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視点に関するmadookaのブックマーク (13)

  • コンピュータが将棋を完全解明したら? 羽生善治三冠の回答

    人類は、自らが生み出した「人工知能」に「参りました」と頭を下げるしかないのか。2012年に故・米長邦雄・永世棋聖の「衝撃の敗北」から始まったプロ棋士vsコンピュータソフトの電王戦。昨年の第2回大会でも1勝3敗1持将棋(引き分け)と惨敗し、今年の第3回大会では1勝4敗と形勢は悪くなるばかりだ。 しかし、ただ一人、コンピュータ将棋の「進撃」を喜ぶかのような男がいた。不世出の天才棋士、羽生善治三冠(43、王位・王座・棋聖)である。作家の大崎善生氏が、その“喜び”の意味を解説する。 * * * 96年に史上初の七冠を制覇した直後、羽生は将棋雑誌編集者であった私に、「これからは勝ち負けとしての将棋ではなく、質に迫っていきたいと思う」と語ってくれたことがあった。 将棋とは何か、どういう結論が待っているのか、完全解明してみたい、もしそれが無理だとしてもできる限りそこに向けて少しでも近づいていきたい。羽

    コンピュータが将棋を完全解明したら? 羽生善治三冠の回答
  • 乗換案内1872 - ジョルダン

    乗換案内1872とは 1872年10月14日(旧暦9月12日)、新橋~横濱間(現在の汐留~桜木町)で日初の鉄道が開業し、今年(2022年)で150年が経ちました。 この鉄道開業150周年を記念して「もしも鉄道開業時に乗換案内があったら」を実現! 150年前の運転区間・時刻・運賃で経路検索をお楽しみいただけます。 ※時刻の表記について 鉄道開業当初は、江戸時代からの時刻表記と区別するために「時」を「字」と表記していました。 乗換案内1872ではこれに合わせて検索フォームの時刻で「字」と表記しています。

    乗換案内1872 - ジョルダン
  • https://how-i-experience-web-today.com/

  • 奇跡が起きるのは思っているより多いのかもしれないという話

    俺は海沿いの街で暮らしていて、二日に一度くらいの割合で仕事が終わってから浜辺に焚き火台を出して一人で何時間も火を焚いているという、あんまり頭の良くない趣味を持っている。 職場から家に帰ってきて焚き火台と薪を持って浜まで行くと、始められるのがおおよそ19時過ぎで、何回もやっているくせに木が炭になる時間の感覚がいまいちつかめないのもあって、「俺はいま焚き火をやってるな」と実感できる数の薪を燃やしていると綺麗に燃え尽きるのが21時半ぐらい、それからようやく夕飯をべ始めるのでやっぱり馬鹿なんだと思う。 季節で日が落ちるのが遅いけれども、灯りのあまりない海岸なので、20時を過ぎるとかなり暗くなる。自動車が道路を行き交う音と海鳴りが聴こえる闇の中にいるのは俺だけ…では意外となくて、砂浜に降りてくる道のコンクリートで舗装された突端に、よく誰かが二人で座っていたりする。 それは必ずしも決まった人たちでは

    奇跡が起きるのは思っているより多いのかもしれないという話
  • 干された洗濯物を見ているのが好きな話

    俺の暮らしている家には洗濯機がないので、浴槽を選択用の桶に転用して、休日になるとぬるま湯を張って布類と洗剤をぶっこんでいる。当然、脱水も手作業だ。何が言いたいかというと、洗濯そのものは俺にとって苦行でしかなく、バスタオルやシーツ類を手絞りでギリギリやりながら風呂場で荒い息を吐いていると、俺は何をやってるんだろう、という気になる。指の皮とかがよく剥ける。 … 一方で、干し終わったあとの洗濯物を眺めること、これは好き。大好きと言っていい。 理由はまったくわからないんだけども、竿に吊るされたシーツとかハンガーに下がった大小の衣類が風に揺られているのを見ていると、ものすごく満ち足りた気持ちになる。洗濯物のそれぞれによっても風を受けたときの反応が違っていて、ハンカチだとか下なんかはささいなそよ風でも大きくひるがえるし、バスタオルなんかはかなりどっしりしていて、ちょっとやそっとの風では動かなかったり

