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ブックマーク / blog.tatsuru.com (34)

  • グローバリストを信じるな - 内田樹の研究室

    Againの定例経営会議で箱根湯に集まり、平川くん、兄ちゃん、石川くんと日の行く末について話し合った。 EUの先行き、日のデフォルトの可能性から、TPPが「空洞化したアメリカ産業の最後の抵抗」という話になる。 いったいアメリカは自由貿易によって日に何を輸出して、どういうメリットを得るつもりなのか? この中心的な論点について、メディアは実はほとんど言及していない。 「TPPに参加しないと、『世界の孤児』になる」とか「バスに乗り遅れるな」というような、「自己利益(というよりは「自己利益の喪失)」にフォーカスした言葉が飛び交うだけで、「なぜアメリカがこれほど強硬に日のTPP参加を要求するのか?」という、アメリカの行動の内在的なロジックを冷静に解析した記事をメディアで見る機会はほとんどない。 まさか、アメリカが自国の国益はさておき日の国益を守るために完全な市場開放を日に求めているのだ

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    mhkj 2011/10/26
    比較優位論は知ってるんじゃないスか?常識でしょ?で、文面を見ると敢えてそれを否定しているという冒挙に出てるみたい。ならばなぜそれが暴挙なのか?で立論しないと議論になりません。それにその方が面白でしょ?
  • アンケートの続き - 内田樹の研究室

    若者と雇用について、アンケートに回答したら、さらに続きの質問が来た。 Q4 「人参と鞭」の教育を突き進めてきた米国であのような大規模なデモが起こっているのはなぜなのでしょうか? 日とはどこが違うのでしょうか? 日は戦後、米国から教育や民主主義の概念など多くを学び、米国的価値観をよしとしてきました。その日では連帯せず、米国では拡大している。この差についてどうとらえたらいいのか、ぜひ教えて下さい。 戦後日で大きな社会運動が起きたのはすべて「反米ナショナリズム」の運動としてです。 外形的には「左翼」主導の運動でしたので、質は見えにくいですが、そうなのです。 内灘闘争以来の反基地運動、60年70年の二次にわたる安保闘争、佐世保羽田に始まるベトナム反戦戦争などなど・・・巨大な動員をもたらした社会的な異議申し立ての運動はすべて質的には反米闘争(すなわち「日の主権回復闘争」)として行われま

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    mhkj 2011/10/23
    誰か統合象徴って書いてますが良いアイディア!不謹慎ですが震災がそれになるのなら亡くなった方々も少しは浮かばれるかな、などと考えました。震災直後、都会の通勤電車の中でさえ「何か」が垣間見えた気がします。
  • 雇用と競争について - 内田樹の研究室

    フェリスへの行き帰りの新幹線車中で、下村治『日は悪くない、悪いのはアメリカだ』(文春文庫)を読む。 先日、平川克美君に勧められて、これと『日経済成長論』を買った。 下村治は明治生まれの大蔵官僚で、池田勇人のブレーンとして、所得倍増計画と高度成長の政策的基礎づけをした人である。 1987年のだから、24年前、バブル経済の初期、アメリカがレーガノミックスで「双子の赤字」が膨れあがり、日では中曾根首相が「国民一人100ドル外貨を消費しよう」と輸出過剰を抑制しようとしていた時代のである。 24年前に書かれた経済分析のが、四半世紀を経てなおリーダブルであるということにまず驚かされる。 リーダブルであるのは、(リーマンショックによるアメリカ経済の崩壊を含めて)下村が指摘したとおりに国際経済が推移したからである。 これだけ長い射程で日米経済のありようを見通せたのは、下村のものを見る眼がきちん

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    mhkj 2011/10/20
    ↓賛否はともかく事実関係を調べたほうが?ここで言うブロックは植民地経済が前提。いわば大国同士の分捕り合いが飽和状態に達しさらに膨張をしようとした結果・・でも、今何となく雰囲気が似てますね。ソコ鋭いです
  • 多数派であることのリスクについて - 内田樹の研究室

