人の顔に仏像メイクをして、1000人分の顔を集めるプロジェクトをやっている人がいる。 仏アーティストのTETTAさんだ。 今日はTETTAさんの開催する「千仏顔を作ろう」ワークショップに参加して、友人とともに仏像になってきた。 (加藤まさゆき) TETTAさんは多摩美大出身のアーティスト! TETTAさんは多摩美術大学の大学院を卒業後、秋葉原にあるアートスペース「アーツ千代田3331」内の多摩美術大スペース、「アキバタマビ21」スタッフとして活動している。 今日、参加してきたワークショップもこのアーツ千代田3331で行われたものだ。 このアーツ千代田3331、区立中学校を改装して作られたもので、それ自体すごく興味深いのだが、この件に関しては自分のブログにちょっと前に書いたのでそちらを参照してもらいたい。
なら仏像館は通路もそれほど広くありませんので、写真撮影によるトラブルもあったんでしょう。詳しい事情は分かりませんが残念ですね。以下、以前の記事をそのまま掲載しておきますが、規則が変更になってしまいましたので、写真撮影に関する部分はご参考程度にお読みください。 リニューアルして展示内容もパワーアップ 収蔵品「約1,400件」という規模を誇る『奈良国立博物館』。この日は、なら仏像館(旧本館)では、リニューアルを記念した特別展「至宝の仏像」が、東新館では「仏像修理100年」が行われていました。 平日ということもありますが、毎年大変な入場者数を記録する「正倉院展」のような混雑はなく、のんびりと仏像の魅力を楽しめる素晴らしい内容でした。ただし、私たちはペース配分を間違えて、なら仏像館に2時間半も長居してしまったため、新館の特別展は駆け足で見て回りましたので、記事内では触れません。 奈良国立博物館の展
飛鳥・法隆寺級、ベトナム最古の寺2010年9月9日14時14分 法雲寺の象徴「和豊塔」はれんが造りの約17メートルの三重塔で、西側入口前右側にある「石綿羊像」(写真では頭だけが見える)は、後漢代の作と言われる寺院内最古の像である 日本同様、ベトナムでも良く祀られる執金剛神像(金剛力士像)は、前堂の入口に祀られ仏法を守護する役割を担う 上堂(本堂)側面には、2体の菩薩像(右側)などが祀られていた 内部はベトナム北部の典型的な寺院構造をしていた。手前から、前堂、香堂、そして、上堂(本堂)。一番奥の本堂には、本尊である法雲女神像が鎮座する 6世紀にベトナムに禅宗を伝えた毘尼多流支(ヴィニタルシ)禅師は、達磨大師の孫弟子で、この寺に住み、ベトナム仏教の主流派の一つ「毘尼多流支禅派」を創始した 上堂に祀られた観世音菩薩像。観音像は、ベトナムで最もポピュラーな仏像のひとつだ 私たちの訪問の1カ月程前に
天慶5年(942)平公雅(たいらのきんまさ)によって創建され、その初めは駒形付近にあった。鎌倉時代以降現在地に移築された際、風神・雷神が初めて奉安されたといわれる。 当初は、伽藍守護のために、風水害または火災からの除難を目的としてこの二神がまつられたもので、一種の護法善神(ごほうぜんしん)と見るべきものであったが、さらには、風雨順時の天下泰平、五穀豊穣の祈願もこめられるようになったものと推測される。 現在の門は、慶応元年(1865)12月12日の田原町大火で炎上した門に替わり、昭和35年(1960)、95年ぶりに松下電器創始者松下幸之助氏のご寄進により、復興再建され、浅草寺の総門として威容を誇っている。また、浅草の顔としても全国的に有名。
頭部がなくなってから4カ月後の2008年10月に復元された牛馬童子=和歌山県田辺市中辺路町近露 世界遺産に登録されている和歌山県田辺市の熊野古道で2008年6月、石像「牛馬童子(ぎゅうばどうじ)」(高さ56センチ、田辺市指定文化財)の頭部がなくなった問題で、頭部とみられる石が今月、同市内のバス停で見つかったことがわかった。頭部は08年10月に市によって復元されたが、関係者は「なぜ今になって」と首をかしげている。 田辺署によると、16日午後3時半ごろ、国道311号沿いにある田辺市鮎川(あゆかわ)のバス停「鮎川温泉」で、通行人の男性がベンチ上に拳ほどの大きさの石が置かれているのに気づき、近くの駐在所に知らせた。バス停と牛馬童子がある場所とは約15キロ離れている。 牛馬童子は平安時代中期の花山(かざん)法皇が熊野古道を巡礼する姿がモデルとされ、1891(明治24)年ごろにつくられたとみられ
