松田哲夫さんといえば、 「あ、それは松田くんが資料持っててね」とか 「ここに松田くんも来てたんだよ」とか 友達から名前がしょっちゅう出てくる人でした。 だけど、そう言えば、ぼくは松田さんには ちゃんと会ってない。 松田さんの近くにいる人たちには、 つまり、赤瀬川さんにも伸坊にも、 いっぱい会ってるのに。
松田哲夫さんといえば、 「あ、それは松田くんが資料持っててね」とか 「ここに松田くんも来てたんだよ」とか 友達から名前がしょっちゅう出てくる人でした。 だけど、そう言えば、ぼくは松田さんには ちゃんと会ってない。 松田さんの近くにいる人たちには、 つまり、赤瀬川さんにも伸坊にも、 いっぱい会ってるのに。
「跡取り娘」の経営戦略 【第12回】「粉末醤油」が世界のシェフをうならせた醤油屋「かめびし」17代目 岡田佳苗さん【前編】 2007年10月23日(火)00:00 ニューヨークのスターシェフ、ジャン・ジョルジュのフレンチレストランで、1人の日本女性が食事をしている。「お味はいかがでしたか?」とやって来たマネジャーに、彼女は流暢な英語で食材や料理の感想を述べる。その的確さに、相手は驚くかもしれない。いったいこの女性は何者なのか? 頃合いを見て女性がおもむろに取り出すのは、「ソイソルト」というシーズニング。醤油からフリーズドライした自社製の粉末調味料だ。既にソイソースは全世界レベルの調味料として認知されているが、液体ではない醤油とはどんなものだろう。興味を覚えたシェフが、彼女をキッチンに招く…。 海外の有名レストランで、そんな飛び込み営業をやってのける女性は、香川県の醤油屋かめびしの17代目
ルビ(ふりがな・よみがな)の付いた文章を、子どもたちと日本語の初学者に贈りたい。日本語の漢字は、読むのが難しいという事実を再確認したい。 おはようございます。初めてお目にかかります。わたくし、黄君(おうくん)と申します。 (畠中恵(はたけなか・めぐみ)『つくもがみ貸します』角川書店2007年155頁) ※「黄君」にルビが付いていた。うれしい。これなら、「コウクン」? 「きぎみ」? と首をひねらなくてもよい。読者に対して親切というものです。若い読者層を想定している作品なのでしょう。 題名の「つくもがみ」をかな表記しています。「付喪神」と漢字表記していません。「フソウシン」と音読みし、「つくもがみ」と訓読みするのでしょう。 手もとの辞書では、「つくもがみ」を引くと、「九十九髪」は載っていました。「付喪神」は、載っていません。 付喪神が描かれた『百鬼夜行絵巻』は、中央公論社刊の日本絵巻大成25『
今度の案件はイントラWebっぽいところを作る必要がありそうで、その件について後輩と色々とお勉強。その後輩は新人のときに前のプロジェクトに入ってきてWebアプリを作っていたんだけど、大規模案件だからあまり個別の実装部以外のところは教える機会がなかった。ネットワークの基本とかSSLのこととかを教えてみた。とても飲み込みが良くて頭もいい後輩なんだが、そもそもの話として知らない。開発屋さんとしてはそろそろ知ってて欲しいことがいっぱいあるので鍛える決心をするとともに、世の中こんなものか、と思った。普通にhttpsなウェブサイトを使ったりしているのにね。 インターネットが一般に広まりだした頃、お約束のようにアングラな世界に片足を突っ込みながら、プロキシーとは何か、暗号化とは何かなんてことを聞きかじりで身に付けていった世代の人たちからすると、当たり前のようにインターネットが日常になってからPCを触りだし
▼ 精神論は価値観の崩壊の予兆かも 猫を償うに猫をもってせよ071026より 貞節観念について 近世の武家、豪商、豪農の規範が、近代以降ゆるやかに中産階級に降りてきたもので、と同時に、昭和戦前まで、コンドームが普及していなかったことを考えると、単なる思想の問題ではない。だが、コンドームが容易に入手できるようになった昭和三十年代が、最も純潔教育の盛んだった時代でもあった。こちらは紛れもなく思想の問題である。 これを見て、何かが崩壊する時には必ず精神論が幅を利かせる時期があるのではないかと思った。 避妊や中絶ができなかった時代には一人で子どもを育てる事になったら大変だから、結婚と言う担保をとらずにやる事は危険だった。 貞節観念というのはそういう実利の問題に過ぎなかったのに、 それが崩壊する寸前になってそれを精神性の問題にするような言説が盛んになったことが、これを読んで分かった。
DTPをはじめプリプレスのデジタル化は、さまざまな環境が整い技術的にも成熟の段階に到達してきた。1年ごとに画期的な製品が発売されることもなくなっている。 個々のマシンやデータ等も汎用的になりつつあり、見よう見まねである程度扱うことができるようになった。たとえば、デジタルカメラによる画像データがどのような仕組みで生成され、どのような特徴があるかを知らなくても、印刷やWebサイトに利用することができる。 また、世の中には、すぐに使用するための解説書やトラブル回避の情報さえも行き渡っており、「なぜそうなるのか」を深く理解しなくても利用しているケースも多い。 DTPやプリプレスなどデジタルに関わる技術者にとっては、かえって理解しにくい環境でもある。多くのことが当たり前のワークフローや技術になっており、「なぜそうなっているのか」を深く考えずに受け入れてしまっているのではないだろうか。 さらに、DTP
