バカになればいい。賢くなればいい。バカになることと、賢くなることは、きっと同じなのだ。そこに生命の運動がある限り。人間である限り。 先日、夏目房之介さんと対談したとき、興味深いやりとりがあった。周知のように、漱石は凄まじいまでの秀才。それが、留学先のロンドンで精神を病んで、日本に帰り、ふとしたきっかけで書いた『吾輩は猫である』で開放された。小説を書くというたのしみに目覚めた。 それからの漱石の人生は、いうなれば、いかにバカになっていくかということだった。そうじゃないと、人間の苦しみや、悩みや、存在することのやり切れなさなど書けない。学問の塔に籠もっていては、小説に魂を入れることができない。 ステキだな、バカになるということ。 そしたら、房之介さんがいたずらっぽく言った。ぼくは、マンガが好きで、マンガばかり書いていて、大秀才だった漱石とはまったく逆のスタート地点だけど、それを突きつめたら、マ