大学はだれのためのものか これは海外との関係だけではない。大学を取り巻く社会との相互乗り入れ的な交流もまた、日本の大学の場合、消極的と思う。特にカリキュラムの中に入り込んでくるものに対する拒絶は強い。 これらはすべて、学生にとっては可能性の喪失を意味する。 さらに社会の側から見ても大きな機会損失なのである。 硬直的なカリキュラムや、閉鎖的な組織文化は、大学をいったん卒業した社会人の再教育を著しく困難にする。 日本では、大学教育は20歳前後の一時期のみ限定という性格が強いが、高等教育、専門教育や研究の必要性は、その時期だけに限ったものではない。むしろ大学を卒業してから、20年、30年、下手したら40年も、先端の研究分野に触れずに、組織や社会の第一線に立ち続けるということの方が無理がある。 しかし、残念ながら再教育の概念自体がほとんど日本にはない。もしくは十分でない。社会人大学院などの形でさま
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