ゆうき まさみ @masyuuki 「九尾の狐」というのは元々はいい神様だったらしいという話は置いといて。これが傾国の妖怪「玉藻前」に仕立て上げられたのは江戸時代のことらしい。これ和ファンタジーでしょう。んで、この妖怪退治に駆り出されたのが、上総介広常、三浦介義明、千葉介常胤ってんだから、歴史ファンにもたまらん。 2023-09-24 20:45:00
#31 天竺からの帰還 時は西暦640年。場所は中国。長旅の末、ようやく天竺に到着し、大量のお経を頂き唐へ持ち帰る途中の三蔵法師。それを見ていた孫悟空がある提案をするのだが... キャスト:秋共憬希/三嶋浩二 「Steve.J」http://youtu.be/B-Zey4U0_uk 「忍者 雑木林で特訓中」http://youtu.be/YpukxMmsQ6Y 「プリズナー NO.303」http://youtu.be/r5pCse0WO2U 「地動説という仮説」http://youtu.be/5fmXDvpmIls 「ラブ アンド ピース」http://youtu.be/IgO9VasAJ3M #31 The Return from Tenjiku It is the year 640 in China. After traveling for a long time, Sanzo
ちょっと前に 【「三国志」、日本での曹操人気、中国の人に経緯を説明するのは難しい… - Togetterまとめ http://togetter.com/li/910387】 というまとめを作りましたが、それが縁で?大物が回想ツイート!LOGINで三国志コーナー「三国時代」を担当、その後「三国志新聞」も手がけ、「三国志は『正史』が重要!」という流れを作ったといわれる地雷魚@Jiraygyo さんが、当時を振り返ります。 ほんの25年前ですが「当時は資料が『無かった』」という話など、さまざまに具体的な事例が挙がり、まるで三国志版「まんが道」か「アオイホノオ」…そこからさらに、吉川英治や横山光輝論にも。
人民教育出版社の必修国語教科書に、杜甫の挿絵が掲載されている。満面厳しい表情の「詩聖」杜甫が岩の上に背筋を伸ばして座っており、体つきは痩せて骨張っており、頭には帽子が翻っている。この挿絵は、人物画の大家である故・蒋兆和氏による作品で、「国家と人民のために心を砕く詩人」という崇高なイメージそのもの。しかし、生誕1300周年の記念すべき年に、自分がリメイクされる「挿絵モデル」の第一人者となり、教科書から飛び出し休む間もなくネット上をあちこち飛び回る生活を送ろうとは、さすがにこの「詩聖」も想像しなかっただろう。中国紙、新京報が伝えた。 ▽2012年にブレイクした杜甫 ネット上で「杜甫」を検索すると、次のような最新情報を見つけることができる。「杜甫。男性。唐代の有名詩人。漢族。字は子美。杜少陵、杜工部、杜拾遺、などとも呼ばれる。号は少陵野老人。西暦712年に生まれ、770年に死去、2012年にネッ
「飛鳥時代」って、具体的にいつのことだかご存知でしょうか?歴史の授業でも出てきますが、この時代区分というのは意外に難しいです。 日本大百科全集(小学館)を見ると<一般には推古朝(593~628)前後から大化改新(645)までとするのが普通であるが、これをさらに天智朝(662~671)ごろまで下げて考える説も美術史家の間には行われており、さらに時代を下げて平城遷都(710)までを飛鳥時代とみる説もある> という具合です。 この「飛鳥時代」に日韓(日本と新羅)が一触即発になっていた状況で、九州の豪族が新羅から豪華な馬具をもらっていたらしいというのがNHKのクローズアップ現代「明らかになる古代の日韓交流史」(12月2日放送)でした。 その前史。つまり、そもそもなんで日本と新羅が緊張状態にあったのかという継体天皇のお話をきのう武将ジャパンにて書かせていただきました。 「古代の日韓交流史」NHKがク
ハイクオリティアニメ「功夫料理娘」で世界から絶賛された狼烟工作室。その新作アニメ「上海のバットマン」が公開されている。 not actually yvonne and adam / istolethetv 2011年に記事「日本アニメ命の中国人オタクも絶賛!中国産アニメ『功夫料理娘』が凄い―中国オタ事情」で紹介したのが「功夫料理娘」。かわいい女子2人のカンフー料理対決を、ぬめぬめとよく動くアニメーションで描いたもの。世界的にも高評価を得て、日本では第13回TBSデジコン6で銅賞を受賞した。 ブログ・中国爆発日記で知ったのだが、 「功夫料理娘」を制作した狼烟工作室の新作「上海のバッドマン」が発表されているという。前作を評価したワーナーが出資して制作したものらしい。ただし機密保持契約のために狼烟工作室公式サイトでは一切告知していないようだ(狼烟工作室ブログ)。 こちらがその新作アニメ。1930