大仏の建設費はサッカーワールドカップ(W杯)開催費より高額? 奈良・東大寺の大仏と大仏殿の建築費用を現代の金額に換算すると、約4657億3100万円になることが4日、関西大学大学院会計研究科の宮本勝浩教授らの試算で分かった。大仏の建造費用を試算したのは初めてで、同教授は「約2880億円かかった日韓W杯の約1.3倍に当たる」と話している。 宮本教授らは、平安時代後期の「東大寺要録」という史料に記載されていた材料費を基に、当時の1両を約10万円と仮定して試算。練金代が1万436両と記されており、価格も推定すると、精錬銅なども含めた大仏の材料費は計約1977億4000万円となり、大仏殿は木材や瓦の現在価格から、約1386億1300万円となるという。 また、延べ260万人が携わった工事などの人件費は、現代の建設労働者の平均日当1万3790円(2004年度)を基に、約1292億500万円と算定
東大寺不空羂索観音立像。古社寺保存法に基づき新納が初めて修復を手掛けた仏像。 新納 忠之介(にいろ ちゅうのすけ、1869年1月7日(明治元年11月25日)- 1954年(昭和29年)4月13日)は、日本の彫刻家。2,631体の仏像等の多くの文化財を修理した。修理前後の写真や書面など詳細な記録を残しており現在の文化財修理の基礎を築いた。 百済観音像模造(新納忠之介作、東京国立博物館蔵) 1869年、薩摩国鹿児島郡鹿児島城下新照院通町(現在の鹿児島県鹿児島市新照院町)に生まれる[1]。 1889年、東京美術学校(現東京藝術大学)の彫刻科に入学。 高村光雲に師事する、板谷波山とは同期。 1895年、東京美術学校助教授。 1897年、東京美術学校が中尊寺の修理を依頼され、新納は仏像の修理を担当。 1898年、岡倉覚三(天心)に同調して東京美術学校を辞職、日本美術院創設に参加。新納は仏像などの彫刻
見 学 メ モ 【宗派】真言律宗 【寺名】高日山浄土院 秦楽寺(じんらくじ) 【本尊】千手観音像(平安時代作) 脇侍に聖徳太子像、秦河勝像 【所在地】磯城郡田原本町秦庄267 【電話】07443-2-2779 【アクセス】近鉄笠縫駅下車 北西方向へ徒歩5分 厩戸皇子(うまやとのみこ、後の聖徳太子)の有力なブレーンであり陰のスポンサーだった秦河勝(はたのかわかつ)のことをいろいろ調べていたら、面白い伝承に出会った。我が国の最初の正史である『日本書紀』には、秦河勝に関する記述が次の三カ所にしか記されていない。 ●推古天皇11(603)年11月、厩戸皇子は諸大夫に対し、「われは尊像を有するが、誰かこの像を恭拝するものはないか」と問うた。その時、河勝が進み出て「臣が拝みまつらん」と答え、この仏像を受けて蜂岡寺を造った。 ●推古天皇18年(610)10月、新羅・任那の使節が揃って入京し
捨てられたダンボールを素材に仏像を作るアーティストがいる、そんな噂を聞きつけ、銀座・INAXギャラリーにて開催された「本堀雄二 -紙の断層 透過する仏-展」へ足を運んだ。 実を言うと、事前に知ったそのコンセプトがそれだけで充分面白かっただけに、実物がその面白さを凌ぐものであるかどうか、少し不安な気もしていた。 しかし、その思いは会場に入った瞬間に覆された。そこに待ちかまえていたのは、鳥肌が立つほどに神々しいフォルムを持つ、まさしく「仏像」たちなのだった。 これがダンボールによって作られているなんて、と、にわかに信じ難いのだが、見る角度を変え、真横から眺めてみると、様々な色や文字が散りばめられた、ありふれたダンボールの切れ端なのだった。ここだけを見ると、大変失礼ながら、夏休みに作った図画工作のようなガラクタ的な雰囲気すら感じるのに、視点を移動させていくと、ある瞬間、そのダンボール工作が思わず
