浜田幸一・元衆院議員は国会議員時代に破天荒な言動でたびたび物議をかもし、「政界の暴れん坊」の異名をとった。1993年に政界を引退した後はテレビのバラエティー番組などで活躍していた。 千葉県富津町(現・富津市)議、県議を経て、1969年に衆院議員に。7回当選し、自民党副幹事長や衆院予算委員長などを歴任した。党内を二分した79年の「40日抗争」では、党本部内に反主流派が築いたバリケードを破り、名をはせた。80年のロッキード事件裁判では、米ラスベガスでのとばくで150万ドル(当時のレートで4億6千万円)大負けしたことが判明。その返済の一部にロッキード社からの資金が使われたという検察の捜査結果が明らかにされ、議員辞職に追い込まれた。 83年に返り咲いた後も、党本部放火事件の現場で冗談を言った当時の法相を平手打ち。88年には予算委員会の委員長の立場で、共産党の宮本顕治議長を「殺人者」呼ばわりして