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2012年3月11日のブックマーク (2件)

  • 『日本辺境論』韓国語版への序文 (内田樹の研究室)

    『日辺境論』が韓国語訳されることになって、序文を頼まれたので、それを書いた。 『日辺境論』は中国韓国の読者をつよく意識して書いた日文化論であるので、これが韓国語に翻訳されることは書き手としてたいへんにうれしい。 どういう受け取り方をされるのか、興味がある。 これは私の著作の中では(たぶん)四冊目の韓国語訳である。 あちらの出版社がどういう基準で選書して、翻訳しているのか、ラインナップをみても、正直言ってよくわからない(『下流志向』、『寝ながら学べる構造主義』、『若者よマルクスを読もう』、そして書)。 なんとなくわかるのは、「学術的にいささかややこしい話」を「コロキアルなことば」に置き換えて説明するという「学術言語と生活言語のブリッジ」という仕事に、韓国の学者たちはあまり熱心ではないのではないかということである。その「ニッチ」を埋めるような書き手を韓国の読者たちもなんとなく求めてい

    mhkj2
    mhkj2 2012/03/11
    「辺境論」は面白かったんですが、「日本はヤッパ特別に素晴らしいor ダメ」と読まれかねないな~、同じ様な条件の国はありそうなのに?(よく知りませんが)と思ってたので韓国の読者の感想をぜひ聞きたいです。
  • 不便さと教育 - 内田樹の研究室

    丸善が出している『學鐙』という雑誌に教育論を寄稿した。 一般の方にはあまり手に取るチャンスのない媒体なので、ここに採録しておく。 不便さと教育 というタイトルを頂いて原稿を書くことになった。たぶん「教育と効率」の背馳について論じて欲しいというのが編集部の趣旨であろうと思うので、それについて書くことにする(違ったらごめんなさい)。 教育と効率は質的になじまない。というのは、効率というのは、「単位時間内の仕事量」を以て考量するものであるが、教育がそのアウトカムを計測するときの時間の幅は原理的に「その人が死ぬまで」というもので、「単位時間」を切り出すことができないからである。 もちろん、無理をすれば単位時間を切り出して(「1時間以内の」とか「一学期以内の」とか「卒業時までの」とか)教育のアウトカムを考量することもできないことではない。 けれども、そこではじき出された数値は、教育を受ける人にと

    mhkj2
    mhkj2 2012/03/11
    お話は、創り込みすぎない事と(可能性を摘んでしまうとの由)「型」の重要性について、と解釈。勿論こんな簡単なお話ではないですが。矛盾する?でも作品はそうとしか言えないものでした。人も同じ?能や武道では?