ブックマーク / magazine-k.jp (372)

  • 「真の名」をめぐる闘争

    最初から言い訳がましい話になるが、このエディターズノートは毎月、月初に書くことにしている。しかし今月はずるずると月中を過ぎても書けず、いっそのこともうやめようかとさえ思いつめた。その理由をまず最初に述べる。 崩壊後の風景 月初に書くという趣向は、もともと小田光雄さんの「出版状況クロニクル」に合わせたいという気持ちがあったからだ。日の近代出版流通システムが崩壊していくさまを、長年にわたって出版統計等の数字で跡づけ続けている小田さんのブログを読んでいる出版業界人は多く、私もその一人なのだが、そのタイミングで毎月、出版時評をやるつもりでいた。 しかし、日の近代出版流通システムはもう事実上、崩壊している。その影響は様々なところにあらわれているが、昨年12月の「アイヒマンであってはならない」で紹介した永江朗さんの書いた『私は屋が好きでした』が指摘する、いわゆる「ヘイト」(ただしこれには留保が

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    min2-fly 2020/02/26
  • 出版をささえる「志」について

    あけましておめでとうございます。おかげさまで「マガジン航」は創刊11回目の新年を迎えることができました。年もどうぞよろしくお願いいたします。 *  *  * この年末年始は、戦後の出版史にかんするをずいぶん読んだ。いま、日の出版界は「再起動」が求められている。そのための手がかりがみつかるのではないかと思ったからだ。 ちょうど中央公論新社から、みすず書房の創業者・小尾俊人の1965年から85年にかけての詳細な業務ノートが『小尾俊人日誌 1965-1985』として刊行されたので、このをきっかけに『小尾俊人の戦後――みすず書房出発の頃』(みすず書房)を読み、続けてこのの著者である宮田昇さんが書いた『戦後「翻訳」風雲録』(の雑誌社)とその改訂版『新編 戦後翻訳風雲録』(みすず書房)を読んだ。さらに『風雲録』でも詳細に触れられているSF作家・翻訳者の福島正実の自伝、『未踏の時代――日S

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    min2-fly 2020/01/14
  • 批評のありか

    第20信(藤谷治から仲俣暁生へ) 仲俣暁生様 明けましておめでとうございます。 旧年中は大変お世話になりました。とりわけ、田中和生さん、瀧井朝世さんと共に毎年末来ていただいているB&Bでの「フィクショネス文学の教室」では、僕のオタオタした、いい加減な進行を大いに助けていただいたばかりでなく、面白いお話をたくさん伺えました。 お三方にその年の文学的な収穫や話題をお話しいただいてイベントを価値あるものにしていただくのは、いつものことなのですが、昨年末については特にありがたい気持ちが強かったです。というのも、イベントでも打ち明けましたが、昨年の僕は、文芸に限らず「新刊書」というものを、殆どまったく読んでいなかったからです。お越しいただいたお客様に、「今年の収穫」を紹介すべきイベントで、手持ちのカードが1枚もないというのは、大袈裟にいえば悪夢の中にいるようでした。もっともほかのお三方が書評・批評・

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  • 代わり映えのなさ、という強さ

    第19信(仲俣暁生から藤谷治へ) 藤谷治様 夏場に最後に手紙をやり取りしてから、またずいぶん間が開いてしまいました。去る10月に出版学会の催しとして行った「マガジン航」十周年の講演に、わざわざ足を運んでくださりありがとうございます。これからものんびりと、このウェブメディアをまわしていくつもりです。 先の手紙であいちトリエンナーレについて色々とやりとりした後、日帰りで名古屋と豊田の展覧会場を見てきました。「ニューズウィーク」のオンライン版や「マガジン航」にも書きましたが、その際の感想をひとことで言うなら、3年ごとに行われるこの芸術祭は、ある程度まで地域に根付いているのだなというものでした。 国際的な芸術「展」であることと、地域の芸術「祭」であることを矛盾なく両立させるのは、想像するだに大変な作業ですが、オンラインや現実の場ではしたない攻撃にさらされ、一旦は休止せざるを得なくなったホワイトキュ

