タグ

戦争に関するmiya1972のブックマーク (11)

  • 662人を日本に帰すため、ソ連兵の性的暴行に耐えた未婚女性15人の苦しみ しかも帰国後は中傷と差別が横行

    敗戦の混乱時、日人女性が味わった性暴力の悲劇 現実社会に「表」と「裏」があるように、過去の時代にも「表」と「裏」があります。私たちが生きた同時代についての記述すらそうだから、100年前、500年前ともなればなおさらでしょう。その当時に生きた人が、歴史の教科書を読めば、仰天するかもしれない。「これは一体どこの国の話だ」と。 「一級史料があるから確実だ」などと言っても、その史料が時代の全体を語るわけではありません。最近になって、少しずつ敗戦時の旧満州や北朝鮮での「性接待」の話が語られるようになってきました。 平成25年4月、昼神温泉などで知られる長野県阿智村に全国で初めての「満蒙開拓平和記念館」ができました。戦前からの国策として満州や内蒙古に送り込まれた満蒙開拓団の史実を、風化させることなく後世に伝える拠点として、作られたものです。 開館以来、かつての開拓団の実像を伝える数々の資料を展示する

    662人を日本に帰すため、ソ連兵の性的暴行に耐えた未婚女性15人の苦しみ しかも帰国後は中傷と差別が横行
  • WEB特集 戦後75年 母と信じた人は別人だった | NHKニュース

    戦争孤児は、どこまで翻弄され続けるのか。親の手がかりを求める旅を70歳をすぎてから始めた女性がいる。おととし、母の名前を知った時には、その存在を初めて実感できて心が震えた。さらに詳しく知りたいと、個人情報の壁を乗り越え手にした行政の記録には、母だと信じていた人は別人という事実が記されていた。戦後75年の夏に、立ちすくむ戦争孤児。しかし、専門家は指摘する。 「戦争孤児の人生の空白を埋める責任は国にある」 (ネットワーク報道部記者 大石理恵) 旅の主人公は、北海道江別市に暮らす谷平仄子(ほのこ)さん(75)。幼い頃、戦争孤児を保護する埼玉県の施設で過ごし、5歳で里親に引き取られて北海道で育った。実の親の記憶は、ない。戸籍の父母の欄も、空欄のままだ。 「私はどこの誰なのか。わからないままでは死ねない」 70歳をすぎてからその思いにとらわれるようになり、2018年11月から親の手がかりを探し始めた

    WEB特集 戦後75年 母と信じた人は別人だった | NHKニュース
  • 永遠に「敗戦」が続く国で(田村淳)|ポリタス 戦後70年

    戦後70年にあたり、僕がいま、自分の中でどうもうまく腑に落ちていないことを、みなさんに聞いてもらいたいと思います。それは「日はいつまで敗戦国なんでしょうか?」ということです。 僕は1973年生まれなので、敗戦国である日に生まれ育ち、敗戦国というのが何なのかわからないまま大人になりました。どうしたいきさつで日戦争に負けたのか、そうしたことにはっきりと関心を持つようになったのは、35歳になってからです。 僕は山口県の出身で、広島と長崎に親戚がいます。子供のころ、夏休みになるとどちらかの親戚の家に遊びに行きました。そうすると、いとこのおばちゃんとかから当然のように「ここに原爆が落ちた」という話を聞く。あとは『はだしのゲン』の漫画を学校で読んだり、終戦記念日には意味がわからないながらも黙とうを捧げたり、育った環境からか戦争への意識は高いほうでした。 それでも、子供の僕が持っていた戦争のイメ

    永遠に「敗戦」が続く国で(田村淳)|ポリタス 戦後70年
  • 集団的自衛権 | 正論・益田タイムス

    選挙を知らない世帯が自衛権を決める。大学生の中にもアメリカ戦争したことを知らない者がいる中で、集団的自衛権を考え選挙権も18歳から行使できる流れでまともな憲法を論じることができるのか極めて危険である。 戦争すると1万人の死傷者が出る規模では1000兆円の軍事費が必要と言われている。 来年度の予算は約90兆円で、税収が40兆弱ですから50兆は国債という名の借金で賄う訳で、1000兆円は25年間の税収に匹敵する。こんな膨大な軍備費を費やし戦争に突入しかねない集団的自衛権を考えるとき、憲法を改正しないで一部内閣の憲法解釈で決定してよいものであろうか。 ■個別的自衛権とは何? 自分の身を守るために反撃できる権利。正当防衛に近い 自分で自分の身を守るために反撃できるという権利のことだ。例えば、Xが日を殴ったら、日はこれ以上殴られないようにやむを得ずXを殴り返しても、正当防衛として認められるとい

    集団的自衛権 | 正論・益田タイムス
  • 東力士 株式会社 島崎酒造

  • 「神風」「人間魚雷」の元隊員、90歳超え語る平和への想いと危機感 (Bloomberg) - Yahoo!ニュース

  • [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバック状態を脱するとき | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所

