ジョン・サーティースと会話する中村良夫(左の人物)、1968年オランダGPにて 中村 良夫(なかむら よしお、1918年9月8日[1] - 1994年12月3日[1])は、本田技研工業(ホンダ)のエンジン技術者で、元ホンダF1チームの監督。山口県下関市入江町出身[2]。 生涯[編集] 山口中学校、山口高等学校を経て、1940年4月に東京帝国大学工学部航空学科(原動機專修)入学、1942年9月繰り上げ卒業。同年中島飛行機(富士重工業「スバル」の前身の一つ)に入社、航空エンジン開発部門のエンジニアを務め、同時に帝国陸軍の航技中尉(技術中尉)として陸軍航空技術研究所や陸軍航空審査部に属し、超大型重爆撃機「富嶽」や ジェット戦闘襲撃機キ201「火龍」などの開発に携わる。 敗戦後、1950年オート三輪メーカーの日本内燃機製造(後の東急くろがね工業、現・日産工機)に転職。その後くろがねが経営危機に陥っ