    干された洗濯物を見ているのが好きな話
  • 東京で一番好きな風景

    朝、総武線に揺られながら観る、 四谷から市ヶ谷までの風景が大好きだ。 都会なのに、嘘みたいに植物がうっそうと茂り、 手入れが行き届いてないかの様な無造作な緑。 ツタが絡み合う。 あそこにある松の木を観ると、 通勤途中にも関わらず江戸時代にタイムスリップできる。 一番好きなのは、梅雨時期。 緑の生命力がキラキラ光る。 車窓から観る景色、なかなか写真には納められないけど、 いつか写真撮りたいなと思う。 それくらい大好き!大好き!大好きな風景。 夏になると、一応刈られる。少しだけ刈られてキレイになる。 だから、今が一番良い。 職場に着く前の最大の癒し。 毎日観ても飽きない。 みんなにも総武線乗ったら観て欲しい!中央線でも観えるかも。 東京のお気に入りの風景あったら教えてください。

    東京で一番好きな風景
    madooka
    madooka 2021/06/15
    あそこで景色が見えると、下を向いていた人たちが一斉に外を見て、またそれぞれに戻っていくのが好きだった
  • 小さい子が親の腕を引っ張ってるのがかわいいね

    外側に全体重をあずけて、それでも手は親の手を握ってる。 普通、体重をかけて何かを動かそうとするとき、 例えば大根を地面から引っこ抜こうとするとき、 そのものをしっかり握ると思う。 でもあんな小さい子に、親の手をそこまでしっかり握る力があるとは思えない。 たぶん、親の方も握り返しているのだろう。 つまり、あの状態で親が手を離したら、子どもは勢いよく転ぶのではないか。 子どもはいくらわがままを言っても、親は自分の手を離さないだろうと信じて 体重をかけているように思う。 おそらく親以外、幼稚園の先生とかにはやらないんじゃないか。 親子の信頼というか愛をそこに見て、ひとり微笑んでいる、子どものいないおっさんです。

    小さい子が親の腕を引っ張ってるのがかわいいね
  • 『34歳独女だが今年の夏1番のイベントがカブトムシ飼育になりそう』へのコメント

    こうして他人の人生の穏やかな、それでいて少し起伏のある部分だけを遠くから眺めていられるのは幸せに他ならない

    『34歳独女だが今年の夏1番のイベントがカブトムシ飼育になりそう』へのコメント
    madooka
    madooka 2020/08/04
    増田読みの楽しみの端的な表現
  • 市外局番は、きれいな柄であり、地域を読み解く鍵である(1) - 地理人レポート

    数年前、作っている過程はTwitterでお届けしたのですが、市外局番の一体何がおもしろいのか…はあまり文字化していませんでした。リアルで話すときには話すものの、めんどくさがってWebにアップしてなかったのです。 境界線を示す場合、点線を描けばいいのですが、塗り分ける方法もあります。世界地図には国ごとにいろいろな色が塗られていますよね。でも、それぞれの色に意味はありません。隣の国と違う色になるように塗り分けているのです。ちなみに、4色あれば、隣合う色が同じ色にならないので、4色で塗り分けるのが一般的です。 こんな感じで、上3桁を同系色(赤・黄・青・緑のどれか)で塗り分け、同じ上3桁、つまり赤・黄・青・緑の各エリア内を、さらにそれぞれ4色で塗り分けています。塗り分けることで境界や範囲、面積がはっきり見えますが、青系の色が広い範囲に及んでいるところもあれば、狭い範囲にとどまるところもあります。こ

    市外局番は、きれいな柄であり、地域を読み解く鍵である(1) - 地理人レポート
  • 「私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならない」 - ←ズイショ→

