私たちの暮らしの中で、情報の「共有」が当たり前になった。なにか面白いことがあったらすぐにFBやLINEやTwitterで誰かに伝えたくなる。「共有」することが新しい価値を生む――なんて言説をしばしば目にする。 けれど、それは目の前にいる誰かに伝えるよりも優先すべきなのか。 電車のなかで並んでiPhoneをいじってるカップルを見ると、考えてしまう。 あなたが言葉を交わすべき相手は、ケータイの向こう側の誰かなの? すぐ隣にいるその人ではないの? どんな情報であれ、ある程度の「熟成」を経なければ共有する価値はないと思う。 速報的な情報なら別だけど、ちょっとした思いつきやひらめき、感情は、誰かに伝える前にきちんと熟成させないとダメだ。ただ情報を右から左に流しているだけでは、新たな価値は生まれない。情報をコピペしているだけでは、私たちは新聞紙と同じになってしまう。私たちの脳は紙と同じになってしまう。