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  • 東京糸井重里事務所を退職しました - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    思い起こせば、このブログを書き始めてから4年と3ヶ月になるんですね。その半分以上の時を、東京糸井重里事務所で働きながら過ごしたことになります。 このブログには書きませんでしたが、2年と少し前のある日、このブログを読んでいただいていたという糸井さんからメールをいただきました。それが入社のきっかけです。私にとって糸井重里さんという広告人は、お手でもあり目標でもありました。つまり、特別な存在なのです。これは、決してお世辞でもなんでもなく、正直な気持ちとしてどうしようもなくあるのです。 もしかすると、リアルタイムで広告クリエイターとしての糸井重里さんがつくる広告を追って来た世代は、私の世代で最後かもしれません。それ以降の世代では、文化人としての糸井さん、ほぼ日の糸井さんという感じだろうと思います。このブログでも、糸井さんのことはたくさん書いてきました。代表的なエントリは、きっと「糸井重里さんの重

    東京糸井重里事務所を退職しました - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • がんばれ、NHK_PRさん。応援してます。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    そもそもの問いが愚問だけど、今、この状況で、広告人として何ができるか、と問われれば、NHK_PRさんみたいなことかな、と答えます。それくらい、NHK_PRさんの中の人の仕事は見事だなあ、と思います。あっ、中の人などいない、でしたよね。失礼しました。 twitterをやっていない人はわからないかもしれませんが、NHK_PRは、NHK広報局の公式twitterアカウントのこと。NHKの番組の広報ツイートをtwitterで日々届けておられます。twitterのアカウントページの自己紹介は、こんな感じ。 名称 NHK広報局(番宣・広報/ユルいです) 自己紹介 このたびの大きな震災では、皆さん長い緊張状態が続いているようで、様々なところに、イライラと批判と強い口調の言葉が流れています。だからこそ、このアカウントでは出来るだけ日常的なユルいツイートを心がけております。ご批判もあるとは思いますが、ご理解

    がんばれ、NHK_PRさん。応援してます。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    memoclip
    memoclip 2011/03/18
    「パブリック・リレーションズ」
  • おっちゃんとの会話 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    中野ブロードウェイのジャンクショップにて。 フィルムのコンパクトカメラが300円くらいで山積みされてて、それを見ていたおっちゃんが話しかけてきました。 「これ、安いねえ。ちゃんと映るんかなあ。」 「どうなんでしょうねえ。」 「映るんだったら買ってみようかなあ。」 「でも、これフィルムカメラだから、あとで苦労しますよぉ。」 「むずしいん?」 「いや、そうじゃなくて、今、フィルム、あまり売ってないでしょぉ。」 「???」 「デジタルじゃないから、きっと、めんどうですよぉ。」 「ああ、むずかしいのかぁ。」 おっちゃんはピントをあわせる手振りをしていたので、こっちの話はまったく通じていなかったけど、妙に納得しているご様子でした。 1時間ほど買い物にでかけていたんですが、このおっちゃんも含めて、3人のまったく知らない人とお話しをしました。普段は、こんなことはないんですけどね。やっぱり、みんな、心の底

    おっちゃんとの会話 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    memoclip
    memoclip 2011/03/16
    >普段は、こんなことはないんですけどね。やっぱり、みんな、心の底のほうに、ぼんやりとた不安があるんでしょうね。
  • 「あえて狙わないほうがいい」という時代 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    消費者が広告を見る目があきらかに変わって来たなあ。 そんなふうに思ったのは、思い返してみると、2000年を少し過ぎてからのような気がします。これまでも、メインストリームではなく、どちらかというと異端的な考え方を好んでしてきたので、それ以前から、なんか新しいやり方は探してはいたけれど、それは、例えば、Saatch & Saatchが提唱していたSMP(Single-minded Propsition)だったり、どちらかというとメッセージ開発の手法的な話が中心だったような気がします。私にとっての90年代は、そんな感じです。 SMP理論は、簡単に言えば、あるブランドがある市場環境に置かれるとき、そのブランドが持つ課題を達成するために必要なのは、つきつめると、たったひとつの短く強いメッセージになるはずだ、という理論で、その成功例としては英国の労働党から保守党へ政権交代を実現した"LABOUR IS

