大阪に本社がある機械メーカーの日立造船は、来年10月に社名を「カナデビア」に変更すると発表しました。日立造船は戦後、日立グループから離れ、すでに造船事業からも撤退していたため社名と事業がかい離した状態が続いていました。 発表によりますと、日立造船は、来年10月に社名を、日本語の「奏でる」とラテン語で「道」を意味する「Via」を組み合わせた「カナデビア」に変更します。 技術革新によってオーケストラがハーモニーを奏でるように、人類と自然に調和をもたらす新しい道を切り開くという決意が込められているということです。 日立造船は、1881年に「大阪鉄工所」として創業し、造船事業などを手がけていましたが日立製作所の傘下に入ったあとの1943年に今の社名に変更していました。 そして戦後の財閥解体に伴って日立グループから離脱し、2002年に造船事業を分離してその後、撤退していました。 現在は、ごみ焼却施設
「自己責任」を強調する言葉が飛び交い、他人に迷惑をかけないことが重視され、為政者は問題を直視することなく逃げまわる……この40年のあいだ、日本社会をむしばんできた「雰囲気」とはいったいなんだったのか。このたび『なんかいやな感じ』を刊行した、ライターの武田砂鉄さんが考えます。 忘れられたスローガン 「人生再設計第一世代」なる、ちっとも浸透しなかった名称を記憶している人はどれくらいいるだろう。私はハッキリ覚えている。なぜって、名指しされた世代だから。 2019年、経済財政諮問会議が、30代半ばから40代半ばにかけての「就職氷河期世代」に向けて、「必要なスキルを得てキャリアアップし、より安定的に就労でき、正規化する仕組みを構築」して、「いくつになっても人生を再設計できる」ようにすると言い始めた(資料「就職氷河期世代の人生再設計に向けて」より引用)。 1982年生まれの私は就職氷河期世代にギリギリ
相棒化けわらじとの旅 私の日々のルーティンに「妖怪活動」がある。昨年妖怪コンテストで優勝した相棒の「化けわらじ」と共に、国内外を旅しているのだ。 今年の夏は伊豆、福井、滋賀に行った やはり自然がある場所は涼しい。トトロが森にいる理由を体の芯から理解 大抵の旅は化けわらじと一緒に行っている。せっかくなら妖怪と会った方が、少年も忘れられない夏の思い出になるだろう! 怖がらないか心配 少年の名は「りんたろう」と言う。果たして友達になれるだろうか。 今までいろんな子供に会ったが、お化けが苦手な子は、泣きながら猛ダッシュで去って行く。特に何もしてないのに、大泣きされると、「あぁ、そういえば私妖怪だったな」とアイデンティティを再確認するのだった。 怖がられないように、事前に化けわらじのことを説明しておいてと、りんたろうの母親である友人のゆうこさんにお願いした。りんたろうは化けわらじのインスタグラムを見
Ayako Kimishima @kimi_aya_ 仏像から社会を見ている研究者|絵も描きます|監修した展覧会→「万博と仏教」「陶の仏」|Material religion|Buddha statue study|メモがわりに気になるモノやニュースを呟きます|たまに宣伝と業務連絡|発言は所属団体を代表するものではありません|誤字が多くてごめんなさい|お問合わせはリンク先 kimishima.info リンク TOP TOP 宗教学者 美術家 君島彩子 オフィシャルサイト Official Sites of Ayako Kimishima, Ph.D. TOP Ayako Kimishima @kimi_aya_ 以前、市民講座でコンクリート製の仏像について話をしたら、聴講者の方から「あなたの話は面白いが、国立博物館で本物の仏像を見て学んだ方が良いですよ」とのご意見をいただいた。 私が「一
1931年東京都生まれ。作家。聖心女子大学卒。『遠来の客たち』(筑摩書房)で文壇デビューし、同作は芥川賞候補となる。1979年ローマ教皇庁よりヴァチカン有功十字勲章を受章、2003年に文化功労者、1995年から2005年まで日本財団会長を務めた。1972年にNGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」を始め、2012年代表を退任。『老いの僥倖』(幻冬舎新書)、『夫の後始末』(講談社)、『人生の値打ち』『私の後始末』『孤独の特権』『長生きしたいわけではないけれど。』『新しい生活』『ひとりなら、それでいいじゃない。』『90歳、こんなに長生きするなんて。』『結局、人生の最後にほしいもの』『少し嫌われるくらいがちょうどいい』『幸福は絶望とともにある。』(すべてポプラ社)などベストセラー多数。 ニュースな本 ビジネス・経済から、エンタメに教育、政治まで…。世の中には山のように書籍が存在する。その中から
東京都が低所得世帯向けに無料で配布した米が、ネット上で転売されています。「転売禁止」という袋の表示を塗りつぶしたものもありました。 ■「食べきれない」米が山積み…税金の無駄遣い? 東京・目黒区にある教会の敷地内の一角。そこに積み上がっていたのは、大量の米です。 フードバンク目黒 平瀬栄治代表:「ここに600キロ以上はあると思う」 この大量の米を管理しているのは、生活が困窮した人などに対し、定期的に食品の無料配布を行っているフードバンクです。 平瀬代表:「食べきれないんで、活用して下さいと。そういう声が圧倒的に多い」 実はこの米は、東京都が住民税が非課税の低所得世帯向けに配布したものです。今年2月末から「東京おこめクーポン」を配り、米25キロなどと引き換えられるという取り組みで、先月まで受け付けていました。 しかし、実際にもらった人にとっては、食べきれない人たちがフードバンクに持ち込んでいる
うかつにもまったく知らなかったのだが、実は関東大震災の1年ほど前にも日本国内で朝鮮人の虐殺事件が起きていたことを最近教えてもらった。 中津川(信濃川)朝鮮人虐殺事件という。※中津川は信濃川水系に属する河川の一つ 朝鮮新報(2022/12/27) 【特集】中津川朝鮮人虐殺から100年~アイゴ谷と呼ばれた地~ 新潟県津南町、日本一の豪雪地といわれるこの場所で、かつて朝鮮人労働者らが虐殺、虐待される凄惨な事件が起きた。1922年、関東大震災朝鮮人虐殺の前年にあった「中津川朝鮮人虐殺事件」だ。 事件は、同年7月29日付の読売新聞が「信濃川を頻々流れ下る鮮人の虐殺死体」という見出しで大々的に報じ、当時日本の植民地支配下にあった朝鮮半島にまで広く知れ渡るようになった。その後、在日朝鮮人による調査団が組まれるなど、当事者らの真相究明活動で明らかになった惨たらしい事実―。 それは、新潟県中津川の上流に建設
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く