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ブックマーク / katoler.cocolog-nifty.com (3)

  • 「表参道ヒルズ」シャッター通り商店街  ~ブランド突然死の時代~

    20年前の表参道は今とは違って人通りもまばらな閑静な場所だった。その頃、知人の仕事場が伊藤病院の裏にあったので、よく辺りをぶらつき、散歩の途中でよく立ち寄って覗いて見たのが同潤会アパートだった。 同潤会アパートは、関東大震災後、大正期に建設された日のコンクリート住宅の草分け的建物で、既にかなり老朽化が進んでいたが、アーティストやデザイナーが入り込み、ブティックや雑貨店を開き、表参道のランドマーク的存在になっていた。再開発の話が持ち上がった時に、何とか残したいという声が方々から上がったが、最終的には取り壊されてしまい、3年前に森ビルが経営する「表参道ヒルズ」に生まれ変わった。 設計を担当した建築家の安藤忠雄氏も同潤会アパートの記憶を今に遺したいと考え、アパートの一部をそのまま復元し、そこに接続させる形で現在の表参道ヒルズの建物を完成させた。 オープンして半年ぐらいした時に、建築好きな知人に

    「表参道ヒルズ」シャッター通り商店街  ~ブランド突然死の時代~
    mobanama
    mobanama 2009/02/16
    "ブランドの死は突然やってくる。誰かが、あるブランドのことを「裸の王様」であると声を上げさえすれば良い"
  • カトラー:katolerのマーケティング言論: 吉兆の蹉跌 ?ブランドと「のれん」のはざまで?

    「ミシュランガイド東京2008」が昨日、発売された。 国内の日料理店や寿司、天ぷら店などが三つ星や二つ星に選定される中にあって、偽装問題で揺れている「吉兆」の名は影も形もなかった。 東京サミットでは、日料理を各国の元首に供する大役を担うなど、吉兆は、正に日料理界の最高峰の名をほしいままにしてきた。その吉兆の名が地に墜ちつつある。 あまり知られていないことだが、「吉兆」という料亭は、創始者の湯木貞一氏が、1930年に大阪で鯛茶所として開店し、一代で創り上げたもので、百年以上続く老舗料亭、日料理店が、数多く存在する日にあって、その歴史はたかだか70余年でしかない。 その吉兆が、これほどまでの名声をどうして築くことができたのか?それは、ひとえに湯木貞一という創始者の非凡さによっている。大正~昭和の料理人で湯木と並び称されるのが、北大路魯山人だが、魯山人は正真正銘の天才であり、料理を魯山

    カトラー:katolerのマーケティング言論: 吉兆の蹉跌 ?ブランドと「のれん」のはざまで?
    mobanama
    mobanama 2007/11/23
    『近代日本料理の祖型は、魯山人と湯木の二人三脚によって創り上げられた』のれんとブランド。山一の野澤正平社長の涙の会見は「のれん」を繋いだ。
  • 「今日も元気だタバコがうまい!」といえない時代 - カトラー:katolerのマーケティング言論

    mobanama
    mobanama 2007/02/28
    この手の話になると、喫煙擁護者はしきりと禁煙派を人格的に攻撃するよね。子供っぽいとか。『人が吸っているタバコの煙の害が、何よりも気になるような関係性しか他者と…』あのさ、煙の害じゃなくて煙がうざいの。
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