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2019年6月3日のブックマーク (2件)

  • aikoとゴリラの雪どけ - 真顔日記

    ゴリラの問題は終わったと思っていた。それは過去のことだったはずだ。aikoとゴリラの綱引きは終った。私はもはやaikoとなった。それでよかったはずだ。しかし今ふたたび、ゴリラが問題としてせりあがってきている。aikoとゴリラの綱引きは終っていなかった。 だが、このブログにおけるゴリラにせよ、aikoにせよ、特殊な用語になっているのは事実だ。それは一般的な意味合いからかけ離れている。混乱を避けるためにも、まずは整理しておいたほうがよいだろう。 数年前、「aikoとゴリラの綱引き」という文を書いた。それをaikoの勝利に終わらせた。これが当時の結論だった。「ゴリラとしてふるまえ」という社会からの要求によってゴリラのように振るまっていた男がいて(ハリボテとしてのゴリラ)、その男が自己の内側に、背の低い女としてのaikoを発見する。その発見によって、ゴリラ的なものとaiko的なものの葛藤が起こる(

    aikoとゴリラの雪どけ - 真顔日記
    mmmmmasao
    mmmmmasao 2019/06/03
    "自分の内側で研ぎ澄まされた「aiko」という概念の純粋性を保ちたいがゆえだったんだろう"首もげるほど頷いた、自分が小沢健二や岡村靖幸のライブに行く踏ん切りがつかないのと同じだ…/汎aiko論の展開は変わらず好き
  • なぜ行員たちは乾杯するように毒を飲んでしまったのか――生存者が語った"帝銀事件"の悪夢(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

    戦後史の謎の事件の一つとされる帝銀事件は1948(昭和23)年1月26日、東京都豊島区の帝国銀行椎名町支店(当時)に男が現れ「伝染病の予防薬」と称して2段階で液体を飲ませ、行員と家族計12人を殺害。現金を奪った。手口から「731部隊」など旧日軍の元謀略部隊員らが疑われたが、占領軍の圧力で捜査方針が変更された。 【写真】この記事の写真を見る(12枚) 1980年、私は所属する通信社社会部で事件の洗い直し取材チームに加わった。「ネタ」は(1)警視庁捜査一課係長が残した「甲斐メモ」、(2)平塚八兵衛刑事の捜査記録、(3)「O真犯人説」――の3つ。平塚は警視庁の名物刑事で、「帝銀」では類似未遂事件で使われた名刺の捜査を担当。平沢貞通元死刑囚の逮捕に結び付けた。捜査記録は和紙を糊でつないだ「巻物」。人は前年亡くなっており、どうやって入手したのか……。「O」は実在の歯科医師で、一部の帝銀事件マニア

    なぜ行員たちは乾杯するように毒を飲んでしまったのか――生存者が語った"帝銀事件"の悪夢(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
    mmmmmasao
    mmmmmasao 2019/06/03