ブックマーク / bonjin5963.hatenablog.com (736)

  • 天飛ぶや鳥にもがもや・・・巻第5-876~879 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 876 天(あま)飛ぶや鳥にもがもや都まで送りまをして飛び帰るもの 877 人もねのうらぶれ居(を)るに龍田山(たつたやま)御馬(みま)近づかば忘らしなむか 878 言ひつつも後(のち)こそ知らめとのしくも寂(さぶ)しけめやも君いまさずして 879 万代(よろづよ)にいましたまひて天(あめ)の下(した)奏(まを)したまはね朝廷(みかど)去らずて 要旨 >>> 〈876〉空飛ぶ鳥になれたなら、都までお送り申し上げて、飛んで帰ってこれますものを。 〈877〉私たち一同ががっかりしていますのに、龍田山にお馬がさしかかる頃には、私たちのことをお忘れになってしまわれるのでしょうか。 〈878〉お別れの寂しさを今は口先であれこれ申していますが、後になって当に思い知らされるのでしょう、貴方様がいらっしゃらなくなったら。 〈879〉万年もご健勝でいらして、天下の政(まつりごと)をご立派に司

    天飛ぶや鳥にもがもや・・・巻第5-876~879 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/08/06
  • 我妹子と見つつ偲はむ・・・巻第7-1247~1250 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1247 大汝(おほなむち)少御神(すくなみかみ)の作らしし妹背(いもせ)の山を見らくしよしも 1248 我妹子(わぎもこ)と見つつ偲(しの)はむ沖つ藻(も)の花咲きたらば我(わ)れに告げこそ 1249 君がため浮沼(うきぬ)の池の菱(ひし)摘(つ)むと我(わ)が染めし袖(そで)濡(ぬ)れにけるかも 1250 妹(いも)がため菅(すが)の実(み)摘(つ)みに行きし我(わ)れ山道(やまぢ)に惑(まと)ひこの日暮らしつ 要旨 >>> 〈1247〉大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)がお作りになった妹と背の山、この山は見るからに素晴らしい。 〈1248〉とみなして偲ぼうと思うので、沖の藻の花が咲いたら、どうか私に知らせてほしい。 〈1249〉あなたに差し上げるために、浮沼の池の菱の実を摘み採ろうとして、私が染めて作った着物の袖が濡れてしまいました。

    我妹子と見つつ偲はむ・・・巻第7-1247~1250 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/08/05
  • 音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が・・・巻第5-883 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 音(おと)に聞き目にはいまだ見ず佐用姫(さよひめ)が領布(ひれ)振りきとふ君(きみ)松浦山(まつらやま) 要旨 >>> 噂には聞いて目にはまだ見たことがない、佐用姫が領布を振ったという、君待つと言う名の松浦山は。 鑑賞 >>> 三島王(みしまのおおきみ)が、後に大伴旅人の松浦佐用姫の歌に追和した歌。三島王は、天武天皇の孫で、舎人皇子(とねりのみこ)の子。この歌は、帰京した旅人から披露された歌(871~875)に和したもののようです。「君松浦山」は、君を待つ意を同音の「松」に続けた序詞の形になっています。 ランキング参加中知識 ランキング参加中歴史

    音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が・・・巻第5-883 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/08/04
  • 石見の海津の浦をなみ・・・巻第2-138~139 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 138 石見(いはみ)の海(うみ) 津(つ)の浦(うら)をなみ 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)とり 海辺(うみへ)をさして 和田津(にきたつ)の 荒磯(ありそ)の上(うへ)に か青(あを)く生(お)ふる 玉藻(たまも)沖つ藻 明け来れば 波こそ来(き)寄れ 夕(ゆふ)されば 風こそ来寄れ 波のむた か寄りかく寄る 玉藻なす 靡(なび)き我(わ)が寝し しきたへの 妹(いも)が手 (たもと)を 露霜(つゆしも)の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)に 里(さと)離(さか)り来(き)ぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ はしきやし 我がの児(こ)が 夏草(なつくさ)の 思ひしなえて 嘆くらむ 角(つの)の里見む 靡けこの山

