民主党の枝野が「集団的自衛権が容認されたら亡命する」と言ったらしいが、どこに亡命するのか教えてほしい。世界に集団的自衛権を容認しない国はあるのか? それとも国民が自衛のために戦っている時に、自分一人が助かりたいのか!
![百田尚樹 on Twitter: "民主党の枝野が「集団的自衛権が容認されたら亡命する」と言ったらしいが、どこに亡命するのか教えてほしい。世界に集団的自衛権を容認しない国はあるのか? それとも国民が自衛のために戦っている時に、自分一人が助かりたいのか!"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f1578482f1aa1b1d73e06cc3b003d80cac7d2313/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F817531659763335169%2Fz_J71aHJ.jpg)
2014年11月03日 東京大行進。私が、反ヘイトデモに参加した理由、と、結果、というより途中経過。 「差別」に関して、元々、私の思考のなかで大きな位置を占めているものではなかった。「差別は、よくない。当たり前でしょ」という程度の認識。ネットをしていると、おぞましく醜悪なレイシストに出会うことも多いが、ある割合で、そのような「モノ」が混じっているのは、わかっていたし、関わらなければいい、というような気持ちだっただろうか。 それが大きく変わって来たのは、どこか、ということで記憶の糸をたぐり寄せていったとき、見えてきたのはFacebookだった。 --------------------------- Facebookをはじめて、何十人かの「友達」ができたとき、驚いたのは、ごく普通に民族差別的な言葉が飛び交っていることだった。領土問題や国際スポーツなどのニュースを引いて、その政府のみならず、国
それは、安倍首相に対して発せられたとしか思えないものだった。10月20日の誕生日を前にした文書コメントで、美智子皇后が「来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい」という質問に、こう答えたのだ。 「私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います」 実はこの皇后発言の2ヶ月前、安倍首相がA級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを送っていたことが報道されていた。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭
詳細は文中で語られている通りです。 サッカー場で投げ込まれるバナナや、女性の姿かたちをしたロボットが持つ箒、などもそうなのでしょうが、個別の「モノ」にいろいろとイメージが込められていることもあり、またそれが国によって違うので、トラブルの元になったりします。 差別問題ではまた「当事者の意図は関係ない、受け手がどう感じるかだ」といった主張もあり、いろいろ難しいものです。
都議会でのセクハラ発言が世間を賑わしているが、それを受けて「美しきニッポンの本音」という記事において、なぜそのような下劣なヤジが飛び交ったのか、あるいは他の議員がそれを許容するような空気を生み出してしまったのかということについての考察が行われている。その記事によると、そのような下劣なヤジが飛び交ったのは、議員の間にはびこっている本音主義によるものだということらしい。非常に鋭い考察であるので、まだコラムを読んでない方は是非目を通してもらいたい。 その上で、本音主義の政治家が何故大衆にウケるのかということについて、ひとつの考察を加えようと思う。 本音を言う"人"が信用されるのは何故かコラムの核心に迫る部分を引用する。 善悪や正邪とは別に、「本音」と「建前」という座標軸が現れた時、無条件に「本音」を神聖視する考え方が力を持つに至る。 と、ここにおいて、 「露悪的な人間ほど信用できる」 という倒錯
○吉田徹『感情の政治学』(講談社選書メチエ) 講談社 2014.7 政治学は社会科学の一分野である。「科学」というからには、どんな問題でも、十分に合理的に考え、捉えることができれば、適切な「解」を見出すことができるという確信が前提になっている。しかし、現実はさほど単純ではない。ということで、例にあがっているのが(嬉しいことにw)『スタートレック』シリーズ。理知的で合理的なスポック博士の指摘が、必ずしも正しい結果をもたらすとは限らない。さまざまな情報が飛び交い、主張や意見の行き違いが生じ、妬みや恨みも生まれる中で、限られた時間内で乗組員の感情を機敏に把握し、説得や懐柔という手段を通じて、船内の調和を図っていくのは、むしろ直感に優れた直情型のカーク船長の得意とするところ。それこそが政治である、って、たいへん分かりやすい比喩だ。 「私たちは、一人一人が合理的に正しく考え、行動すれば世の中は良いも