    神戸新聞に隔週で「随想」というコラムを書いている(これが二回目)。神戸新聞を読んでいない方のために再録しておく。 これは先週書いたもの。 橋下大阪府知事は、持論である大阪都構想に賛成の市職員を抜擢し、反対する市職員を降格するためのリスト作りを維新の会所属の大阪市議に指示した。 首長選の候補者が選挙に先立って公約への賛否を自治体職員の「踏み絵」にするというのは異例の事態である。 公務員が遵守義務を負うのは、憲法と法律・条例と就業規則だけのはずである。「大阪都」構想は、その当否は措いて、今のところ一政治家の私念に過ぎない。それへ賛否が公務員の将来的な考課事由になるということは法理的にありえまい。 まだ市長になっていない人物が市職員に要求している以上、これは彼に対する「私的な忠誠」と言う他ない。彼はそれを「処罰されるリスクへの恐怖」によって手に入れようとしている。 私はこの手法に反対である。 脅

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    mhkj 2011/09/20
    確率論の話ですが複数回答で成員全員が消極的な投票行動を取った場合、かなりの確率で最悪の人が選ばれるそうな。あと、ナチスは独裁を「究極的な民主主義」と考えていたそうです、支持者は戦後口を拭ったとしても。
  • 情報リテラシーについて - 内田樹の研究室

    朝日新聞の「紙面批評」に書いたものを再録する。 長すぎたので、紙では数行削られているが、これがオリジナル。 「情報格差社会」 情報格差が拡大している。一方に良質の情報を選択的に豊かに享受している「情報貴族」階層がおり、他方に良質な情報とジャンクな情報が区別できない「情報難民」階層がいる。その格差は急速に拡大しつつあり、悪くするとある種の「情報の無政府状態」が出現しかねないという予感がする。このような事態が出来した理由について考えたい。 少し前まで、朝日、読売、毎日などの全国紙が総計数千万人の読者を誇っていた時代、情報資源の分配は「一億総中流」的であった。市民たちは右から左までのいずれかの全国紙の社説に自分の意見に近い言説を見いだすことができた。国民の過半が「なんとか折り合いのつく範囲」のオピニオンのうちに収まっていたのである。これは世界史的に見ても、かなり希有な事例ではないかと思う。 欧

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    mhkj 2011/09/17
    そう読めます。本質的に主体は陰謀論者なのかと。この辺の消息に敢えて触れないのはこの手の立論は嫌でも呪詛になってしまうから?ただそれを胡散臭さと見る人も多い様子。そうならない具体策、続編に期待してます。
  • 内田樹の研究室

    ローカリズム宣言 地方移住のための情報誌「TURNS」で2年間ほど連載していたインタビューを採録しました。グローバル資主義の終焉、少子高齢化による過疎化と限界集落化という現実を踏まえて、「地方移住・帰農・山河の回復」というオルタナティブについて提言をしております。 昨日うかがった話では、地方移住支援のためのある NPO の窓口を訪れた人は去年一年で 25,000 人、10 年前の 10 倍にのぼるそうです。半数以上が 20 代 30 代とのこと。 この趨勢はもう止まることがないでしょう。 デコ/2017-12-07 変調「日の古典」講義 安田登さんと二人であちこちで行った対談の集成。話題は『論語』から能楽まで多岐にわたります。安田さんが何か驚くべきことを言うとこちらも負けじとさらに驚くべきことを言い、安田さんがそのような挑発を受け流すはずもなく、さらに驚くべき話で切り返す・・・という悪

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    mhkj 2011/09/06
  • 学ぶ力 - 内田樹の研究室

    「学ぶ力」という文章を書きました。中学二年生用の国語の教科書のために書き下ろしたものです。が届いて、読んでみたら、なかなか「なるほど」と思うことが書いてあったので(自分で言うなよな)、ここに再録することにします。 中学二年生になったつもりで読んでね。 「学ぶ力」 「学ぶ力」 日の子どもたちの学力が低下していると言われることがあります。そんなことを言われるといい気分がしないでしょう。わたしが、中学生だとしても、新聞記事やテレビのニュースでそのようなことを聞かされたら、おもしろくありません。しかし、この機会に、少しだけ気を鎮めて、「学力が低下した」とはどういうことなのか、考えてみましょう。 そもそも、低下したとされている「学力」とは、何を指しているのでしょうか。「学力って、試験の点数のことでしょう」と答える人がたぶんほとんどだと思います。ほんとうにそうでしょうか。「学力」というのは  「試