    石見の海津の浦をなみ・・・巻第2-138~139 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/08/01
  • つのさはふ石見の海の・・・巻第2-135~137 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 135 つのさはふ 石見(いはみ)の海の 言さへく 唐(から)の崎なる 海石(いくり)にぞ 深海松(ふかみる)生(お)ふる 荒礒(ありそ)にぞ 玉藻(たまも)は生ふる 玉藻なす 靡(なび)き寝し子を 深海松の 深めて思へど さ寝し夜(よ)は 幾(いく)だもあらず 延(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば 肝(きも)向ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船の 渡(わたり)の山の 黄葉(もみちば)の 散りの乱(まが)ひに 妹が袖 さやにも見えず ごもる 屋上(やかみ)の [一に云ふ 室上山] 山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 天伝ふ 入日さしぬれ 大夫(ますらを)と 思へる我(わ)れも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖(そで)は 通りて濡れぬ 136 青駒(あをこま)が足掻(あが)きを速み雲居(くもゐ)にぞ妹(いも)があたりを過ぎて来にける 137 秋山に落つる

    つのさはふ石見の海の・・・巻第2-135~137 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/31
  • 【為ご参考】『万葉集』の年表 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    629年 舒明天皇が即位 古代万葉を除く万葉時代の始まり 630年 第1回遣唐使 645年 大化の改新 652年 班田収授法を制定 658年 有馬皇子が謀反 660年 唐・新羅連合軍が百済を滅ぼす 663年 白村江の戦いで敗退 664年 大宰府を設置。防人を置く 667年 大津宮に都を遷す 668年 中大兄皇子が即位、天智天皇となる 670年 「庚午年籍」を作成 671年 藤原鎌足が死去 天智天皇崩御 672年 壬申の乱 勝利した大海人皇子が即位、天武天皇となる 680年 柿人麻呂歌集の七夕歌 681年 草壁皇子が皇太子に 686年 天武天皇崩御 大津皇子の変 689年 草壁皇子が薨去 690年 持統天皇が即位 694年 持統天皇が藤原京に都を遷す 701年 大宝律令の制定 708年 和同開珎鋳造 このころ柿 人麻呂死去か 710年 平城京に都を遷す 712年 『古事記』ができる 71

    【為ご参考】『万葉集』の年表 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/30
  • 大伴旅人の「酒を讃える歌」・・・巻第3-342ほか - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 342 言はむすべ為(せ)むすべ知らず極(きは)まりて貴(たふと)きものは酒にしあるらし 346 夜(よる)光る玉といふとも酒飲みて心を遣(や)るにあに及(し)かめやも 347 世間(よのなか)の遊びの道に冷(すず)しくは酔(ゑ)ひ泣きするにあるべくあるらし 350 黙然(もだ)居(を)りて賢(さか)しらするは酒飲みて酔(ゑ)ひ泣きするになほ如(し)かずけり 要旨 >>> 〈342〉言いようもなく、なすすべもないほどに、無上に貴いものは酒であるらしい。 〈346〉たとえ夜光る玉であっても、酒を飲んで憂さを晴らすことにかなうものはない。 〈347〉世の中のさまざまな風雅の道に心楽しむことができないのなら、酒に酔い泣きするのがよいように思う。 〈350〉黙りこくって分別のある顔をしているのも、酒を飲んで酔い泣きするのにはやはり及ばないことだ。 鑑賞 >>> 「大宰帥大伴旅人卿の酒

