少し離れた空中で 雲母のようにキラキラ光るのは トンボの群れだ。 薄い羽が 太陽の光を反射する。 気の早いシデの樹の葉っぱが ハラハラと落ちる。 道の端に それらが貯まり そこは黄色の帯になる。 車のフロントガラスに ぶつかりそうに飛んでいるのは燕。 帰りそびれたのか? もう終わりのトマト まだ収穫出来るナスビ。 もらった野菜を鉢に入れ いつもの様に テーブルに載せ 艶々としたナスビの美しさを愛でる。 厳しい夏は終わりに近く 日暮れの早い秋は もうすぐそこまで。
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少し離れた空中で 雲母のようにキラキラ光るのは トンボの群れだ。 薄い羽が 太陽の光を反射する。 気の早いシデの樹の葉っぱが ハラハラと落ちる。 道の端に それらが貯まり そこは黄色の帯になる。 車のフロントガラスに ぶつかりそうに飛んでいるのは燕。 帰りそびれたのか? もう終わりのトマト まだ収穫出来るナスビ。 もらった野菜を鉢に入れ いつもの様に テーブルに載せ 艶々としたナスビの美しさを愛でる。 厳しい夏は終わりに近く 日暮れの早い秋は もうすぐそこまで。
「湖国の食事(くいじ)」 琵琶湖博物館 企画展図録 琵琶湖をぐるりと囲む4っつの地域。 湖北 湖南 湖東 湖西。 それらの地域の伝統食を琵琶湖博物館で展示している。 その図録が 知人から届いた。 滋賀のネイティブではない私の 知らない食材 料理が80ページにわたり載っている。 夏にはラッキョウ なす きゅうり 冬には白菜 大根 カブラ。 どの地域でも 一年中 欠かさずに野菜を食べる技 それが漬物。 何年も漬かった大根を 水にさらして塩抜きし 出汁 醤油 みりんで炊く「ぜいたく煮」は うちの集落でも ご馳走だ。 私の住んでいるいる「湖西」の道の駅では 栃餅を沢山売っている。 その無骨な大きさが田舎風。 先日 きゅうりの「辛子漬け」を貰った。 黄色い辛子で漬けたのか?と思った。 それは 塩水に赤い鷹の爪を入れて 漬けたものだと この本で知った。 冷蔵庫 冷凍庫のない時代の保存食。 それは 天日
栃の実 昨日の「枯れた植物」の続き。 toikimiさんが 私の栃の実を表現した「頑固ジジイみたいな実」 を 二度見に行ったと ブックコメに書いておられた。 写真の中の小さな栃の実では 頑固ジジイ風が分からないであろうと 今日 アップで撮った。 どうだろう この頑固ジジイぶりは。 しかし 深い濃い茶色の素朴な実は 思わず指でつまんで口に放り込みたい 甘くてホロリとした 風情を醸し出している。 yuuko1220さんは 「3段目右端の実」が トックリバチの巣のようだとか。 ああ 本当に 土で作られた巣に見える。 でも これも小さな栃の実なのだ。 栃の実を初めて見た時の印象。 それは忘れがたく 私の心に残った。
20代の頃 私は森茉莉の本を何冊何冊も 熱心に読んでいた。 森茉莉の書く 森茉莉の生活。 10代に行ったベニスの運河の色を コカコーラのガラス瓶の色であったと話したり 風呂もないアパートの 狭い一部屋でする料理の 目玉焼やオムレツでさえも その色や 味を語る「贅沢貧乏」 森鴎外の娘として生まれ 良いものを沢山見て育ち 独特の審美眼を身につけた 変な少女の様なおばあさん。 今日 私は 冷蔵庫に残っていた茄子を素揚げした。 それに辛子醤油をかける。 それを見ながら 色を 醤油との相性を 頭の中で思っている自分に気がつく。 引っ越しの慌ただしさの中で 無くしてしまった森茉莉の本。 でも 二十歳の私に染み付いた森茉莉は 簡単には消えないほどの シミとして残ってしまった。
薪ストーブの薪に 夫の煙草に 仏さんの蝋燭に 裏でゴミを燃やすのに。 一日に何回もマッチで火をつける。 こんなにマッチを愛するからには 兼松日産農林の 燐寸倶楽部(マッチクラブ)に入らなければ。 夫がマッチクラブに入ったのは 随分前だ。 マッチの小箱に貼られている センスのいいシールのデザインは 驚くほどの数がある。 そのシールを葉書にしたのが 入会のギフトで送られて来た。 5年前にマッチクラブは解散。 兼松日産農林が マッチの製造をやめたのが理由だ。 引き出しに残していた 数枚の葉書。 その中から 一枚選び額に入れる。 ライト兄弟の飛行機か? 勇しい姿で空を飛ぶ。 レトロで斬新なデザイン。 こんな美しいシールが あの小さなマッチの箱に 貼られていたのだ。 机に飾られた シールの葉書。 改めて見ると クラフツマンシップの技が 実に暖かく 趣深い。
「ブルターニュからやって来たケーキ」 それが あまりにも美味しかった。 素朴で 味わい深い そのケーキみたいなのを食べたい。 強い思いが ブルターニュ風もどきのケーキになった。 薄力粉 ベーキングパウダー 砂糖 バニラエッセンス ひとつまみの塩 卵 牛乳 キャノーラ油 それ等をさっくりと混ぜると つきたて餅位の生地になる。 耐熱皿に納め 上にフォークで放射状に線。 小麦色に焼き上がった。 熱々の間に たっぷりのバターと ウィスキーで薄めた杏ジャムを塗る。 非常にいい感じに美味しく出来た。 しっとりと バターの香りが高い。 『ブルターニュ風ケーキ』 薄力粉 300グラム 砂糖 150グラム 塩 一つまみ ベーキングパウダー 小スプーン 2 牛乳 40cc キャノーラ油 70cc バニラエッセンス 全卵 1個 黄身 1個