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    mhkj 2011/09/05
    こども向けの文章を大人として読めず・・・こどもとして読んでしまい大混乱(恥)いや!こども向けの文章を大人として読みつつ仮にこどもになったつもりで?いやいや!!より大局的見地で!?いやいやいや・・←アホ
  • 「まったなし」を待っていただけないでしょうか。 - 内田樹の研究室

    民主党の代表選挙があった。 一国の総理大臣を決める選挙なのだが、あまり盛り上がらない。 私自身も選挙結果にそれほど興味がない。 日政治過程は成熟期にあり、誰が総理大臣になっても、それほど違いが出ないようにシステムが作り込まれているからである。 安全と言えば、安全だし、不活性的と言えば、不活性的である。 東日大震災以来の官邸の対応について「スピード感がない」という批判が繰り返されたが、たぶん「スピード感がない、だらだらしている」というのが成熟期に入った政治プロセスの特徴なのだろう。 「スピード感がない」というのは、いまの政治を否定的に論評するときの流行語になっている。 同じように「まったなし」というのが財政危機や景況についての形容の定型になっている。 状況は「まったなし」で切迫しているのであるから、「スピード感のある」対応が必至である、という言明は整合的なように聞こえるけれど、こういう

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    mhkj 2011/08/31
    「私は決断した、だが何を決断したのか分らない」←ドイツで決断主義というのが流行った時の落書きです。似たのを見つけてきました「決める進める自民党」「ススメ壱億ヒノタマダ、ナニガナンデモヤリヌクゾ」あらま
  • ミスマッチについて(再録シリーズその3) - 内田樹の研究室

    2011年4月26日 震災復興と原発処理で政府の動きがもたついている。非常事態なのだから、手順通りにことが進まないのは仕方がない。だが、役所的な慣例やマニュアルは非常事態に最適ソリューションを選択する場合にしばしば阻害要因となるということは覚えておいた方がいい。 阪神大震災のとき、私の友人の外科医はニュースを見て、すぐに車に医薬品を積み込んで、東京から神戸までやってきた。市役所を訪ねて、どこで医療活動をすべきか訊いたが、市庁の役人はボランティアの医療活動はまだ制度整備されていないし、宿泊や事の手当てもできないので、とりあえず帰ってくれと彼に言ったそうである。医者は仕方なく近くの小学校で場所を借りて、勝手に外科診療を数日間行ってから東京に戻った。 今回の被災地でも、避難所に300枚毛布が届けられたが、被災者が500人いたので、不公平になるといけないという理由で毛布を配布しなかったという事例

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    mhkj 2011/08/29
    もし、自分がその場にいたとして、ちゃんと配れたか?自信がないです。仮に、それが例えば300人分の生鮮食料品だったら・・・(うわっ!) 救援物資も社会も時間も、そして人間も生物(=なまもの)なんでしょうね。
  • 秀才について(再録シリーズその2) - 内田樹の研究室

    東北関東大震災から二週間が経った段階でこの原稿を書いている。被害の規模はまだ確定していない。原発事故の先行きも不透明である。それでも、東電と政府の初動に問題があったことはほぼ確かとなった。「海水投入による廃炉」を初期段階から検討していたら、被害はここまで拡大しなかっただろう。国民の多くはそう思っている。なぜ、その決断ができなかったのか。私はこの「遅れ」のうちに日型秀才の陥るピットフォールを見る。 秀才は判断が遅い。ことの帰趨が定まったあとに「勝ち馬に乗る」ことで彼らは成功してきた。その成功体験が骨身にしみついているので、彼らは上位者の裁定が下る前にフライングすることを病的に恐れる。ひとたび「正解」や「勝者」が示されると、素晴らしいスピードでその責務を果たすけれども、「どうふるまっていいかわからないとき」にどうふるまうべきかは知らない。つねに正解してきたせいで、危機的局面においてさえ、秀才