    大伴旅人の「酒を讃える歌」・・・巻第3-342ほか - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/29
  • わが行きは久にはあらじ・・・巻第3-335 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> わが行きは久(ひさ)にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵(ふち)にあらぬかも 要旨 >>> 私が筑紫に行く期間は長くはないだろう。吉野の夢のわだは、瀬に変ることなく、帰ってきたときも淵であってほしいものだ。 鑑賞 >>> 大伴旅人の歌。大宰府に赴任する直前の歌とされます。大宰帥は任期の定まった官だったことから、それほど長い赴任ではないだろうと推測しています。「夢のわだ」は、奈良県吉野町の宮滝付近の淵の名で、離宮のやや上流あたりから川が大きく湾曲し、底が深くなっている所。流れが緩やかになるので、船を浮かべて遊覧でき、夢心地になるところから名付けられたようです。いつか必ず再訪するので、昔通りの姿で待っていてほしいと言っています。 大伴旅人の略年譜 710年 元明天皇の朝賀に際し、左将軍として朱雀大路を行進 711年 正五位上から従四位下に 715年 従四位上・中務卿に 718年 中

    わが行きは久にはあらじ・・・巻第3-335 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/28
  • 東歌(40)・・・巻第14-3504~3506 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3504 春へ咲く藤(ふぢ)の末葉(うらば)のうら安(やす)にさ寝(ぬ)る夜(よ)ぞなき子ろをし思(も)へば 3505 うちひさつ宮の瀬川(せがは)のかほ花(ばな)の恋ひてか寝(ぬ)らむ昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も 3506 新室(にひむろ)のこどきに至ればはだすすき穂に出(で)し君が見えぬこのころ 要旨 >>> 〈3504〉春のころ、垂れ下がる藤の末葉のように、うらうらと心安らかに眠る夜もない、あの子のことを思うと。 〈3505〉宮の瀬川に咲くかお花のように、は私を恋しく思って一人さびしく寝ていることだろう、昨夜も今夜も。 〈3506〉蚕の部屋にこもって忙しく作業する時期になったのか、私を好きだと言ったあの人がお見えにならないこのごろ。 鑑賞 >>> 3504の「春へ」は春のころ。「末葉」は、枝先の葉。上2句は「うら安」を導く序詞。「うら安」は、心安らかなこと。 350

    東歌(40)・・・巻第14-3504~3506 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/27
  • 東歌(39)・・・巻第14-3501~3503 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3501 安波峰(あはを)ろの峰(を)ろ田に生(お)はるたはみづら引かばぬるぬる我(あ)を言(こと)な絶え 3502 我(わ)が目(めづま)人は放(さ)くれど朝顔(あさがほ)のとしさへこごと我(わ)は離(さか)るがへ 3503 安齊可潟(あせかがた)潮干(しほひ)のゆたに思へらばうけらが花の色に出(で)めやも 要旨 >>> 〈3501〉安波の岡の山田に生えるタワミズラのように、引き寄せたらすなおに靡き寄ってきて、私との仲を絶やさないでほしい。 〈3502〉私の愛しいを、人は割こうとするが、朝顔のとしさえこごと、私は決して離れるものか。 〈3503〉安齊可潟の潮がゆったり引いていくように、のんびりした気分で思っているなら、どうしておけらの花のように顔に出したりしようか。 鑑賞 >>> 3501の「安波」は地名、千葉県の安房か。上3句は「たはみづら」を導く序詞「たはみづら」は

    東歌(39)・・・巻第14-3501~3503 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/26
  • 相見ぬは幾久さにもあらなくに・・・巻第4-666~667 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 666 相(あひ)見ぬは幾久(いくひさ)さにもあらなくにここだく我(わ)れは恋ひつつもあるか 667 恋ひ恋ひて逢ひたるものを月しあれば夜は隠(こも)るらむしましはあり待て 要旨 >>> 〈666〉お互いに顔を合せなかったのはそんなに長い間でもなかったのに、なぜこんなにもしきりにあなたのことが恋しいのでしょう。 〈667〉ずっと恋い続けてやっとお逢いできたのです、まだ月が残っているので、夜の闇は深いでしょう、しばらくこのままでいましょうよ。 鑑賞 >>> 大伴坂上郎女の歌。この歌の前に、安倍朝臣虫麻呂(あべのあそみむしまろ)の「向ひ居て見れども飽かぬ我妹子に立ち別れ行かむたづき知らずも」(向かい合っていくら見ても見飽きることのないあなたと、どうして別れられましょう)という歌があり(665)、ここの歌はこれに答えたものです。また、左注に「郎女の母、石川内命婦(ないみょうぶ)と、