    「あえて狙わないほうがいい」という時代 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    memoclip
    memoclip 2010/07/28
    広告ってスペースをお金出して買ってるもの、という感じ。 (追記)繋がりあるかも? > http://blog.goo.ne.jp/ebisu67/e/5b1fa8dfa68a447b59dbb12c488a438a
  • 10年早いわ!と言うヤツはしばきたおせ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ただし、心の中でね。 ほんとにしばくと警察くるからね。 10年早いなんて、誰が決めた。 10年待ったら、時代が変わってしまうがな。 やればいい。やればええねん。 なんやその顔、自信がないんか。 まあ今はしゃあない。 でも今まで君がやってきたことは、 逃げたり消えたりしないから、心配すな。 おっさんはこう見えても、 いろんなヤツに10年早いと言われながら しれっと何でもやってきたんよ。 それで嫌われたり干されたりもしたけど、 やってよかったと思ってるよ。 少々やせ我慢も入っとるけどな。 10年早いわ! そんなこと言うヤツはしばきたおせ。 心の中で。 えっ、その台詞、 先輩もよく言うじゃないですか、って。 あのな、よく聞け、若者よ。 おっさんがいつも言ってる台詞は、こう。 100年早いわ! やって死ぬのと、 やらずに死ぬのとどっちがいい? な。やればいい。 おっさんの言うことなんか無視して 思

    10年早いわ!と言うヤツはしばきたおせ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 子供をなめるな - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    前にも書いたような気がするけれど、子供をなめちゃいけないということを思うようになったきっかけに、「銀河鉄道の夜」というアニメ映画のことがあります。1985年制作で、細野晴臣さん音楽、別役実さん脚、杉井キサブローさん監督。原作は、もちろん宮沢賢治の童話ですが、ますむらひろしさんの漫画が原案になっています。 ますむらひろしさんの「銀河鉄道の夜」は、主要な登場人物が二足歩行するとして描かれ、その漫画を原案とする映画版もそれにならっています。この設定は、ますむらさんが漫画化するときに、宮沢賢治の親族の方の反発や、研究者の方々の批判もあり、ますむらさんが説得にあたられたと「イーハトーブ乱入記 - 僕の宮沢賢治体験」というに書かれていました。 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」という作品が持つファンタジー性をビジュアル化する方法論としては、擬人化されたで描くという手法は、ある意味では正攻法であり、それ

    子供をなめるな - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 梅田駅と阪急の反骨 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    NHK教育の「鉄道から見える日」という番組を見ました。原武史さんが鉄道を通して日の近現代を語るというシリーズなのですが、私が見た回は第4回「西の阪急、東の東急」です。この番組、ところどころつまみいで見ているのですが、その貴重な資料映像とともに、歴史の分析が鋭くて、すごく面白いです。最近、NHKがつくるコンテンツは抜群ですね。なんか民放が元気がなくて、さみしいです。こういうときこそアイデア1発勝負の時だと思うんですけどね。がんばってほしいです。 ということで、この回のテーマは「官と民」。大まかな趣旨としては、阪急の創業者である小林一三が「民」の力で事業を展開したのに対して、東急の五島慶太が「官」を最大限に利用し協調するかたちで事業を展開してきたというものでした。そのことは、西の反骨精神の文化を象徴する一方で、東を象徴する東急は、阪急がなし得なかった大規模な都市開発を実現した、というもの

    梅田駅と阪急の反骨 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • ウェブはバカと暇人のもの? - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    そんなわきゃねえわねえ。というか、タイトルに釣られまくりの私が言うのもなんですが、そうでもないんじゃないですか、なんて思うわけでして、なんで「ウェブはバカと暇人のもの」と思ってしまうのかというと、ウェブという市場を自分の商売における理想郷だと位置づけるからそう思うわけで、思ったよりもうまくいかないと思うと、市場にいる人のことを民度が低い奴らと思うのは、私がいままでいくつも聞いてきた、日市場から撤退していった外資系広告代理店や外資系企業の捨て台詞と同じわけです。 日人は、当の広告がわからない国民だから。当の広告がわかる国民とは何かというと、欧米の国民であり、当の広告とは、その広告代理店がつくっている広告なわけです。そんな勝手な話、あるかいな、と誰だって思いますよね。そもそも、その国民にわかってもらうためにつくられた映像とか画像とかを広告と言うわけであって、つまり、その広告は広告以下

