ジェフユナイテッド千葉で2008年に監督を務めていたヨジップ・クゼ氏が、 6月16日にお亡くなりになりました。 ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福を お祈りいたします。 代表取締役社長 島田 亮
ジェフユナイテッド千葉で2008年に監督を務めていたヨジップ・クゼ氏が、 6月16日にお亡くなりになりました。 ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福を お祈りいたします。 代表取締役社長 島田 亮
昨日(12月13日)、開催いたしましたサポーターカンファレンスの質疑応答の中で、昼田宗昭 前強化シニアマネージャーの契約解除について、「なぜ解任のリリースをしなかったのですか。」とのご質問をいただき、三木博計代表取締役社長が「ご本人の意向であります。」と回答いたしました。事実は、当時のチーム状況を考慮したうえで、クラブが発信しないことを決めた対応でありました。つきましては、下記の通り発言を撤回し、訂正させていただきます。 「なぜ解任のリリースをしなかったのですか。」とのご質問へのご回答 「当時のチーム状況を考慮したうえで、クラブが発信しないことを決めたものです。」 この件につきまして、ご迷惑をおかけいたしました昼田宗昭様に、心よりお詫びを申し上げます。 また、お集まりいただいたサポーターの皆さまにも混乱を生じさせてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。
ファジアーノ岡山に期限付き移籍しておりました 青木 孝太 選手が、期限付き移籍期間を満了しジェフユナイテッド市原・千葉へ復帰することになりましたのでお知らせ致します。青木選手のプロフィールは下記のとおりです。
本日付けの新着情報にて、林丈統選手(25歳)の移籍をお知らせ致しましたが、移籍に際しての林選手のコメントをお知らせ致します。 □移籍に際しての林丈統選手のコメント 「サポーター、ファンの皆様、7年間応援してくれて本当にありがとうございました。数えきれないくらい感謝の気持ちでいっぱいです。 自分は短いサッカー人生の半分ぐらいをサブという形で過ごしてきました。もし、このままジェフに残って残りのサッカー人生を歩んで行っても自分の環境は何も変わらないだろうと思い、自分にとって ベストな選択とは何かを考えた時、サッカー選手である以上スタメンへのこだわりが一番強く、今回移籍を決断しました。 移籍をしたからといってスタメンで出られるとは限らないけどゼロからもう一度自分自身を見つめ直してチャレンジしてみたいと思ったのです。 ジェフからは本当に多くのことを学びました。本当にすばらしいチームだと思います。
ジェフユナイテッド市原・千葉 イビチャ・オシム元監督が、1月4日、帰国されました。帰国に際しては、成田空港に300人を超えるジェフサポーターの皆様がお見送りに来られました。オシム元監督、アシマ夫人からも「こんなにたくさんのジェフサポーターに来てもらい、本当にうれしい。このサポーターがついていればジェフは大丈夫だ。皆さんによろしく伝えてほしい。」とメッセージを頂きました。 帰国日に先立ち、昨年12月29日に三木博計代表取締役社長、島田亮取締役、昼田宗昭チーム統括本部長が、お礼のごあいさつにオシム元監督宅を訪れました。その際、いただいたコメントを下記に紹介いたします。 帰国にあたり、イビチャ・オシム元監督からのジェフユナイテッド市原・千葉のファン・サポーター、クラブ関係者へのコメント 「昨シーズンは奇跡的な結果で終了したが、ミラクルは一度限りで、二度はおこらない。これは私だけの思いでなく、ファ
■三木社長 挨拶 本日は、多くの報道各社の皆様にお集まりいただきありがとうございます。クラブの新練習場の建設概要がまとまりましたので、皆さんにお知らせいたします。一番最初にイメージパースをご紹介させていただきだと思います。 (イメージパース披露) これがイメージパースでございます。色等に関しましては、これから変更等があるかもしれませんが、これがイメージです。 (プロジェクターで説明) 経過についてご説明をさせていただきます。 1993 年にJリーグが発足して以来、(浦安市)舞浜にありました古河電工の施設を、当クラブは練習場として使用してまいりました。その後、 2000 年2月に市原市様のご尽力をいただきまして、ホームタウンである市原市・姉崎に練習場を構えることができ、現在にいたっております。 この間、 2003 年4月に千葉市とのホームタウン広域化を実現いたしました。さらに、 200