    相見ぬは幾久さにもあらなくに・・・巻第4-666~667 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/20
  • 奥山の岩本菅を・・・巻第3-397 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 奥山(おくやま)の岩菅(いはもとすげ)を根(ね)深めて結びし心忘れかねつも 要旨 >>> 山奥の岩かげに生えている菅草の根のように、ねんごろに契り合ったあの時の気持ちは、忘れようにも忘れられません。 鑑賞 >>> 笠郎女が大伴家持に贈った歌。「岩菅」は岩のに生えている菅。笠などにする湿地の菅とは異なり、山地に生える山菅(ヤブランともいう)のこと。「奥山の岩菅を根深めて」は、家持に対する深い恋情を具象的に言ったもので、比喩に近い序詞。窪田空穂は、「気分だけをいったものであるが、技巧の力によって、軽くなりやすいものを重からしめているもので、才情を思わしめる歌である」と述べています。 笠郎女は、大伴家持が若かったころの愛人の一人で、宮廷歌人・笠金村の縁者かともいわれますが、生没年も未詳です。金村はそれほど地位の高い官人ではなかったため、郎女も低い身分で宮廷に仕えていたのでし

    奥山の岩本菅を・・・巻第3-397 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/19
  • 繩の浦ゆそがひに見ゆる・・・巻第3-357~359 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 357 繩(なは)の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島 漕(こ)ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも 358 武庫(むこ)の浦を漕(こ)ぎ廻(み)る小舟(をぶね)粟島(あはしま)をそがひに見つつ羨(とも)しき小舟 359 阿倍(あへ)の島 鵜(う)の住む磯(いそ)に寄する波 間(ま)なくこのころ大和(やまと)し思ほゆ 要旨 >>> 〈357〉縄の浦の背後に見える沖合の島、その島の辺りを漕ぎめぐっている舟は、釣りをしている最中のようだ。 〈358〉武庫の浦を漕ぎめぐっている小舟は、粟島を後ろに見ながら都の方へ漕いで行く。ほんとうに羨ましい小舟よ。 〈359〉阿倍の島の、鵜の棲む磯に絶え間なく波が打ち寄せている。その波のように、この頃はしきりに大和が思われる。 鑑賞 >>> 山部赤人による瀬戸内の羈旅歌。357の「縄の浦」は、兵庫県相生市那波の海岸。「そがひ」は、後ろの方。358の「武庫の浦」は

    繩の浦ゆそがひに見ゆる・・・巻第3-357~359 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/17
  • 【為ご参考】『万葉集』に関する後人の言葉 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    万葉調を以て凡百の物事を詠まんとならば大体において賛成致候。 ~正岡子規 作歌を万葉集から学ぶといふときに、単に万葉の「精神」といふもののみを引離しては学ばない。その言葉も形式も引くるめて学ぶ。 ~斎藤茂吉 万葉集の歌は、この道の親なるから、歌ゆむ人の先読みつべきふみ也。 ~上田秋成 万葉集は殊のほか古代のものなれば、今の詠格には証拠としがたきこと多し。(万葉集は格別に古い時代のものなので、今の歌の詠み方には拠りどころとし難い事が多い) ~居宣長 それ歌書の中には万葉集より古きはなし。これを学ばずば歌学といふべからず。 ~荷田在満 万葉集は只(ただ)和歌の竈(かまど)にて、箱の中に納めて持つべし。常に披(ひら)き見て好み読むべからず。(万葉集はまさしく和歌の竈ともいうべき大切なものであるから、箱の中に納めて持っているのがよい。いつも開いてやたらに好み読んではならない。和歌の詠み口を損なう