    ウェブはバカと暇人のもの? - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 素朴な疑問として - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    どうして新聞とかテレビの報道って、こういう切り取り方するのでしょうね。2009年4月25日23時49分にYOMIURI ONLINEに配信された記事のタイトル。報知ではなく読売新聞の記事です。 SMAP・香取さんも番組で謝罪…「絶対に許されない」 で、中身はこう。後半部分を引用します。 香取さんは「SMAPのメンバーである草なぎ剛が皆さんに多大なるご迷惑をおかけしたことを深くおわび申し上げます。今回してしまったことは、社会人として大人として絶対に許されることではありません」と謝罪。24日夜に電話で話したことを明かした上で「深く深く反省していました。みなさんに許していただけるのなら、SMAPに一日も早く戻ってくることを願っています」とした。 普通の感覚として、あの香取さんの謝罪を切り取って「絶対に許されない」とは要約しないと思うんですね。だって、最後に「許していただけるのなら」と言っているわ

    素朴な疑問として - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    memoclip
    memoclip 2009/04/28
    窮屈な日本の一端を担っているメディア。苦しくなるだけなのに。
  • ちょっと昔の人の気持ちになって街を眺めてみる - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    たとえば、東京駅で山手線を待っているとき、向こう側に東海道線の電車がやってきます。オレンジ色の電光掲示で「東海道線」と表示されているのを見て「そうか、この時代でも東海道は東海道と呼ばれているんだなあ。すごい。」と思うんです。思わなくても。そうすると、ほんの少しだけ風景が変わってみえてきます。 電車なんかも、あらためて見ると「何、この蛇のような物体。すごい。」と思えてきます。金属でできた細長い物体が、いくつも連なって、ひとつひとつは固いのに、電車全体で見ると、線路の曲線に沿ってうねうねとしなやかに動いているんですよねえ。 線路は続くよ、どこまでも、ではないですが、新幹線の「博多」という表示を見ながら「少なくとも博多までは続いているということなんだよなあ。すごい。」と無理矢理思うと、少しだけ新鮮な気分になれます。 新幹線に乗ると、静岡あたりでは富士山とか、京都では五重塔とかが見えます。現代の街

    ちょっと昔の人の気持ちになって街を眺めてみる - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    memoclip
    memoclip 2009/04/13
    素晴らしいものは歴史の層を突き抜けていく。焼失しない、打ち壊されない等の、建築物のある意味「運」も必要だけど。
  • モバイルの時代 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    とあるキャンペーンを昨年に引き続き運営していて、去年に比べて変わったことがひとつあります。それは、モバイルのレスポンスが格段に増えたこと。昨年に比べると倍以上。これからはモバイルだよ、と言われてきましたが、いよいよ来たな、という感じです。 私がブログを書いていることを知っている会社の営業さんは、ケータイで読んでいるそうです。えっ、こんな長文ブログをケータイで読むのか、と思ったけれど、「話をあわせるために一応は毎日チェックしてるんだけど、じつは、途中まで読んで挫折していることが多いんですよね。人には言っちゃだめですよ。」なんてことを、その営業さんと一緒に仕事をしている制作さんから聞いて(すみません、ばらしちゃいました。でもそういうの偉いですよね。その営業さん、営業の鏡だと私は思います。)、まあそうだろうなと思ったわけなんですが、このブログでもケータイで読みました、なんてコメントをいただいた

