全然関係なくもなく、意外と大事なところで関係していないこともないのだけれども、それは意識の変遷において密接なつながりを持っているという限りでの必然的な重要性でしかないので、直接的な関連ということではまるでない、一つの付随的な出来事について。 昔、ある読書会の中で素朴実在論と懐疑論的独我論の二項対立的関係が語られ、まあ、お題がメルロ=ポンティだったので当然といえば当然ですが、その際に素朴実在論の自明性というか自然発生性というものへの言及があり、一人の発言者がこの自明さを指して「子供の頭の悪さ」と表現しました。 それに対して、別の参加者――女性の方でした――が意識にとっては、素朴実在論より懐疑論的なものの見方、もっといえば意識の絶対性以外の与件を確信できない独我論的偏見の方が自然なものではないかと述べ、また素朴実在論を確信できるような意識は「馬鹿」なのではなく「強い」のであると述べました。 な