    【為ご参考】『万葉集』に関する後人の言葉 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/16
  • 東歌(37)・・・巻第14-3499 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 岡に寄せ我(わ)が刈る萱(かや)のさね萱(かや)のまことなごやは寝(ね)ろとへなかも 要旨 >>> 陸の方に引き寄せながら刈っている萱のように、あの娘は、ほんに素直に私に寝ようと言ってくれない。 鑑賞 >>> 上3句は「なごや」を導く序詞。「なごや」は、柔らかいもの。ここでは女性の比喩。口説いても応じない女のことを思い、嘆息している歌です。ただ、「寝ろとへなかも」は、寝ようと言うのかな、とも解されます。窪田空穂はこの歌について、「この種の歌としては、心細かい、語のこなれた、すぐれたものである」と述べています。 巻第14と東歌について 巻第14は「東国(あづまのくに)」で詠まれた作者名不詳の歌が収められており、巻第13の長歌集と対をなしています。国名のわかる歌とわからない歌に大別し、それぞれを部立ごとに分類しています。当時の都びとが考えていた東国とは、おおよそ富士川と信濃川を結

    東歌(37)・・・巻第14-3499 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/15
  • 吾妹子に猪名野は見せつ・・・巻第3-279~281 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 279 吾妹子(わぎもこ)に猪名野(ゐなの)は見せつ名次山(なすきやま)角(つの)の松原いつか示さむ 280 いざ子ども大和へ早く白菅(しらすげ)の真野(まの)の榛原(はりはら)手折(たを)りて行かむ 281 白菅(しらすげ)の真野(まの)の榛原(はりはら)往(ゆ)くさ来(く)さ君こそ見らめ真野の榛原 要旨 >>> 〈279〉いとしいよ、お前に猪名野は見せた。今度は名次山と角の松原を、早く見せてやりたいものだ。 〈280〉さあみんな、大和へ早く帰ろう。白菅の茂る真野の榛(はん)の木の林で小枝を手折って行こう。 〈281〉白菅の生い茂る真野の榛原を、あなたは往き来にいつもご覧になっているのでしょう。私は初めてです、この美しい真野の榛原は。 鑑賞 >>> 高市黒人夫が従者と共に真野へ遊覧に行った時に詠まれたもので、279は黒人がに与えた歌、280は従者たちに呼びかけた歌、2

    吾妹子に猪名野は見せつ・・・巻第3-279~281 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/14
  • 遠妻し多珂にありせば・・・巻第9-1744~1746 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1744 埼玉(さきたま)の小埼(をさき)の沼に鴨(かも)ぞ羽(はね)霧(き)る 己(おの)が尾に降り置ける霜を掃(はら)ふとにあらし 1745 三栗(みつぐり)の那賀(なか)に向へる曝井(さらしゐ)の絶えず通はむそこに(つま)もが 1746 遠(とほづま)し多珂(たか)にありせば知らずとも手綱(たづな)の浜の尋ね来(き)なまし 要旨 >>> 〈1744〉埼玉の小埼の沼で、鴨が羽ばたいてしぶきを飛ばしている。尾に降り置いた霜を払いのけようとしているらしい。 〈1745〉那賀の向かいにある曝井の水が絶え間なく湧くように、絶えず通おう。そこで布を洗う女たちの中に、都のがいるかもしれない。 〈1746〉遠く大和にいるがここ多珂郡にいるとすれば、たとえ道がわからなくても、私が今いる手綱の浜の名のように、私を訪ねて来てくれるだろうに。 鑑賞 >>> 高橋虫麻呂が常陸国に赴任して