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    mhkj 2011/08/27
    日本の姿そのものとダブります。でも普通、有能なイエスマン集団とペアになるのは独裁者なんですが、日本の場合今までは宗主国様でしょうか。だとすれば日本で独裁者を受容する素地が出来ている事になります。←呪?
  • 再録しますね(1) - 内田樹の研究室

    菅内閣の支持率が20%を切った。末期的な数値であるから、もう政権は長くは保つまい。だが、「次の内閣」に私たちはどれほどの期待を託すことができるのだろう。 わが有権者たちは久しく政治の不調を統治者の個人的無能に帰してきた。「総理大臣が無能だから、外交も経済もうまくゆかないのだ」とメディアは書き立て、野党政治家たちもそう言ってきた。だから、「首のすげ替え」以外の選択肢はないのだと。そうやって過去5年間、私たちは一年に一人の割合で総理大臣の首をすげ替えてきた。 システムの失調を特定の個人の無能や悪意に帰して、それを排除しさえすればシステムは復調するという思考法に私たちは深くなじんでいる。「首相のすげ替え」も「小沢おろし」もその意味で思考パターンに代わりはない。けれども、そのようにして私たちの社会からは「公民」というものが消え失せつつあることについては自覚的であらねばならない。 「公民」とは自分と

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    mhkj 2011/08/27
    そして、その後チリが長い社会的動乱期を迎えたのは事実。負けたら終わり、世知辛いですが。で、不覚にも少し小沢さんに期待してしまいました←アホ。苦しんでいる地元を放っておいて、原点回帰って一体どこに帰るの
  • ラジオについて - 内田樹の研究室

    子守康範さんのMBS「朝からてんこもり」に三月に一度ペースで出演している。 早起きするのがたいへんだが、ラジオにかかわっている人は、なぜかみんな気分のいい人ばかりで、仕事はたのしい。 同じメディアなのに、どうしてテレビや新聞とラジオとでは、こんなにキャラクターが違うのかとときどき思う。 たぶんラジオは「声」だけでリスナーとつながっているからだと思う。 声はその人の「正味のところ」がかなりむき出しになる。 話している内容のコンテンツがうまく理解できなくても、その人が「自分に向かって語りかけている」かどうかは理解できる。 それはその人が発する声の中に「自分の声域と周波数が合う音」が含まれているからである。 価値観が合うとか、趣味が似ているとか、イデオロギーや信教になじみがいいとか、そういう顕在的なレベルの出来事ではない。 もっと身体的で、もっと深いレベルの出来事である。 「声の深い人」というの

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    mhkj 2011/08/25
    大メディアの思想的な凋落は良く知りませんが商売的にもどうか?CMの費用対効果増々下がりそう、ネットも同様。第一、PCや携帯がいつまでも格安で入手できる?オカシイでしょ?地域密着で安価なラジオの出番ありか?
  • 教育基本条例について - 内田樹の研究室

    大阪維新の会が教育条例の素案をまとめた。 知事・市長による教育目標の設定や教育委員の罷免権など、教育委員会に対する政治主導を明記したほか、校長による教職員への権限強化など組織管理の徹底も打ち出している。 その趣旨は基条例の冒頭に示されている。 「教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかったという不均衡な役割分担を改善し、政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ばなければならない」。 教育の独立性についても、従来の教育現場からは違和感のある理解が示されている。 「教育政治的中立性や教育委員会の独立性という概念は、従来、教育行政に政治は一切関与できないかのように認識され、その結果、教員組織と教育行政は聖域扱いされがちであった。しかし、教育政治的中立性とは、来、教育法(平成18年法律第120号)第14条に規定されていると

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    mhkj 2011/08/23
    学校だけでは難しいかと。家族というかそれを支える共同性が壊滅的では→玉子と鶏。私は共同性という言葉が嫌いですが被災地の方々の振る舞いを見て少し考えを改めました。そこがダメージを受けてしまい・・←人事?
  • 8月の備忘録 - 内田樹の研究室