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  • 第4回 『小林秀雄全作品』を売る者の悲劇

    思わぬに出会う、それがブックオフを歩く楽しみだ。そこで出会った意外なをいったい誰が売ったのか、それはどんな経緯で売られたのか、考えると楽しみは尽きない。それもまた、ブックオフを楽しむ戦術かもしれない。そしてその奥には、ブックオフから醸し出される悲劇が見えることだってある。前回までの連載と少しテイストは異なるが、これもまた一つの「戦術」だ。ブックオフをめぐる想像と思考の旅を楽しもう。 『小林秀雄全作品』との邂逅 それはブックオフ上野広小路店でのこと。いつものように店内を物色していると突然それは現れた。 『小林秀雄全作品』 日を代表する評論家、小林秀雄が生涯で残した莫大なテキストが、全28巻の中にすべて収められている。そのすべてがこの棚にあるのだ。 壮観だ。奥付を見るとすべて同じ版だから、きっと誰かが一度に売ったのだ。しかし一体誰だ、これを売ったのは。試しに一冊取って中を見る。驚くべきこ

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  • 奥多摩ブックフィールドに行ってきた

    三連休の初日である11月2日、奥多摩ブックフィールドに行ってきた。しばしば「東京の水がめ」と称される小河内貯水池(奥多摩湖)の突き当りに、旧奥多摩町立小河内小学校の建物を利用した多目的スペース「奥多摩フィールド」がある。その旧職員室と校長室を利用して昨年の春にオープンした図書館だ。正式名称は「山のまちライブラリー・奥多摩ブックフィールド」だが、以下の記事では単に奥多摩ブックフィールドと呼ぶことにする。 公式サイト内にある開設顛末記にあるとおり、ここは基的にはプライベート・ライブラリー、すなわち個人蔵書の置き場である。主宰者の一人である「どむか」さんは私の知人であり、以前から置き場に困っているを何人かで場所を借りて移すという話を聞いていた。 もう一つ、以前に「出版ニュース」編集長の清田義昭さんとお会いした際、同誌の休刊後、出版ニュース社に置いてある出版関連資料をこの場に移すという話も伺っ

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  • 第3回 ブックオフを「戦術」的に考える

    をめぐる新しい秩序? 随分と連載の期間が空いてしまった。 私たちはブックオフという空間について考えてきた。ここまでの議論においてうっすらと見えてきたのは、ブックオフ的空間の特殊さだ。それは、これまでのをめぐる環境とは全く異なる秩序に支えられている。そんな推論を私たちは立てていた。覚えていらっしゃっただろうか。 ここから考えていかなければならないのは、では、この「ブックオフの秩序」というのは具体的に何を表しているのか、ということである。 残念なことに、今、それに応えることはできない。なぜならば、その問いに答えることこそが、連載の目的だからである。ここまでのパートはいわば議論のセットアップである。 ブックオフという空間には、どうもこれまでの書物とは異なる価値観が眠っているらしい。ではその価値観とは何か。おそらくいくつかのヒントは、過去2回分の連載で登場しているだろう。ただし明確にはわから

    第3回 ブックオフを「戦術」的に考える
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    min2-fly 2019/10/29
  • デモのなかで生まれる香港のポリティカル・ジン

    香港で逃亡犯条例に反対する百万人デモが行われた6月9日、私は小出版物のイベントnot big issueに参加するため台北にいた。 さっそく「香港がたいへんなことになっているね」と、何人かの現地の知人に言うと、言葉少なに頷き少し表情を曇らせた。 一国二制度の香港と両岸問題の台湾では事情は違うが、ともに中国と緊張関係にあり、香港市民に対する理解と共感は大きいはず、と勝手に思っていたのだが、彼らの胸中は複雑だった。 台湾の蔡英文総統は早くに香港市民支持を表明したが、1987年の戒厳令解除後の民主化の歩みとともに成長した若い世代は、2020年1月の総統選で政権交代があれば親中路線に向うだろうと、後日、将来への不安を口にした。また日で働く台湾人の友人は「状況次第では日仕事を続けようかな」と。香港問題を自身に引きつけて考えると、いつになく空気が重くなるのであった。 ZINE COOPとの出会い