「ひた向きに戦い、成長し続けてきたクラブから声をかけていただき、光栄であると共に責任の重さを感じています。サポーターの皆様に支えられ、感動をし続けていただけるチーム作りに、微力ながらお役に立てればと思います。よろしくお願いいたします。」 「祖母井秀隆チーム統括本部長の退任は、誠に残念であります。1995年以来、下部組織、育成システムのあり方を研究し『育てて戦う』というジェフユナイテッド市原・千葉のチーム作りの基盤を構築していただきました。また、その比類なきネットワークで、フェルシュライエン監督、エンゲルス監督、ザムフィール監督、ベルデニック監督、ベングロシュ監督、イビチャ・オシム監督と世界に名だたる監督を招聘し、昨年の初タイトル獲得で花を咲かせてくれました。2005シーズン頃から、新たな世界でチャレンジしたいとの意向があり、ギリギリまで慰留に努めてきました。しかし、本人の意志は固く、今後は
いつも、ジェフユナイテッド市原・千葉に熱いご声援を賜り、誠にありがとうございます。 昨日(10月9日)、報じられた一部新聞での報道について、クラブとして現状をご説明申し上げます。 ○監督候補と報道された方に対し、クラブからコンタクトした事実はない。 ○アマル・オシム監督に関して、日本サッカー協会からコンタクトを受けた事実はない。 ○祖母井秀隆チーム統括部長本人に、他クラブからオファーがあることはクラブとして承知しているが、来季以降も引き続き当クラブと契約するよう交渉している。 ジェフユナイテッド市原・千葉は、今後も、地域とともに歩み、サポーターと喜びを共にするクラブとして努力してまいります。今季リーグ戦でも終盤の大逆転を、決勝戦を戦うヤマザキナビスコカップでは連覇を果たし、優勝カップを持ち帰ることを目指し全力を尽くします。今後とも、変わらぬ熱いご声援をいただけますよう、お願い申し上げます。
本日、行われたファン・サポーター・市民のみなさまへの経過報告会での内容について、ご報告します。 淀川社長 本日は、ご多用中にも拘わらず、ご参集誠に有難うございます。キャプテンの失言からオシム監督が日本代表監督に就任する方向に一気に話が流れてしまいました。今日は何故そうなったのかの経緯と今クラブが考えている方向についてご報告致します。まず、その前に、皆様にご心配を掛けまして、クラブに対したくさんの激励の言葉やメールを頂戴しましたことに、厚くお礼申し上げます。皆様のクラブへの思いやご支援が、今後、このようなことを協会が二度と起こさないための大きな力となって、私どもクラブの思いを支えているものと思っております。またこの間、クラブの対応に対する不満の声があったことも事実ですが、多くの方々が、冷静にクラブの対応を見守っていただいたことを重ねて感謝申し上げます。 さて、経過をご説明します。5月上旬に次
前略 日本サッカー協会からのオシム監督への日本代表チーム監督オファーの件に対しましては多くの皆様にご心配をおかけしました。また、沢山の激励の言葉を頂戴しましたことを厚く御礼申し上げます。 6月29日にオシム監督、6月30日に日本サッカー協会(田嶋氏)よりそれぞれ報告を聞き、事実関係を確認した上で、昨日チームのキャンプ地である岐阜県飛騨市において3者協議を行いました。 席上、協会側から本件に関する失言問題と契約中を承知でオファーを行ったことに対するお詫びがありました。しかしながら、この場に及んではオシム氏しか考えられずその場で改めてオシム監督の代表監督への就任を懇請されました。したがって、ジェフ側が主張を繰り返している「契約満了後ならば」という点に関しては、溝が埋まらず平行線のままでありました。 しかし当事者であるオシム監督自身より次のような発言がありました。 1. 失言にあったにせよ衆
一連のオシム監督の報道に対し、本日オシム監督来日を受けて行われた、記者対応での淀川社長のコメントをお伝えします。 オシム監督への日本代表チーム監督就任オファーに対し、本日帰国のオシム監督より報告を受けました。その結果をご報告いたします。 オシム監督自身としては、代表チーム監督への正式要請を光栄に感じ、興味を示しているものの、就任するかどうかについては、ジェフ、日本サッカー協会それぞれに配慮をし、言葉を選ぶに留まりました。 その理由としては、協会が2006年7月から契約を結びたいとしていることにあります。当クラブとしては、契約満了まで続けてもらうことを要望しました。一方で、フェアな契約を推進指導する立場にありながら、この点を自ら犯そうとしている協会に対し強く糾弾したく、早急に監督、協会、クラブの3者で会談する必要があると考えております。 最後になりましたが、本件に関し、ジェフのファン
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く