    Twitterに身辺雑記、ブログに演説というふうにわけたのはいいけれど、「日記」代わりに使うにはブログの方がずっと使い勝手がよい(Twitterは記事が多すぎるし、どうでもいいことばかり書いてあるので、あとから検索するときにたいへんである)。 というわけで、備忘のため定期的にブログに「業務日誌」を記録しておくことにしている。 6月7月はあきらめて、8月から。 8月1日(月)午前、産経新聞電話取材。午後名古屋で名越先生、橋口いくよさんとの『ダ・ヴィンチ』鼎談。引き続き、原発の話。『スター・ウォーズ』について『BRUTUS』で名越先生と徹底討論するという企画、日程が苦しいので一度断ったのだが、お会いしたら、「ウチダセンセが断ったから、ぼく一人でやることになったの」と寂しそうな顔をされていたので、急に気が変わって、対談することに一決。 8月4日(木)鷲田清一先生最終講義。阪大総長として最後の講演

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    mhkj 2011/08/23
    必ずしも悪いことでもなく、原発御用学者の綺麗事を思えば。逆に市場原理やビジネス言葉の信者は単純に「役立たずは死ね、査定者は自分だ」と言っているだけですが。で、センサーとか共同性の話になるんですが・・・
  • 感情表現について - 内田樹の研究室

    海江田経産相が国会で落涙したことについて、週刊現代から電話取材を受けた。 「どう思いますか?」と訊かれたので、こんなふうに答えた。 どうして「そういうこと」が起きるのか。 理由は二つ考えられる。 一つは「感情表現が抑制できない人が増えている」という解釈。 一つは「感情表現について抑制的である必要はない」という考え方が広く定着したという解釈。 たぶん、その両方の理由によるものだと思う。 感情は自分の内面に根拠をもっていると私たちは思いがちだが、ほんとうはそうではない。 脳科学が教えるところによれば、私たちは感情を外部にあるものの模倣を通じて学習するのである。 ミラーニューロンの働きについてはこれまでも何度も書いてきた。 他人がある動作をしているときに、それを見ているものの脳内ではそれと同じ動作を指示するニューロンが発動する。 ミラーニューロンは、行為をするときにも、知覚するときにも動くのであ

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    mhkj 2011/08/10
    まっ私の事ですが。政治家は意図的カモですが、誰でもない=誰でも良い=居なくて良い状態にカヨワイ個人が耐えられるのか。「お前は〇〇だ!」という言葉に易々と乗りそう。こう書くと「呪」になっちゃうんでしたね
  • 歩哨的資質について - 内田樹の研究室

    毎日新聞社が高野山金剛峯寺で開いているセミナーで一席おうかがいしてきた。 「公共性の再構築」という演題だったのだが、それは3・11以前に出したものなので、もう少し踏み込んで「社会制度の作りなおし」というテーマで70分お話しする。 このところ繰り返し述べている「存在しないもの」と「存在するもの」のフロントラインにおけるふるまいということをまた申し上げる。 私たちの世界は「存在しないもの」に囲繞されている。 宇宙の起源を私たちは知らないし、宇宙の果てに何があるか(というより「何がないか」)も知らない。 時の始まりを知らず、時の終わりを知らない。 『ヨブ記』で主はヨブにこう問う。 「わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。 あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。 あなたは知っているか。 だれがその大きさを定め、 だれが測りなわをその上に張っ

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    mhkj 2011/08/07
    その事の側面かと。だからこそセンサーが逆に働く様な事もあるのでは?この手の話を頭から否定したり逆上したり、そんな人でも鋭い人はいます。私は鈍いですが。危急の今だからこそ夫々が出来る事からコツコツと?笑
  • ネット上の発言の劣化について - 内田樹の研究室

    個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。 攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。 これについては、前に「情報の階層化」という論点を提示したことがある。 ちょっと長い話になる。 かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。 讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。 その頃の日人は子どもも大人も、男も女も、知識人も労働者も、「だいたい同じような情報」を共有することができた。 政治的意見にしても、全国紙の社説のどれかに「自分といちばん近いもの」を探し出して、とりあえずそれに同調することができた。 「国論を二分する」というような劇的な国民的亀裂は60年安保から後は見ることができない。 国民のほとんどはは、朝日から産経まで、どれかの新聞の社説を「口