    デモのなかで生まれる香港のポリティカル・ジン
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    min2-fly 2019/10/29
  • 「本の未来」はすでにいま、ここにある――創刊十周年を期して

    「マガジン航」は2009年10月20日に創刊された。ちょうど十年の節目にあたるので、当時のことを少し振り返ってみたい。 2009年はどんな年だったかといえば、グーグル・ブックサーチ集団訴訟の余波が日に及んだ年である。この集団訴訟をめぐる経緯はきわめて複雑なため、ここでは詳しく言及しないが、一言でいえば、旧態依然とした出版業界のあり方が強力な外圧によって変化を迫られた、まさに「黒船」騒動だった。グーグル電子書籍市場への参入は、出版業界だけでなく政治の世界をも巻き込み、電子書籍についての議論が格的に動き出すきっかけとなった。 すでにアマゾンは2007年に北米でKindleと名付けた電子書籍サービスを開始しており、日ではいったん終息したこの分野に再び火がついた。2010年1月にはアップルが初代iPadを発表し、出版のあらたなプラットフォームになるのではとの期待が集まった。グーグル、アップ

    「本の未来」はすでにいま、ここにある――創刊十周年を期して
  • 表現の自由を支える「小さな場所」たち

    このエディターズノートはいつも月初に書くことにしているのだが、今月はあまりにも考えなくてはならないことが多すぎて、一週間以上もずれ込んでしまった。 先週はあいちトリエンナーレ2019を見るため、名古屋市と豊田市を駆け足でまわってきた。参加作家の一人である「表現の不自由展・その後」の展示内容に対する批判や抗議、さらには展示続行を困難にさせる職員等への脅迫的言辞もあり、わずか開催3日で同展が中止に追い込まれた経緯は、報道などを通じてご存知のとおりである。 「表現の不自由展・その後」という企画展のタイトルに「表現の自由」という言葉が含まれていたこともあり、展示中止の経緯は「表現の自由」をめぐる議論を喚起した。この言葉には多様なニュアンスが含まれるが、第一義に意味するのは日国憲法第21条で保証されている、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現」の自由であろう。これらに対しては、事前であろうと

    表現の自由を支える「小さな場所」たち
  • 突き破るべき地面はどこに

    第18信(藤谷治から仲俣暁生へ) 仲俣暁生様 数年前に「フィクショネス」をたたみ、昨年は仕事と書庫のために借りていた「隠れ家」も引き払って、この一年はずっと自宅で仕事をしていたのですが、最近はまた河岸を変えています。 家から自転車で十五分くらいのところにある、ちっぽけな図書館の資料閲覧室に資料やゲラやノートを持ち込んで、ガリガリやっているのです。最初は、ちょっと気分を変えられたら、くらいの気持ちでしたが、これが実に具合がいい。 隣席との間に仕切りのある机と椅子がいくつか並んでいて、棚には百科事典や便覧のたぐいが置いてあり、いつも六分から八分の席が埋まっていて、高校生が受験勉強をしていたり、退職したらしきオジサンオバサンが資格試験のを読んだりしています。コンセントもなければヘッドライトもありません。特定の席でしかパソコンを使うこともできません。その特定の席でも、Wi-fiがないからネット

    突き破るべき地面はどこに
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    min2-fly 2019/08/29
  • インフラグラムから遠く離れて

    第17信(仲俣暁生から藤谷治へ) 藤谷治様 ここ数年すっかり当たり前になった酷暑も、どうやらお盆明けで一息つき、心身ともにようやくお返事を書ける状態になりました。体はともかく、気持ちのほうもぐったりしていたのは、8月のはじめに起きたあいちトリエンナーレをめぐる事件の動向を追うので精一杯だったからです。 8月1日に開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の展示企画の一つである「表現の不自由展・その後」が、展示内容に対する「市民」からの激烈な抗議と、会場への放火などをほのめかす悪質な攻撃によって、わずか3日間で公開中止に追い込まれました。たとえ愉快犯にせよ、京都アニメーションに対する凄惨な放火事件の直後に、その痛々しい記憶を材料とする脅迫行為がなされたことには、ひどく暗澹たる気持ちになりました。 今回のあいちトリエンナーレに対して僕は、開幕前から少なからぬ関心を抱いていました。トリエ

