いくつかの問い ここまでの話をまとめよう。「人生の意味とはなにか」という問いにはいくつかの種類があった。まず、「なぜ私たちは存在するのか」という問いがある。しかしこの問いに対しては、なんらかの意図をもって私たちを創り出した存在者がいるか、もしくは私たちの存在が必然的であることが証明されない限り答えはない。さらに、かりになんらかの意図をもって私たちを創り出した存在者(クーニーのような自然的存在者でも、神さまのような超自然的存在者でもいい)がいたとしても、そしてその意図を知ることができたとしても、その意図を満足させるように生きることが有意義な人生であると私たちそれぞれが納得できるかは別である(私たちの存在の必然性が示された場合も同様)。 次に「人間の生の価値はなにか」という問いがある。この問いはさらに分類できて、これが人間一般の宇宙的意義を問うものであれば、生命および知的能力という肯定的な性質
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