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    mhkj 2011/08/01
    で、自己責任論宜しく〇鹿はより〇鹿になる。この流れは現実です。「そう言うお前が一番馬鹿!」的な突っ込みはあるにしても。私と一緒に座して死を待つのが嫌な人はココより他でやる事があるのでは?呪で~す(笑)
  • 140字の修辞学 - 内田樹の研究室

    Twitterに「愚痴」、ブログに「演説」というふうに任務分担して、書き分けることにしたら、ブログへの投稿が激減してしまった。 たしかにTwitterは身辺雑記(とくに身体的不調の泣訴や、パーソナルな伝言のやりとり)にはまことに便利なツールであるけれど、ある程度まとまりのある「オピニオン」を書くには字数が足りない。 わずかな字数でツイストの効いたコメントをするというのも、物書きに必要な技術のひとつではあろうが、「それだけ」が選択的に得手になるのは、あまりよいことではない。 というのは、「寸鉄人を刺す」という俚諺から知られるように、「寸鉄」的コメントは破壊においてその威力を発するからである(「寸鉄人をして手の舞い足の踏むところをしらざらしめる」というような言葉は存在しない)。 何より、一刀両断的コメントは、書いている人間を現物よりも150%ほど賢そうに見せる効能がある。 一刀両断的コメントの

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    mhkj 2011/07/31
    はい、すんません。でも、この「はてな」は書き換えが何度でも出来るので重宝してます。
  • 「存在しないもの」との折り合いのつけ方について - 内田樹の研究室

    ニ期倶楽部というところがやっている「山のシューレ」という催しに呼ばれて、那須高原で二日過ごした。 能楽師ワキ方の安田登さんが対談の相方にお呼び下さったのである。 お題は「能の身体性、能の霊性」。 これまで安田さんとは能楽について何度か対談している。そのつど、だんだん話が深くなる。 先方は玄人、こちらは馬齢は重ねても所詮素人であるから、専門的なことはよくわからない。 けれども、二人とも興味があることが近い。 それは「存在しないもの」とのコミュニケーションである。 「存在しないもの」、端的には「死者」のことあるが、より広く「絶対的他者(Autrui)」と呼ぶこともできる。 神も悪魔も、すべての神霊的なもの、天神地祇、妖精も鬼も河童も山姥も含めて、「存在しないもの」と呼ぶことができる。 「存在しないもの」は「存在するとは別の仕方で」(autrement qu'être) 私たちに「触れてくる」。

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    mhkj 2011/07/31
    詳しいことは知りませんが舞台の上に張った結界が印象的でした、実は能を成立させる要だったりして・・でも安価で、携帯、取替えさえ出来ると言う妙。学問も芸(術)もああいうのが良いな。でも、お題は身体性かぁ。
  • 若者よマルクスを読もう・韓国語版序文 - 内田樹の研究室

    石川康宏先生との往復書簡『若者よマルクスを読もう』 韓国語版のためのまえがきを書きました。 韓国語版だけについているものなので、ハングルを読めない日人読者のためにここで公開することにしました。 すでに韓国語版としては『下流志向』と『寝ながら学べる構造主義』が翻訳されているので、これが三冊目になります。では、どぞ。 韓国の読者のみなさん、こんにちは。内田樹です。 このたびは私と石川先生の共著の「若者よマルクスを読もう」をお買上げいただき、ありがとうございました。まだお買上げではなく、書店で手に取っているだけの方もおられると思いますが、これもご縁ですから、とりあえず「まえがき」だけでも読んでいって下さい。 どうしてこんなを書くことになったのか、その事情は「まえがき」にも詳しく書いてありますが、もちろん第一の理由は、日の若者たちがマルクスを読まなくなったからです。 マルクスは1920年代か

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    mhkj 2011/07/17
    以上言わば上部構造?ただ、以前(以前ていつ?)の大人ってそんなに?組織に埋没し自分の判断がない原発村体質って既にそこから始まっているのでは?でもマルクス面白い!少し読みました、でも意見は子供ですね(恥