    インフラグラムから遠く離れて
  • 雑誌売上の減少問題を製品マーケティングの観点から考える

    『出版月報』2019年1月号によると、冊子形式の雑誌の売上は21年連続で縮小しており、休刊点数が創刊点数を上回る状況が10年以上続いている。もはや、分野によっては雑誌媒体が消滅する可能性も考慮せざるを得ない事態である。こうした問題は、通常、出版業界の視点から取り上げられることが多い。しかし、雑誌のビジネスモデルでは購読料収入と広告収入を車の両輪としているため、雑誌の消滅によって影響をうけるのは出版業界だけではない。 雑誌広告を利用している広告主にとっては、製品やサービスのマーケティング手段として雑誌広告が使えなくなるという問題である。ここでは主にソフトウェア製品のマーケティングの立場から考えてみた。 雑誌の中には、無料(フリー)で配布されるものもあるが、大部分は、一号ずつあるいは年間予約による有料で販売されている。読者が無償か有償かによって広告の効果には大きな違いがあり、フリー媒体では広告

    雑誌売上の減少問題を製品マーケティングの観点から考える
  • あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」攻撃に抗議する

    8月1日に開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展の一つとして、メイン会場の愛知芸術文化センターで開催されていた「表現の不自由展・その後」の展示が3日いっぱいをもって中止された。 この企画展の趣旨は上記のページで以下のように説明されていた。 「表現の不自由展」は、日における「言論と表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、2015年に開催された展覧会。「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した。今回は、「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可にな

    あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」攻撃に抗議する
  • 読書という〈遅い文化〉を守るために投じた一石――幻戯書房・田尻勉さんに聞く

    今年の4月2日、ある出版社の公式ブログにこのような記事が投稿され、大きな話題になった。 出版流通の健全化に向けて 小社の刊行物をご購読いただきありがとうございます。 日のほとんどの出版社は、読者の方々への販売を取次会社(卸売会社)と書店(従来の売り場をお持ちの書店、インターネット書店あわせて)に、販売面で助けられています。ほとんどの読者のみなさまは書店で小社のをお求めいただいているものと存じます。昨今、出版物全体の販売が落ち込むなか、書店の経営も厳しくなり、小社のを店頭においていただける書店も限られております。すべての書店に小社のが配されることはむずかしいのが現状です。しかし、手にとってお求めいただく機会を小社としては維持していただきたいと思っております。ただのコンテンツとしてだけでなく、手にしていただいた時の手ざわり、装幀も、書店店頭で、ご覧いただきたいと思っております。 そう

    読書という〈遅い文化〉を守るために投じた一石――幻戯書房・田尻勉さんに聞く
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    min2-fly 2019/07/09
  • VRはいつか来た道?――誕生から30年を振り返る

    最近は、VR(バーチャル・リアリティー)という言葉をよく目にするようになった。世界最大の電子機器展示会CESや最新デジタルコンテンツのショーケースとして人気のSXSWなどでも、常にVRが話題の中心となり派手な映像が紹介されている。 このブームとも言える状況は、もともとは2012年にオキュラス(Oculus)というベンチャー会社が、VRに使われるHMD(頭部搭載型ディスプレー)開発を始めたのがきっかけだ。フェイスブックがすぐさま2014年に同社を20億ドルで買収し、創業者のパルマー・ラッキーはTIME誌などで一躍時の人として紹介されるようになった。フェイスブックCEOのマーク・ザッカーバーグの期待は高く、「10億人に普及させる」と宣言したことから、世界中がVRに注目するようになる。 オキュラスを追うように、サムソンやグーグル、マイクロソフト、HTCなどが競うようにスマホを使った簡易型からハイ