    モバイルの時代 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチ報道は、新聞がネットユーザーから見直される絶好のチャンスだった。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    確かに、速報は新聞が速かったけれど、そのスピーチの全貌を日に伝えるのは遅かった。その全貌を日語で伝えたのは、新聞ではなく個人のブログだった。多くのブログで、コメントが書き込まれ、時間が経つにつれ、その翻訳は生き生きとした言葉に変わっていった。それを、一ネットユーザーとして眺めながら、なんとなく久しぶりにネットというのはいいものだと思った。 新聞はチャンスだったと思う。今の日の新聞は、どこもネットでサイトを持っている。なのに、どの新聞も速報とスピーチの部分引用だった。少なくともネットでは注目されていたし、新聞から全文および全訳が出ることを期待しているようだった。いくつかのブログでその日語訳を読みながら、いいスピーチだったと思ったし、いろいろ考えさせられる内容だった。 新聞あるいは通信社は記者を送っているはずで、その内容をライブで知る特権的な立場にあったはず。これだけの内容をライブで聴

    村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチ報道は、新聞がネットユーザーから見直される絶好のチャンスだった。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    memoclip
    memoclip 2009/02/19
    あと何回勝負できて、どれくらいあとに決着や道筋が見えてくるのだろう。 / 受賞前か後にでも、イスラエル(パレスチナは無理だよなぁ)を探訪したのだろうか。 / 紀行文発表とかあるのかのー。
  • 。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    私のエントリのタイトルには、「。」がついているのが多いです。それは、私がコピーライター系だからなんでしょうね。土屋耕一さんの世代は、キャッチコピーに「。」をはぶくことが多いように思いますが、それ以降の世代は、かたくなにコピーに「。」をつけたがるようです。「。」がつくとコミュニケーションのための言葉という感じがします。「。」がつかないと、タイトルというか、フレーズというか、そんな感じ。 そういえば、我々の世代はキャッチコピーと言いますが、その上の世代はキャッチフレーズと言いますよね。今日、電車に乗っていると、山田優さんが出演するユニクロのワンピースのポスターが貼ってあって、そのキャッチコピーが、たしかこんな感じでした。 ユニクロのワンピース。 あえて「。」をつけてるんですよね、きっと。「。」をつけることで、タイトルちゃいまっせ、メッセージでっせ、ということを、このコピーを書いたコピーライター

    。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 会社を辞めたいなあ、と思ったら、気休めに、このエントリを読んでみてくださいな。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    私は広告会社のクリエイティブ局に勤めています。いわゆる制作職ですね。テレビCMとか、ラジオCMとか、新聞広告とか、雑誌広告とか、ウェブ広告とか、ポスターとか、パンフとか、チラシとか、いろいろ作っています。広告コンテンツっていうやつです。 クリエイティブとは言いますが、実際には、制作職というのは、地道な作業の連続だったりします。とはいいつつも、広告会社にとってクリエイティブは表向きのわかりやすい看板だったりするので、組織の中では、けっこうやり玉にあげられやすい職種だったりもするんですよね。 「業績がふるわないのはクリエイティブが駄目だから。」 そんな話になりがちです。でもって、全社あげてのクリエイティブ強化運動がはじまります。元気があるのは、クリエイティブ以外の人たち。自分のことを棚に置いて、どうクリエイティブを強化していくのか、様々な意見が出てきます。 かの海外有名クリエイティブエージェン

    会社を辞めたいなあ、と思ったら、気休めに、このエントリを読んでみてくださいな。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 続・リテラシー考 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    リテラシーについて考えるとき、ひとつの出来事を思い出します。職場にて。私の席の隣に座っている、年配のクリエイティブ・ディレクター。彼は仕事で調べものがあったらしく、私に、ちょっとこの言葉の意味、ネットで調べてくれないかな、と言いました。私はちょっとめんどうだなと思うものの、Googleを使ってその言葉の意味を調べ、彼に教えました。すると、彼は、私に次から次へと依頼をするようになってしまいました。 何回か、そうしたやりとりが続いたとき、少し先輩のアートディレクターが、かなり思い詰めた口調で、その年配のクリエイティブ・ディレクターに言いました。 「それくらい自分で調べたらどうですか。迷惑なんですよ。」 私はそのとき、確か、いえいえ、こんなの簡単だから別にかまわないです、とか言って、その場を繕ったりした覚えがありますが、今も脳裏に焼き付いているのは、その年配クリエイティブ・ディレクターの寂しそう