「la Biscuiterie Guéguen」 直径15センチ 高さ3センチ 重さ480グラム。 ずっしりとした バターの香り高いケーキが フランスのブルターニュからやって来た。 そのケーキは ラップでしっかりと包まれ 白の紙にラベンダー色の紐を結んである。 小麦粉 砂糖 卵 バター ベーキングパウダー。 材料はとてもシンプル。 風貌も非常に素朴。 周りはカリッとして 中はしっとりしている。 ナイフで薄く切り 大事に食べればいいのか。 それとも 普通に切って 満足感を感じればいいのか? 珍しいお菓子を前に 迷うではないか。 この素朴なケーキを送ってくれた クルクル髪のブルターニュの男の子。 写真で見るその村は まるで絵本か映画に出てくるような 静かな美しい所だ。 biscuiteriegueguen.fr biscuiteriegueguen.f
昨日の残りのスープ 強い雨が降り続いた昨日。 冬の終わりに 戻ったかの様な 冷たい日だった。 残り物で温かいスープでも作ろう。 トマトとひよこ豆の缶詰 常備の人参 貰ったニラの残り。 いかにもかき集めた素材の しみったれ料理だ。 鋳物の鍋で 小さく切った人参を オリーブオイルで炒め 後は トマトとひよこ豆。 水を加えてストーブの上でコトコトと煮る。 まったりと煮えた野菜に 細かく切ったニラ 少しの塩 チキンコンソメとチリパウダー。 厚みのある鍋と 穏やかに煮る事だけで 不思議な程 美味しいスープになった。 夜ご飯には 大きなスープ皿で そして今日の昼ご飯は 小さめの鉢で。 深みを増した残り物。 スープでも 豚汁でも 温かい汁物は 心までほっとしてくれる 優しいおかずだ。
(Google画像より) 先日 友達がLINEで送ってきたラジオのサイトアドレス。 「絶望名言」というタイトルに興味を持ち開けてみた。 NHK「ラジオ深夜便」の中の 人気のコーナーであるようだ。 文学紹介者の頭木弘樹が選んだ 私達の馴染みの作家や画家達の 絶望の言葉の数々を NHKアナウンサー川野一宇が 低い声で読んでいく。 「弱虫は綿で怪我をするんです」 太宰治(人間失格) 「将来に向かって歩くことは 僕にはできません・・・ いちばんうまく出来るのは 倒れたままでいる事です」 カフカ(フェリーツェへの手紙) ドストエフスキー ゲーテ 芥川龍之介 シェークスピア ベートーベン 中島敦 ミラン・クンデラ等々 私達が子供の頃から知っている人たちが こんなに「明るく」絶望しているなんて。 つげ義春の「無能の人」振りに通じる 突き抜けた 絶望感を感じるのは 絶望している人に対して 失礼だろうか?
アメリカ映画 「スモーク」 1995年公開 原作 脚本は、作家のポール・オースター だ。 1990年 ニューヨークのブルックリンの街角の小さな煙草屋 そこに集う常連客の それぞれの人生を描く。 同じ時刻 同じ場所を Canonで撮る 煙草屋の主 オギー・レン(ハーベイ・カイテル)。 オギーの友達 常連の作家 ポール・ベンジャミン(ウィリアム・ハート) 数年前に妻を銀行強盗の流れ弾で亡くして以来 スランプで小説が書けないでいる。 ポールがぼんやりとして 車に轢かれそうになった時 助けてくれた黒人の若者 ラシード 何か訳ありだ。 ラシードが生き別れた父親サイラス オギーのかつての恋人ルビー 等々。 登場人物の人生と日々が織りなすこの映画は 国 人種を問わない どこかにあるような 心温かい人情話だ。 クリスマスが近づいてきたある日。 作家のポールは ニューヨークタイムズから クリスマスにふさわし
私の住んでいる集落では 今 梅の花が真っ盛りだ。 それは 梅の実を採るために 家のそばに植えられている。 梅の実で保存食を作る人は亡くなったが 大きく育った木には 溢れる様に咲いた 白の小さな花が あちらこちらの家の角で 霞のように咲いている。 そして やっと花開いた桜。 川のそばで 沢山の蕾をつけている。 青い空の下 淡いピンクの花びらが 太陽の光を受けて 気持ちよさそうに枝を広げ 見上げる私や 走るバスを のんびりと見下ろしている。 桜の花は特別だ。 明日 図書館の裏の堤に咲く 桜を見に行こう。 車を片道30分走らせて ローソンでココアを買って それを飲みながら 短い花見をしてこよう。 あっという間に散ってしまう花だから。
夜 寝る前に飲むココア。 それには クッキーが付く。 ソフトな生地に オレンジマーマレードを載せたクッキー。 二日目からが美味しい。 「寝る前に食べてはいけないって?」 ラジオを聴きながら ブログを書きながら飲む ミルクで溶いた熱々のココアの美味さ。 「これは小さな幸福ではないか?」 と 深夜にふと思う。
小麦粉ときな粉を混ぜて 予想外の美味しいクッキーが焼き上がった。 指で摘み かじると それはしっとりと まるでマジパンの食感と深いコクを持つ。 姿は素朴で 土の塊のようだ。 この土の塊に胡桃のかけらを飾る。 薄茶の木綿か 麻の服に 木のボタンを付けた感じがする。 黄色のホーローの蓋物に 土の塊クッキーを山盛り納め テーブルの上に。 お菓子がテーブルの上にある。 それは 私にとって 豊かさを感じさせる事だ。
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