきます。お題は「熟議」です。 松浦正浩([twitter:@mmatsuura])さんは、社会的合意形成を導く営みとしての「交渉」と「熟議」を、それぞれ次のように特徴付けています。すなわち、交渉が「各当事者の価値観や利害関心は不変であることを前提に、それぞれの利害関心を満足させる最適解」を模索する点で「利害調整に主眼」を置くものであるのに対して、「利害関係に縛られない自由な対話」を通じて「公共的な価値観を創生していくこと」を重視するのが熟議的デモクラシー(deliberative democracy)である、と(松浦 [201

    熟議的な熟議と、そうではないもの - on the ground
    lotus3000
    lotus3000 2011/10/11
  • 機能美について - on the ground

    批評という営みについて私はよく知らないが、ある作品を批評してその価値を測るときの基準としては、まず(1)現実との結び付き(アクチュアリティ)と、それから、(2)何らかの可能性についての展望、ヴィジョンを与えてくれるようなインスピレーション、こうした尺度があるのかな、と思う。これらはそれぞれ、現状についての認識と、未来へ向けた処方箋に対応する。批評する者は多分、作品にこれらがどのような形で内在しているかを問うのであろう。 しかし、私たちがある作品を享受するにあたって心を動かされる創造性や、浴びせられるエナジーというものは、そのような現実や未来についての含意を汲み取れるような部類のものには限られないのではないか。例えばある娯楽作品がエンターテインメントに徹している、そのことが素晴らしい、と評価するなら。何も新しくないし、とりたててメッセージと言えるようなものもない。だが、とにかく面白くて、楽し

    機能美について - on the ground
    lotus3000
    lotus3000 2011/10/11
  • 政治的なものと公共的なもの――権力と期待 - on the ground

    政治的であることと非政治的であること われわれの出発点を何処に置こう。「個人的なことは政治的である!」――よろしい。では、個人的なことの全てが政治的であるか? あるいは然り、あるいは否。「全てがそう、とは言わないまでも、全てが政治的にはなりうる」――結構。区別は質的ではない。とはいえ、非政治的であるという意味で純粋個人的なものごともまた、「ありうる」わけだ。 ところで、非政治的なものごとは、政治学の対象たりうるか? たりえない――ならば、政治学は純粋個人的(私秘的?)なものごとに無関心である。そう言ってよい。政治学が個人的なものごとに関心を払うのは、そこに何らかの形で政治性――ある対象を非政治的と断ずる振る舞いも含めたそれ――が宿っていると認める限りである。 ところで個人的であること、――これは私的なことと言い換えて差し支えなかろうか? 両者の重なりは明らかでない・が、ここでは同じと見な

    政治的なものと公共的なもの――権力と期待 - on the ground
    lotus3000
    lotus3000 2011/10/10
  • かかわりあいの政治学8――「チーム」はなぜ愛されるのか - on the ground

    野球やサッカーなどのプロスポーツを愛好する人々には、決まって「ひいき」にしているチームがあるものだ。プロ野球であれば阪神タイガース、Jリーグであれば浦和レッズが、それぞれ熱烈なファン(サポーター)を多く持つことで有名だろう。こうしたファンの中には、子供の頃から何十年もの間にわたり、一貫して同じチームを愛し・応援し続ける人がかなりの割合で存在する。 だが、素朴な疑問がある。年月とともに各チームの選手やスタッフは入れ替わり、チームの戦術やプレイスタイルも全く同じではいられないだろう。チームのユニフォームや拠とする競技場、スポンサー、場合によってはチーム名さえも、変わってしまうことがあるかもしれない。すると、そうした変化にもかかわらず同じチームを愛し続けるファンたちは、一体そのチームの何を愛しているのだろうか? 実際、こうした変化に伴って、自覚的にファンをやめたり、なんとなく熱心には応援しなく

    かかわりあいの政治学8――「チーム」はなぜ愛されるのか - on the ground
    lotus3000
    lotus3000 2011/10/09
  • 左派ナショナリストへの疑問 - on the ground

    塩川伸明『民族とネイション』を読了。広範囲に目配りの利いた良書だとは思いますが、全体的に広く浅くという印象で、ほとんど刺激は受けませんでした。著者が専門とする地域での掘り下げがさしてあるわけでもないので、一番有用なのは巻末のブックガイドかなという気がします。要するに教科書的なのですが、導入書としては敷居が微妙だし、民族問題やナショナリズムについて最初に読むべき数冊の中に入れるには押し出しが弱い。いや、内容にケチをつけているわけではないのですが。 ネーションやナショナリズムについては「現代日社会研究のための覚え書き――ネーション/国家」で考えをまとめたということもあり、自分として書くことは特別無いのですが、以下に引く濱口先生の議論について少し。 さて、特集の方ですが、高橋=萱野対談が、ナショナリズムを否定するのなら、国内で格差なんて言っても意味がないというテーマを取り上げていて、なかなか面

    左派ナショナリストへの疑問 - on the ground
    lotus3000
    lotus3000 2011/10/09
  • 世界を変えることはできますか?――社会科学的説教ないし説教的社会科学入門 - on the ground

    10代の少年少女にふと、「世界を変えることはできますか?」と尋ねられたとして、私ならどう答えるか――。 「できるかできないを訊くな。今の君には、そんなことを考える必要は無い。 当に世界を変えたいなら、まず何をどう変えたいのかを考えることだ。何でそう思うのかをハッキリさせろ。 その次に、どうやったら変えられるのかを考えろ。そして、それを知るために勉強しなさい。」 もちろん、「できない」と答えてもいい。しかし、それは必ずしも正確な答えではないし、その答えで納得して引き下がるような相手なら、最初から答える価値も無い。誰かに「できない」と教わったら変えようともしない人間は、別に気で変えたいとも思っていないということだ。そんな奴、真剣に相手にするだけ時間の無駄である。 世界を変えることはできない。変えることができるのは、自分だけだ*1。私たちにできるのは、自分の変化や行動を通じて世界に働きかけ、

    世界を変えることはできますか?――社会科学的説教ないし説教的社会科学入門 - on the ground
    lotus3000
    lotus3000 2011/07/16
  • 熟議批判の嘘と本当 - on the ground

    池田信夫氏のブログは普段読まないのですが、さる人に記事を紹介されたので以下を読みました。せっかくなので、簡単にコメントをしておきます。 熟議という「便利な嘘」 - 池田信夫blog http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51491223.html 話題になっているdeliberative democracyですが、その流行は別に90年代の欧州に限ったことではなく、米国その他でも未だに議論は盛んです(例えば、重要な理論家の1人であるJohn Dryzekは、オーストラリア国立大学に勤めています)。ハーバーマスの理論が現在の議論の重要な源泉の1つを提供していることは確かですが、今では彼に限らず様々な論者が議論に参入しているので、deliberative democracyをハーバーマスに代表させて一括りに批判するのは的外れです。熟議論は理性への信頼が克

    熟議批判の嘘と本当 - on the ground