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1984年に関するlotus3000のブックマーク (6)

  • 荒武タミ師匠との思い出 1984

  • 岡崎次郎はどこへ消えたのか - 遠方からの手紙:楽天ブログ

    2007.10.01 岡崎次郎はどこへ消えたのか (4) カテゴリ:雑感 岡崎次郎といえば、国民文庫版の 『資論』 の翻訳者であり、『マルクス・エンゲルス全集』 でも多数の翻訳を行っている労農派系の経済学者である。向坂逸郎の名前で岩波文庫から出ている 『資論』 も、実際には下訳者であった岡崎の翻訳がほとんどそのまま採用されているのだそうだ。 その岡崎次郎については、出生は1904年6月29日と明確であるにもかかわらず、死亡の日時は1984年ごろというだけで、なぜか明確ではない。これは、どういうことだろうか。 Wikipedia には、彼について次のような記述がある。 1983年に青土社から出版した 『マルクスに凭れて六十年 自嘲生涯記』 という自伝で向坂を批判。書を友人・知人らに献し、さりげなく別れの会を持った岡崎は、「これから西の方へ行く」 という言葉を残して、80歳となった翌1

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    lotus3000
    lotus3000 2012/10/26
    呉智英経由で知ったんだよな。この人のこと。
  • 新自由主義批判の書としても読めるジョージ・オーウェル『一九八四年』 - kojitakenの日記

    ジョージ・オーウェル『一九八四年』を28年ぶりに再読 - kojitakenの日記 の続き。 一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫) 作者: ジョージ・オーウェル,高橋和久出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2009/07/18メディア: ペーパーバック購入: 38人 クリック: 329回この商品を含むブログ (350件) を見る ジョージ・オーウェルの『1984年』を初めて読んだ1984年当時は、冷戦時代の末期だった。この小説アメリカで反共プロパガンダに利用されていることは知っていたので、そういう色眼鏡で読んだのは確かだ。 当時を覚えている私が隔世の感を抱くのは、今や『1984年』を右翼が「反共」の観点からこの小説を引用する機会がぐんと減ったことだ。代わって、「左」側からの全体主義批判に援用される機会が増えているように思われる。 一例として、今年3月16日の『しんぶん赤旗』のコ

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  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

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  • 「全体主義」というユートピア――伊藤計劃『ハーモニー』(早川書房、2009年) - 一酔人経綸問答

    ・伊藤計劃『ハーモニー』(早川書房、2009年)が今年度の日SF大賞に選出された。非常に喜ばしいことであるが、同時にこの優れた作家さんが既に今年の3月に亡くなってしまったことが残念でならない。私見では『ハーモニー』が優れている点は、オーウェル『1984年』や、ハクスレー『すばらしき新世界』の所謂アンチ・ユートピア(ディストピア)のモチーフを用いながらも、オーウェルやハクスレーで曖昧にされた問いを先鋭化したことにあるように思う。その問いとは「人は全体主義の社会でも幸福に生きていけるのではないか」というものに他ならない。 ・『ハーモニー』の世界は、ほとんどの「病気」が駆逐された超-福祉社会である。WatchMeと呼ばれる恒常的体内監視システムによって、個人のカラダが常に健康であるように保たれ、病気は即座に除去される。地域の医療崩壊やインフルエンザに震える現代社会からすると夢のような社会だが、

    「全体主義」というユートピア――伊藤計劃『ハーモニー』(早川書房、2009年) - 一酔人経綸問答
  • ひたすら「順応」はまずいとしても、それでも「適応」は大切では? - シロクマの屑籠

    http://diamond.jp/series/izumiya02/10005/ インターネット上で、「適応」について批判的な文章を発見した。上記リンク先では、封建的な企業や偏狭な独裁者に「適応」することを例示しながら、「適応」とは「麻痺」ではないかという見方がしめされている。そして、詩人の歌を引用しつつ「適応という名の麻痺」からの決別を礼賛している。 しかし、それはそれで随分と偏ったビジョンなんじゃないだろうか。 違和感を覚えたので、自分なりに「適応」や「適応障害」について考えていることを書いてみようと思う。 「適応」が問題なのではなく「順応」や「過剰適応」が問題ではないのか まず、リンク先の「適応」のニュアンスに注意を払っておきたい。 「適応」とは、外的環境に対して自分を変化させて、うまく合わせられるようになることを指します。しかし、その際に自分の内部に起こる変化とは、どんな内容なの

    ひたすら「順応」はまずいとしても、それでも「適応」は大切では? - シロクマの屑籠
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