    VRはいつか来た道?――誕生から30年を振り返る
  • 無名の新人が書いた地味な分野の本に、ありえないほど長いタイトルをつけて売ろうとした人文書出版社の話

    ある日、いつものようにツイッターを立ち上げてタイムラインをぼんやり眺めていたら、なんだかとてつもなく長いタイトルのについてのツイートが流れてきた。発信者はそのの版元の編集者で、題名は『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する』――カギカッコを含めて60文字もある。ただ長いだけではない。一つひとつの言葉に見覚えはあるが、そのつながりがよくわからない。いったい「舞姫」と「アフリカ人」がどうつながるんだろう? タイトルだけではまったく内容の想像がつかないので、書店にでかけたときに立ち読みをしてみた。思ったより、ちゃんとしてる――というのも変だが、そう感じた。なにしろ版元はあの柏書房である。私はアルベルト・マングェルの『読書歴史 あるいは読者の歴史』やアレッサンドロ・マルツォ・マーニョの『そのとき、が生まれた』

    無名の新人が書いた地味な分野の本に、ありえないほど長いタイトルをつけて売ろうとした人文書出版社の話
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    min2-fly 2019/06/18
    まいボコ欲しくなってくるな・・・
  • 人文書の灯を絶やさないために

    このままでは人文書の刊行が存続できなくなる。私はそんな危機感をずっと抱いている。なぜか。人文書の刊行は、あまりに大きな経済的負担を著者に強いるからだ。人文書の灯を絶やさないためにどうすればよいのか考えてみた。 人文書出版の厳しい現状 経済的負担がほとんどなくてすむ幸運な著者もいる。著者が有名であったり、需要が見込める分野であったり、条件はいろいろある。しかし、著者が無名であったり、需要がそもそも少ない分野であったりすれば、出版機会に恵まれないという問題がある。 私はアメリカ史の通史シリーズをいくつかの出版社に持ち込んだことがある。提示された出版条件はさまざまだった。中には「500部を著者が買い取る」という条件を提示する出版社もあった。仮に著者割引で買い取るにしても100万円以上を支払うことになる。幸いにも「初版印税なし」という条件で刊行してくれる出版社を見つけることができた。無名の著者が需

    人文書の灯を絶やさないために
  • 民主主義を支える場としての図書館

    図書館」という言葉から最初に連想するものはなんですかと問われたなら、の貸出、新聞や雑誌の閲覧、調べもの、受験勉強……といったあたりを思い浮かべる人が多いのではないか。もしそこに「民主主義」という言葉が加わったら、はたして違和感はあるだろうか。 図書館を舞台にしたドキュメンタリー フレデリック・ワイズマン監督の映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を、先月の終わりに試写会で観た(5月18日より東京・岩波ホールほか全国で順次公開)。約3時間半にわたる超長尺のドキュメンタリー作品であるにもかかわらず、不思議なことにいつまでも観つづけていたい気持ちにさせられた。その理由はこの映画のテーマと深く関わっている。 『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』の主題は、図書館を題材にしていることから想像されがちな「」や「読書」ではない。あえてキーワードを挙げるとすれば、「コミュニティ」「文

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  • 一編集者から見た学会と出版社――「売れる本」「売れない本」、そして「売りたい本」

    2009年の学会誌に発表した論文を、堀之内出版の小林えみさんが掘り起こしてくださいました。日近代文学会の了解を得て、10年後の状況をあらためて比較する上でも、数字等を含めそのまま転載いたします。なお、すでに閉鎖したサイトを紹介した注は削除しております。 購入固定層のあった研究書市場が環境の変化とともに、大きく変わろうとしています。単に研究者の減少ということではなく、学会そのものに興味を持たない若手研究者も増えてきているような気がします。数字以外は10年前と変わっていないことも多く、編集者アーカイブ小論の一つとしてご覧ください。 原注は[]とし、追加情報については、《補注》【*編集部注】の形で補っております。なお、専門書をめぐる最近の「売れる」「売る」観点で、サイトでの「所感:2010年代の日の商業出版における著者と編集者の協働について、営業担当者と書店との協働について」もあわせてご覧

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