日本の文字―表記体系を考える (1979年) (岩波新書) 作者: 樺島忠夫出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1979/02/20メディア: 新書この商品を含むブログ (3件) を見る表題通り、日本で使用している文字の表記体系について考察しているが、これを経験的・推論的にではなく、計量的に調査しているところが興味深い。これにより、日本の表記体系が漢字仮名交じり文であることの効率性が客観的に考察されている。 日本語へそまがり講義 (PHP新書) 作者: 林望出版社/メーカー: PHP研究所発売日: 2000/07メディア: 新書 クリック: 1回この商品を含むブログ (3件) を見る特に漢字の書取試験の廃止の是非について、教育者の立場からの意見を述べられている。 漢字再発見―その驚くべき表現力・情報力・経済力の秘密 (二十一世紀図書館 (0003)) 作者: 鈴木修次出版社/メーカー:
不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いいデザインをするにはいいデザインを知っていなくてはならない。 いい仕事をするには何がいい仕事なのかを自分でわかっていなくてはならない。 そして、自分たちがつくったものを他人に好きになってもらうには、何よりまず自分が何が好きかということを深く理解していなければならないのだと思います。 「自分をつくる」ということは、1つには、自分の「好き=数奇」をつくるということだと考えます。 好みを知ることはものづくりに関わる人にはとても重要なこと好みのなんたるかを知らないデザイナーに、客の好みにあったものをつくる力はありません。好むということがどういうことかを、自分自身の好みによって知っている人だけが、他の人の好みについても想像できるのではないかと思います。 味の違いが分からなければ、繊
韓国で使われているハングルは、子音と母音(「字母」)を組み合わせることで、1つの文字が構成される仕組みとなっている。字母を多様に組み合わせることで1文字が完成し、理論的には11,172文字の表現が可能だ。 しかしハングルには、今では使わなくなってしまったものも含めば、以前はもっとたくさんの字母が存在していたようだ。韓国に残されている古い文献を見ると、現代とは異なるハングルがたくさん使われているのが分かる。こうした昔のハングルをコンピューターで利用できるようにしようと、韓国政府が動き出した。 韓国政府の産業資源部傘下にある技術標準院は、19世紀から20世紀初めの古文書で使われていた昔のハングルの字母117字を、10月初旬に国際標準の「ISO/IEC 10646 Amd5」に反映させたと発表した。 技術標準院がKS国家標準作業を進めている、昔のハングルの一例 これにより国際標準に登録されたハン
飯倉照平 ウェブサイトでの公開に際してのお断り (2002. 8.31; 2003. 2. 7):本記事は、1998年から1999年にかけて、当研究会の将来的な目標である新しい熊楠全集(このことについては「当研究会について」のページをご参照下さい)の可能性について研究会会員間で自由に議論した際、平凡社版『南方熊楠全集』の校訂を担当した飯倉照平氏に話題提供を依頼したものです。現時点での、営利あるいは非営利の具体的な編集・出版計画を前提としたものではありません。なお、同様に話題提供をお願いした中瀬喜陽氏の「熊楠資料の表記について」も公開されています。(ウェブページ管理者) (9.11 追記) 本文章では漢字の字体(新旧漢字、及び正体略体などの異字体)の問題への言及があります。新旧字体間の違いが一点一画のみの文字の場合(「者」、「徳」など)の多くは、新字体と区別された旧字体が(普及しているコンピ
日本のタイポグラフィ史の紹介本、とくにアカデミックな研究書では、おそらくほとんど触れられたことがないんじゃないか、と思われる本を二冊。いずれもすでに伝説化しているようで、復刊リクエストの声も多いようだ。 ●カエルの死 夢枕獏著/光風社出版/1985年1月刊 ISBN4-87519-470-6 殺人的写植張り込み:岩本和夫 小説家・夢枕獏のデビュー作としてつとに有名。ただし小説本ではない。では何の本か、というとちょっと説明に骨が折れる。著者は「タイポグラフィクション」と命名しているのだが、要するに写植(写真植字)文字をグラフィカルに使って何らかのストーリーを表現しようという試みだ。 本書には「タイポグラフィック漫画(コミック)」「タイポグラフィック物語(アクション)」「タイポグラフィック詩編(ポエム)」「タイポグラフィック音楽(ジャズ)」「タイポグラフィック童話(メルヘン)」の5ジャンル、計
ページが存在しません URLを再度お確かめください。 記事は移動または削除する場合もあります。 10秒後にトップページに移動します。
たったいまNHKで、「極め付け・幕開け」は誤っており、「極め付き・幕開き」の方が正しい言い方だという話をしていた。文化庁の調査によると、「極め付き」は6割ぐらいの人が、「幕開き」は9割以上の人が間違った言い方をしているという。言葉なんて人間が決めるものなんだから、大半の人が使い始めた段階で「そちらを正しい使い方」と認めてしまうべきだと私は思っているが、今日のテーマはそれではなく、この「文化庁の調査」とGoogleの検索結果の比較。 Googleでそれぞれの言葉を検索して、見つかったページ数を調べる。 極め付け:極め付き=121,000:103,000 (54%が誤用) 幕開け:幕開き=1,880,000:56,100 (97%が誤用) 文化庁の調査結果ととても近い。こうなってくると、言語学を選考している学生が、Googleで調査したデータに基づいて卒論を書くというのは十分有りのような気が
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く