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いまや世界的に大ヒットをしているテレビゲームソフト『ファイナルファンタジー』(以下、FF)シリーズ。その一作目が発売されたのが、いまから約20年前の1987年12月18日。今年で生誕20周年を迎えるだけでなく、プレイステーション3用ソフトとして次回作『FFXIII』の発売を控えている。 そんな『FF』シリーズの醍醐味といえば、高速移動で大空を駆け巡る飛空艇の存在だろう。ファミコン版の一作目となる『FF』ではじめて高速移動の飛空艇を体験したプレイヤーは、そのスピードと爽快感に驚いたはずだ。ストーリーを進めずに、ずっと飛び続けていたというプレイヤーも多くいたことだろう。 だがその飛空艇のスピード、実はファミコンの性能では実現が難しく、本来出せるはずがないスピードなのだという。では、どうやってあのスピードを実現したのか? 逸話によると、あのスピードは「ファミコンのバグを利用」していたのだという。
昨日、 人生の転機 - Rails で行こう! の中で「ソフトウェア作りが嫌いだ」と言い切ってしまったことが引っかかっている。 私の職業生活でもっとも多くの時間を注いだのがソフトウェア作りだ。その作業に対して、実際のところ、好きとか嫌いとか一言で割り切れるはずがない。複雑な感情を持っているというのが正直なところだ。 私の職業プログラマのとしての最大の欠点は、ソースコードに対して強い美意識を持たずにいられなかったところだろう。生来の生真面目な性格が災いし、私の基準で美しいとはいえないソースコードを敵視しすぎた。 簡単な例を挙げよう。 うるう年を計算するアルゴリズムを考えてみる。うるう年とは、「4で割り切れて、かつ100で割り切れない年。ただし、400で割り切れたら、やはりうるう年」である。 def leap_year?(y) (y % 4 == 0) && ((y % 100 != 0) |
Jeff Atwood / 青木靖 訳 2007年2月26日 レジナルド・ブレイスウェイトが書いていることを読んだとき、私はそんなわけないだろうと思っていた。 私と同様、この著者は、プログラミングの仕事への応募者200人中199人はコードがまったく書けないということで苦労している。繰り返すが、彼らはどんなコードも書けないのだ。 彼が引用している著者というのはイムランのことで、彼は単純なプログラムも書けないプログラマをたくさん追い払っているということだ。 かなりの試行錯誤の末に、コードを書こうともがいている人たちというのは、単に大きな問題に対して苦労しているのではないことがわかった。やや小さな問題(連結リストを実装するというような)に対して苦労するということでさえない。彼らはまったくちっぽけな問題に苦労しているのだ。 それで、そういった類の開発者を見分けるための質問を作り始め、私が「Fizz
赤毛に青いサングラス――独特な出で立ちのエンジニア庄司さんは25歳からプログラマーに転向した。プログラミングは「泣きながら覚えた」と振り返るが、いまやjava-jaを立ち上げるなど精力的に活動するエンジニアだ。 この企画はokyuu.com編集部が現在のエンジニア像をリレー形式で追っていくものです。 (取材・文=編集部) 庄司嘉織(しょうじよしおり) 1975年7月22日生 34歳 ドワンゴ 研究開発本部 統合情報システム開発部 【略歴】 1996年3月 沖縄大学中退 2009年3月 株式会社ドワンゴ入社 ――ITエンジニアになったきっかけを教えてください。 庄司 プログラマーになる前は、契約社員で4年ほどパソコンのサポートをやっていました。中小企業のヘルプデスク業務を支援したり、プロバイダーの加入者をサポートしたり、仕事は多岐にわたっていました。インターネットが出たての頃だっ
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
今日から私はプログラマ。最初のうちはわからないこともあるけれど,いずれは誰からも信頼される一流プログラマになってみせる。まずは「ペアプログラミング」で慣れてくれと上司に言われたけれど,学生時代に多少はプログラムをかじった私ならば,百戦錬磨の先輩にも今年の新人は使えるってところを見せてやるぜ!なんて気合十分。 しかし,いざペアプログラミングがはじまったら,先輩は私の横でずっと見ている。えっ? そんなに信頼されていないの? これでは先輩は自分のプログラムが全く書けず,私はただの足手まといじゃないか。役立たずの私なんか,いないほうがいいんだ……。ということを,先輩に打ち明けてみたら,なんとこれがペアプログラミングというものだそうです。 普通,コードを書く人は1人でコードを書き,レビューをする人は1人でレビューのときだけチェックします。でもペアプログラミングでは,常に2人が一緒になって1台のパソコ
この記事は小飼弾氏が,2008年3月24日に発売した日経ソフトウエア2008年5月号の特集「はじめてのプログラミング」向けに著したものの再掲です。記述された内容は,執筆当時の情報に基づいています。 あなた,プログラマになりたいんですって? 本当に? 本当に? もう一度尋ねます。本当に? 3回も念を押したのには,理由があります。このあと,さらに念を押します。この手紙を読み進めれば,あなたにもその理由がおわかりいただけるかと思います。 「日経ソフトウエア」を読んでいただいているからには,あなたは「プログラマ」という職業について,ある程度のイメージをお持ちだと思います。プログラマ,プログラムを作る人。では,プログラムって何でしょうか? その定義は,これをお読みになった人の数かそれ以上存在しますが,私にとっての定義は「コンピュータが仕事をできるようにすること」です。ご存じだとは思いますが,コンピュ
ひとつ、昔話でも。 やたらプログラマーを応援したがるエントリーを書いたり、 ときどきプログラミングの話題を書いたりする関係で、 「SEの人なんだ」と思われたりするんですけど、SEではないんですよ。 まぎらわしくてごめんなさい。 でも、昔はSEでした。 3年間、割と大きな会社でJavaプログラマーやってました。 まあ、この際、「SEとプログラマーは違う」なんて話題は目をつむってくださいな。 デキル人になりたくて、土日もよく勉強してました。 資格の勉強をしたり、自宅でプログラミングばかりしてました。 まあ、友達いなかったんでね、それぐらいしかやることなかったってのもあるんだけどさ。 当時、自分のいた会社では、 請け負う案件をCOBOLなどのレガシーシステムから、Javaを使ったオープンシステムに移行し始めてました。 社内でCOBOLを知っている人は多数いたけど(あとVB)、Javaを知っている
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