    続・リテラシー考 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 魂は細部に宿る、か。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    前に写研の書体についてのエントリを書いて、そのエントリを読まれたとある方からメールをいただきました。そのメールのやり取りの中で、その方からある疑問というか質問がありました。山田洋次監督の「母べえ」のプログラムに使われている書体が美しいのだけれど、それが何かがわからないとのことでした。 写研の石井明朝かなと思って調べてみると、少し違うとのこと。なので、私は、いまどき写植を使うというのは稀でしょうから、モリサワのA1、もしくは字遊工房の「遊明朝体五号かな」、A-1というタイポグラフィーの会社から出ている「ZENオールド明朝」ではないかとお返事をしました。しかしながら、どうもそうではないらしく、その方曰く、「さ」の処理が違うとのこと。そして、メールにはそのスキャン画像が添付されていました。 これが、そのスキャン画像。確かに「さ」がゴシック体や普通の明朝体のように右上の部分が離れています。通常、A

    魂は細部に宿る、か。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    memoclip
    memoclip 2008/04/01
    一個正解。
  • それでも「はてな」はいいと思うんだけど。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    私は「はてなダイアリー市民」ではありません(って最近メモ用に開設した「はてなダイアリー」の管理画面に書いてあった。この「はてなダイアリー市民」ってなんだろう?税金を払ってないから市民になれないのかな。でも、まあ不都合がないからどうでもいいんですが。)。でも、ココログブロガーからすると、やっぱり「はてな」は他のネットコミュニティーと比べるといいなあと思います。あっさりしたIDのつながりというか、そんな感じが心地いいなと思います。他のブログサービスを利用しているブロガーが、サブブログで「はてな」を利用するの、分かる気がします。 半月ほど前に『「はてな」のこと少しわかってきた。』というエントリを書きましたが、そのときより「はてな」のことはもう少しだけわかってきたつもりだけど、まあ、あんまりそのときの気持ちと変わっていません。ネットに自発的にかかわってから半年もたたないので、わりとニュートラルにネ

    それでも「はてな」はいいと思うんだけど。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「はてな」のこと少しわかってきた。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    正直言って、「はてな」というサービスがよくわかりませんでした。昔からよく名前は聞くから存在くらいは知っていたし、自発的にブログを書き始めたのは最近だけど、ネットは昔から見てはいたので、「はてな」イコール「人力検索」と「はてなダイアリー」のイメージですね。 インターフェイスが少々複雑そうだし、「はてなダイアリー」は最近はそうでもないけど、昔は読んでいくと文中にリンクばっかりで、ふとしたことでリンクをクリックしてしまって、「いま読んででるとこなのに、もうっ!」って感じになって、ちょっとイライラするなあ、という印象。それに、ブログが出る前からあったから、レンタル日記のイメージもあったし。 当然、「はてな」という会社がいわゆる「へんな会社」というキャッチコピーのもと、たいへん面白い会社なんだということは知っていて、でも、そのサービスはいまいち不明。そんな感じがあったんですね。 私が「はてな」を意識

    「はてな」のこと少しわかってきた。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • ユニクロは、日本の人民服である。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    私、恥ずかしながら、って恥ずかしがる必要はないんですが、ユニクロのヘビーユーザーです。「ユニばれ」という言葉があるように、物のオシャレさんにとっては、あまり褒められたものじゃないけど、ユニクロって、便利でそこそこオシャレなんですよね。安価だし。 ユニクロがいまこうしたブランドになった経緯は、ファーストリテイリング会長の柳井正さんの著書『一勝九敗』(参照)に書かれていますので、興味のある方はを読んでみてください。広告業界にいるものとしては、やはり、ワンデン+ケネディのクリエイティブディレクターであるジョン・ジェイさんとの出会いが大きかったんだろうと思います。 で、私がワイデンがつくったユニクロの広告について得意な顔して語るのは、同業のはしくれとしてはあまりにも辛すぎるので(だって、素晴らしすぎるんだもん)やめときますが、私は、なんとなく、ユニクロって、戦争が終わっていろいろ苦労した末に、

    ユニクロは、日本の人民服である。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
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