    遠妻し多珂にありせば・・・巻第9-1744~1746 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/13
  • 百足らず山田の道を・・・巻第13-3276~3277 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3276 百(もも)足らず 山田(やまだ)の道を 波雲(なみくも)の 愛(うつく)し(づま)と 語らはず 別れし来れば 早川の 行きも知らず 衣手(ころもで)の 帰りも知らず 馬(うま)じもの 立ちてつまづき 為(せ)むすべの たづきを知らに もののふの 八十(やそ)の心を 天地(あめつち)に 思ひ足(た)らはし 魂(たま)合はば 君来ますやと 我(わ)が嘆く 八尺(やさか)の嘆き 玉桙(たまほこ)の 道来る人の 立ち留(と)まり 何かと問はば 答へやる たづきを知らに さ丹(に)つらふ 君が名言はば 色に出でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 君待つ我(わ)れを 3277 寐(い)も寝ずに我(あ)が思(おも)ふ君はいづく辺(へ)に今夜(こよひ)誰(たれ)とか待てど来(き)まさぬ 要旨 >>> 〈3276〉山田の道を、いとしいとろくに睦み合

    百足らず山田の道を・・・巻第13-3276~3277 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/12
  • 為むすべのたづきを知らに・・・巻第13-3274~3275 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 3274 為(せ)むすべの たづきを知らに 岩が根の こごしき道を 岩床(いはとこ)の 根延(ねば)へる門(かど)を 朝(あした)には 出(い)で居(ゐ)て嘆き 夕(ゆふへ)には 入り居て偲(しの)ひ 白たへの 我(わ)が衣手(ころもで)を 折り返し ひとりし寝(ぬ)れば ぬばたまの 黒髪(くろかみ)敷きて 人の寝(ぬ)る 味寐(うまい)は寝(ね)ずて 大船(おほぶね)の ゆくらゆくらに 思ひつつ 我(わ)が寝(ぬ)る夜(よ)らを 数(よ)みもあへむかも 3275 ひとり寝(ぬ)る夜(よ)を数へむと思へども恋の繁(しげ)きに心どもなし 要旨 >>> 〈3274〉どうしてよいのか、取っ掛かりも分からず、岩のごつごつした道なのに、どっしりした岩床のような門口なのに、朝にはその道に佇んで嘆き、夕方には門の中に籠って偲び、着物の袖を折り返してひとり寝るばかりで、折り返した袖に黒髪を敷

    為むすべのたづきを知らに・・・巻第13-3274~3275 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/11
  • 鹿島郡の苅野橋で、大伴卿と別れたときの歌・・・巻第9-1780~1871 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

    訓読 >>> 1780 牡牛(ことひうし)の 三宅(みやけ)の潟(かた)に さし向かふ 鹿島(かしま)の崎に さ丹(に)塗りの 小船(をぶね)を設(ま)け 玉巻きの 小楫(をかぢ)しじ貫(ぬ)き 夕潮(ゆふしほ)の 満ちのとどみに 御船子(みふなこ)を 率(あども)ひ立てて 呼び立てて 御船(みふね)出(い)でなば 浜も狭(せ)に 後(おく)れ並(な)み居(ゐ)て 臥(こ)いまろび 恋ひかも居(を)らむ 足ずりし 音(ね)のみや泣かむ 海上(うなかみ)の その津をさして 君が漕(こ)ぎ去(い)なば 1781 海つ道(ぢ)の凪(な)ぎなむ時も渡らなむかく立つ波に船出(ふなで)すべしや 要旨 >>> 〈1780〉三宅の潟に向かい合う鹿島の崎に、赤い丹塗りの御船を準備し、玉を飾った櫂を梶を船べりにたくさん取りつけ、夕潮が満ちると漕ぎ手らを呼び集め、掛け声を立てて御船が出航して行ったなら、後に残っ

    鹿島郡の苅野橋で、大伴卿と別れたときの歌・・・巻第9-1780~1871 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
    ma2no_z32
    ma2no_z32 2024/07/10