軽やかにポップに仏像作品 秋山祐徳太子展/本堀雄二展(1/2ページ)2010年6月23日15時27分 秋山祐徳太子個展「高貴骨走」=東京都新宿区住吉町のアイショウミウラアーツ 本堀雄二展「紙の断層 透過する仏」=東京都中央区京橋3のINAXギャラリー 阿修羅展(2009年)が東京と福岡で計165万人を集めるなど、ここ数年は仏像ブームといわれる。その余波を感じさせる二つの個展を東京都内でみた。 ひとつは、秋山祐徳太子展。「高貴骨走」と名付けた同展は、75歳になった前衛美術家による個展だ。 展示の中心は、初めての発表となる「ダリコ佛(ぶつ)」で、一室に13体が並ぶ。 秋山はトタン板を曲げ、はんだでとめた「ブリキ彫刻」を手がけてきた。今回、仏像の形にしたのは、寺院から借りた民家が会場だからという。 「円空にひかれる」と本人がいうように、素朴な形は円空仏を連想させる。だが、それだけではない。 「ダ
東京湾に浮かぶ漁船を横目に 東京アクアラインを渡り 房総半島へ上陸 昨夜の雨をふらせた雲の切れ間から ポツポツと青空が顔を出し これからの出会いを期待させます イラストレーターの たなはしかりさん、 萌え萌えするような佛ハンコの彫師 にっひさん クリエーター2人と、放浪者の自分との 3人パーティで千葉の仏像を巡る旅 最初に訪れた場所は鹿野山 神野寺 ちょっと寂れた雰囲気のある山を車で登ったところにある とても大きなお寺です ちょうど本尊である 薬師如来像と軍荼利明王像が12年に1度の御開帳をしていました。 薬師如来像が本尊というところはたくさんあるのだけど 軍荼利明王と一緒に祀られてるってどういうこと?! しかも事前調査によると3m?!って謎だらけのお寺に期待をさせたことが きっかけでした お寺中には 鳥のさえずりと御詠歌が流れるという ちょっと異様な雰囲気 すぐに本堂には到着し お厨子に
猫・坂・寺が特盛りの町・尾道と、町に高波を呼ぶ怪魚ホラー映画の舞台のモデルとも言われ、とみに有名になった鞆の浦(とものうら)。瀬戸内海に面する二つの美しい広島の港を船で行き来できることをご存知でしょうか? 今回の旅行は尾道駅からスタートです。 駅前からちょっと山手に入ると、瀬戸内海を見下ろす坂にこんな細い路地ばかりが刻まれています。 坂道での主要な移動手段はカブ。 坂の町での生活は人間にとっては大変ですが、三次元的に移動できる猫には好都合。右側の家の出っ張りにも猫がいます。 「毎日毎日でっかいカメラ持ってきくさってガシガシガシガシ言いよるワ…すかんたらしい」 すみませんでした。それにしてもこのおかんむりの猫が乗っているところは「猫のせ台」としか言いようのない形状をしている。 続々と湧いて出る猫たち。尾道はある冬にも訪れて寒さに震えながら「なにが猫の町だ一匹もいないじゃないかバカヤロー」と思
質問者の方が指しているのは、おそらく弘法大師坐像の右手のことですね。 弘法大師の坐像は、一般的に右手に五鈷杵または三鈷杵、左手に数珠を持っていますが、 右手の五鈷杵(または三鈷杵)を持つ手首がたしかに不自然にねじれています。 弘法大師像↓(随心院) http://www.zuishinin.or.jp/jihou/jihou6.jpg これは、「金剛薩埵の威儀」と言われる、密教独特の印(手の形)なのです。 この「金剛薩埵」というのは仏の名前で、実際にその仏像を見てみると弘法大師と同じ持ち方をしています。 参照↓金剛薩埵(随心院) http://www.zuishinin.or.jp/jihou/jihou2.jpg そのほか、密教の明王である、愛染明王や金剛夜叉明王も同じ持ち方をしていますよ。 愛染明王↓ http://www.daikakuji.or.jp/kedai/meiho_a_1
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