    中国韓国は戦勝国ではない 最近はアメリカ人も少しずつ、一部の韓国人が非理性的に日を叩いている構造に気付いてきました。昨年、韓国で朴槿惠大統領の名誉を傷つけたとして、産経新聞前ソウル支局長が在宅起訴されました。どう対応すべきか尋ねてきた『産経新聞』の記者に対して、私は「何もしなくていい」と答えました。拘束されて日に帰れない支局長はお気の毒ですが、とりあえず彼が殺されることはありません。それならば、しばらく放っておいて韓国当局の愚かな振る舞いを世界に晒したほうがいいのです。 私が中国韓国を見て理解に苦しむのは、両国が第2次世界大戦における戦勝国だと自称することです。そもそも、この2国は戦争に参加していません。朝鮮半島は日の一部でしたから韓国という国家は戦争中に存在しません。いま韓国人と呼ばれる人たちの先祖は、日人として敗戦の日を迎えたのです。そして現在の中国中華人民共和国)を支配

    [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバック状態を脱するとき | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所
  • [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバック状態を脱するとき | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所

    《『Voice』2015年3月号[総力特集:日韓「歴史戦争」]より》 韓国はプロパガンダ戦略が下手 今年1月16日付『産経新聞』の一面に「『慰安婦小説』米浸透を画策」という驚くべきニュースが報道されました。「20万人の強制連行された韓国人慰安婦の悲劇」について書かれた米国人作家による小説『Daughters of the Dragon(竜の娘たち)』を韓国系の団体が売り込む活動を展開している、というのです。さらに『ニューヨーク・タイムズ』の書評ページには書の広告まで掲載されました。 米国では、こうしたプロパガンダ作品が話題になる伝統があります。アメリカ同時多発テロ事件へのジョージ・W・ブッシュ政権の対応を批判したマイケル・ムーア監督の『華氏911』のようなドキュメンタリー作品や、オリヴァー・ストーン監督がケネディ大統領の暗殺の真相として描いた映画『JFK』が有名ですね。こうした作品に共通

    [日韓「歴史戦争」]日本がサンドバック状態を脱するとき | PHPビジネスオンライン 衆知|PHP研究所
  • 海外反応! I LOVE JAPAN  : 戦後の焼け野原の東京を見た外国人の反応。

    2013年11月26日23:50 戦後の焼け野原の東京を見た外国人の反応。 カテゴリ日全般 戦後の焼け野原の東京を見た外国人の反応。 外国人「これは想像以上だった・・・。」 海外サイトなどで紹介されてた東京大空襲後の街並を見た外国人の反応を集めてみました。 ↓こちらの動画はアメリカ軍が撮影した戦後すぐの東京。 動画URL http://www.youtube.com/watch?v=46T_t6hyrYY https://www.google.com/search?q=Tokyo+Japan+1945+-+Bomb+Damage&hl=en&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=d4qUUuy2L87akgWsoIDgCw&ved=0CD0QsAQ&biw=1080&bih=882 以下海外の反応↓ ・これは凄いな・・・。 ・東京なのに何も無い・・・。 ・

    海外反応! I LOVE JAPAN  : 戦後の焼け野原の東京を見た外国人の反応。
  • 何が、日本の輸送船を壊滅させたのか

    太平洋戦争における日の輸送船の壊滅の原因について述べる前に、まず、次の二つの表を見ていただきたい。 最初の表は、太平洋戦争中における第1海上護衛隊(門司~シンガポールを担当)の護衛下にあった輸送船団とアメリカ潜水艦の会敵率と損害の推移である。(戦史叢書「海上護衛戦」防衛庁防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 P237、P354、P463、ちなみに、1942年9月以前、1943年12月、1944年12月、1945年4月以降のデータは戦史叢書には無い。) 見ていただければ分かると思うが、ばらつきはあるが、会敵率と損害は、概ね比例している。会敵しない限り、撃沈されることはないのであるから、これは当然のことであろう。 また、時と共に会敵率が増加し、1944年8月、9月、10月、1945年2月、3月には、100%を越えている。出航したら必ずアメリカ潜水艦に見つかる訳である。これは、どう見ても異常な数

  • リアリズムと防衛を学ぶ » 「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例

    は長らく平和を謳歌してきました。そんな中で防衛体制の整備には「戦争なんか起こるわけがないのに…」という懐疑論が常にともないました。どころか、「危機がもし起ったら」と考えること自体が危険思想である、戦争が好きな軍国主義者だ、という風に非難された時代もありました。 ところが歴史的に見て「戦争なんか起こるわけがない」という見通しが外れたことは多くあります。 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 いまから30年前の1983年4月、「フォークランド紛争」という戦いが起こりました。アルゼンチンとイギリスとの紛争です。きっかけは、イギリス領フォークランドに対し、アルゼンチンが突然侵攻を開始したことでした。 ですが紛争勃発の直前まで、戦争なんか起こるわけがない、意見が強くありました。それはかなり論理的なものでした。例えば83年4月5日に発売された雑誌ビジネスウィークは、戦争にいたる可能性は低い、と

  • 1