はじめに 8月5日、6日にかけて朝日新聞が「慰安婦報道特集」を掲載し、そこで故吉田清二氏の証言が虚偽であったとし、記事を取り消したことを受け、あたかも日本軍性奴隷制そのものがなかったかのような修正主義がこの間、特に猛威をふるっている。修正主義そのものは日本には従来より根強くあったものであるものの、その勢いの激しさには率直に危機感を強くせざるを得ない。そしてもう一つ気になることは、一方ではこの修正主義が吹き荒れるさなかにおいて、他方ではヘイトスピーチ規制論が盛んになっていることである。いや、修正主義者とヘイト規制推進派が激しく火花を散らしているというのなら納得もいくが、どうもそうでないから気になる。なぜ、自民党がヘイト対策PTなどおいているのか?なぜ橋下徹が桜井誠と面談したりしているのか?こういう状況は本来意味不明であるべきだ。「仲良くしようぜ」くらいに、自分をしばかない野間さんくらいに意味
(前編より続く) 日本は反知性主義の時代に突入した。路上では排外主義的デモや人種差別が繰り広げられ、インターネットではネット右翼たちが跋扈している。政治家はこれを利用し、自らの都合のいいように歴史の修正をもくろむ。そして、これらに対抗する言論はまだまだ主導権を握ることができていない。なぜなのか。 社会学者・宮台真司は言う──連中に理屈を説いてもムダ、と。この愚昧さが筒抜けの社会をひも解く鍵は〈感情の劣化〉にあるという。感情のるつぼと化した政治、ネット、ヘイトの深層を〈大衆〉という観点から分析する宮台。インタビュー後編をお届けする。 ……………………………………………… ──近著『これが沖縄の生きる道』で、内地と沖縄における〈我々〉意識の違いを論じていますね。そのなかで“感情”という概念を頻繁に用いつつ、ネット右翼たちへの言及もあります。とりわけ宮台さんが問題にする〈感情の劣化〉ついて詳しく
佐々木倫子さんのマンガ『動物のお医者さん』には、菱沼さんという女性が登場する。 手元にないので記憶に頼って書くが、彼女は実用的な細菌を発見するのに長けており、発見が商品化されたこともあるのだという。そのために彼女をライバル視する大学院生もいるほどだ。だが、作中の説明によると発見した細菌が実用的かどうかは多分に運の問題なのだという。もちろん、運を発見に変えるためには、研究者としての実力が必要なのだとは思うけれども。 それに対して、人文社会科学はどうだろうか。史学系だと重要な史料を発見できるかどうかで運に関係しそうな部分もありそうだが、運があるかないかということはそれほど話題にならない気がする。運に関係なく、優れた研究者は優れていて、駄目な研究者はやっぱり駄目という感じではないだろうか。 実際、運ということに関して次のようなブログのエントリがある。 『朝日新聞』天声人語は、なんて偏差値が低いの
池上彰さんのコラムが『朝日新聞』にいったんは掲載を拒否されたことをめぐって、同紙の記者の多くが社の方針にツイッター上で反対を表明したことが話題を呼んだ。 ぼく自身はこの動きを好意的に見ていたのだが、批判も少なくない。やらせじゃないのか、自分の会社のことなのに他人事のようだといった批判から、ネット上で社員が会社の方針に反対を表明するなんて企業としてのガバナンスがなっていないというも見受けられる。 ここで考えたいのは、この最後の批判についてだ。たしかに社論の統一や企業ガバナンスを重視するなら、ネット上での記者による実名での意見表明を認めないという方向性もあるだろう。ツイッターが「バカ発見機」とも呼ばれることに示されるように、思わぬトラブルの原因になる可能性もある。実際、どことは言わないが、実名でのSNSの利用を記者に認めていないメディアもあるように思う。 しかし、様々なリスク要因があるとはいえ
[teleSUR による] 10月26日、メキシコ、ゲレロ州(南西部)イグアラ市におけるアジョティナパ教育学校生43人が行方不明となって1か月がたった。 学生の行方不明は9月26日に起きた。学生たちの抗議行動が各種治安部隊との衝突ののち終わろうとしているときであった。教育大生たちは、良く知られているように、地方政府が職の配分で都市部の学校を優遇するという差別にたいして抗議をおこなっていた。 テレスルは事件がどのように推移したかを日誌として提供する。 9月26日 大学生たちはポストの配分においてゲレロ政府が都市の学校を優遇するという差別を被ってきたことにたいして抗議行動をおこなった。教育大生がバスに乗り込もうとしているところを、治安要員はバスにたいして銃を発砲しながら襲いかかった。これにより6人が死亡、25人が負傷、43人の学生が行方不明となった。 9月27日 メキシコ人権問題全国委員会(C
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