    自分が未だ小学一年生だった頃の時分、近所になんとかのおばちゃんと呼んでいた僕にとても良くしてくれた貴婦人があった。何がキッカケかは覚えてもいないが、当時の僕にとってそのなんとかのおばちゃんの家に遊びに行くのはとても自然なことで、行くとなんとかのおばちゃんの家にはおもちゃがたくさんあって、好きに遊んでいいとおばちゃんに言われたし、だから好きに遊んでいた。もう必要ないから貰ってくれて良いと言われ、お中元お歳暮で送るような菓子を詰める缶箱にいっぱいのキン肉マン消しゴムSDガンダム消しゴムとか、缶箱いっぱいのビックリマンシールとかをもらったりもした。どちらも僕と同級生との間ではそんなに流行っていた気もしないので、僕はそれを友達に自慢することもなく、一人で、家で、大切に遊んでいた。僕より少しかよっぽどか上の年齢の子供のブームだったのだろうと思う。今になって思えば、なんとかのおばちゃんは、子供が大学に

    「私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならない」 - ←ズイショ→
  • 今ってSFだよな、毎日SFだもん

    電車乗るたびに思う すげー 今ってSFだよな SFの世界だよな 光る改札に、一枚のカードを「ピッ」とかざして通るのかっこいい スマートフォンをほぼ全員持ってるのもすげー あんなに小さくて、なんでもござれなハイテク機器が当たり前なのすげー 電車には動く広告 動いちゃうのかよ コンビニのような品揃えの自販機 も買えちゃうのかよ ホームドア 直訳すると家の扉じゃんか すげー 当たり前にみんな使ってるの、すげー

    今ってSFだよな、毎日SFだもん
  • ガリガリの猫

    朝、ゴミを出す時に河川敷を通る。そこには何匹か、野良が住み着いている。その野良は、飯に充分にありつけてないのか、骨が透けそうなぐらいガリガリで、でもそのくせ、弱った素振りも見せず、じっとこちらを見つめて道のど真ん中に座っている。そのを見つけると、「またか。」と思い、止むを得ず進路を変える。別に、そのが好戦的なわけではないし、もし仮に取っ組み合いの喧嘩になったとしても、相手は俺より二回り以上背の低い相手だし、勿論勝てる。でもそのは、多分そうなったら、なんの躊躇いもなく俺に立ち向かってきそうで、それが、怖い。自分より、生に対する執着が強い生き物を前にすると、変な罪悪感に駆られてしまう。俺はどうせ、明日も明後日も、ずっと安全で、飯なんかコンビニに沢山あるし、もしギリギリまで追い詰められたら、最悪近くの寺にでも駆け込めばいい。でもあのは、毎日気で生きていた。俺も、自分より二回り以上体

    ガリガリの猫
  • 人間になった人魚姫の裸を数十年間オカズにしている話

    世の中には誰でも知っている物語をこんな風に汚れた目で見ている奴もいる。 物心付いた頃から、世の中に存在する数多くの人魚姫の絵に対して、言いようのない困惑を抱いていた。 人魚姫、それは様々な子ども向けの読み物の中で唯一、女主人公が読者の目に全裸を晒す場面のある物語だった。 幼少期の俺にとって、魚の尾鰭が人間の女の下半身にすげ替わった直後の人魚姫の描写は、あまりにも衝撃的だった。 人魚達には人間のように、動きにくい服で生身の体を覆い隠す文化がない。 ほとんど生まれたままの体に装飾品をつけ、自由自在に海の世界を泳いでいる。 しかし、直前のページまで「人間ではない空想上の生き物」として許されていた人魚姫の姿は、人間の下半身と接続した途端、突然「子どもが見てはいけない生々しいもの」に変質する。 人魚姫が人間になろうとして、何もわからないまま「なり損ねた」ぶざまで痛ましい姿が、あの裸身なのではないか

    人間になった人魚姫の裸を数十年間オカズにしている話
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