2012年04月30日19:08 カテゴリオタクin中国アニメ 「中華一番の中華料理」を片っ端から再現する中国人、あらわる! 以前の中国では5月1日のメーデーに合わせて1週間程度の連休になる「黄金周」だったのですが、法定休日の分散が行われ、現在では「黄金周」と言えるほどの長さの休みではなくなっているそうです。そして今年は5月の1日〜3日しか休みではないのだとか。 そんな訳で、中国関係の動きが日本とは違うので私の周りも何かとゴチャゴチャが続いており、イマイチGWになったという感じがしない今日この頃ですので、今回は軽めに…… ありがたいことにちょうど面白い情報を教えていただきましたので、その紹介をさせていただきます。 中国に 「料理アニメでは料理の必殺技が出る」 「勝負の料理には特殊効果がつく」 といったことを伝えた作品に 「中華一番」 があります。 「中華一番」は中国のテレビで放映されかなり
» 中国人腐女子のイマジネーションがハンパねぇぇぇぇ!! / 中国各省をイケメン化、しかもめちゃ勉強になる 特集 腐女子とは、ボーイズラブをこよなく愛する乙女達のことである。日本のアニメ文化が伝わると同時に中華圏にも伝わった腐女子文化。すっかり現地に根付いているようだ。 今回、中国腐女子の皆様が暴走気味なのは、画像掲示板。中国の各省・地域のイケメンキャラ化が行われカップリングに二次創作と異常に盛り上がっている。 掲示板では最初は地図の美少女キャラ化でまったりと進行していたのだが、「イケメンキャラを出せ!」と、腐女子が占拠。中国大陸22省、5自治区、4直轄市に香港・マカオ・台湾をあわせた計34キャラクターが紹介された。一部女性キャラも含むが、これだけ多ければ組み合わせは無数。彼女らが興奮するもの無理はない。 イラストは某乙女ゲームを彷彿とさせるような繊細で美しいタッチだ。キャラ設定も大変細か
「うほっいい男」…では無く劉備が漢中王を名乗る決心をした際の張飛の喜びの声(40巻96頁) 前回の続き。横山作品関連の最後のエントリでは「むむむ」以外の横山三国志で印象に残った名シーンや、ネタにされているコマを選んでみた。 巨人・張飛(1巻158頁) 巨人・張飛2(1巻168頁) 初期の張飛はとにかく \でけえ/。前期と後期の路線と比較してみると色々面白い 霊帝「とてもつらい」(3巻137頁) たった6文字で病状を的確に伝えている。自分も短い言葉で伝えられるようありたい。 曹操「おれは天下にそむこうとも〜」(4巻185頁) これは正確には「三国志演義」で印象に残ったシーン。 陳宮「しかし罪もないのを承知で(呂伯奢を)殺すのは、大なる不義と申せましょうぞ」 曹操「わしは、自分が天下の人にそむこうと、天下の人にそむかれることは我慢ならんのだ」 陳宮は返すことばもなく黙りこんでしまった。 (三国
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
だいぶ間が開いてしまったね(汗)…後ろの部分は長くなりそうなんで、少し構成を変えて続けよう。 海賊版「小叮噹」大乱発(1980年〜1989年前後) さて、ダメもとに刷ってみたこの「機器貓小叮噹」は大いに売れに売れ、青文出版を財務の危機から救い出すどころか、信じられないほど儲けて、ひと財産を積むことができた。まあ、今でもタルトが売れたらみんなタルト屋を興し、ドーナツが売れたらみんなドーナツ屋を開くような台湾人だから、青文出版の独走なんて許すわけにはいかない。「小叮噹」があんなに売れると目に見えていたから、みんな揃って「小叮噹」を刷りはじめた。なにせ原稿料はタダだから、あとは絵素材の仕入れルートの確保と、翻訳のスピードを競い合うだけだ。 この時期の海賊版はかなり大量に出回っているはずだが、収集するのが意外に容易ではなかった。自分が持っていたモノは小四の時、引越しの際で全部捨てられたように*1、
「機器貓小叮噹」現る(1974年〜1980年前後) その発端は、今では台湾で「ドラえもん」の単行本など、小学館から殆どの紙出版物を代理発行する台湾青文出版社が約三十年前、財務的に問題が発生し、深刻な経営危機に直面したことであった。 青文出版の創立者・黄樹滋氏はもともと台湾共産党*1の一員で、台湾文学と歴史関係の書籍を出版していた。しかし当時の台湾政府は思想主張に対する箝制が厳しく、しょっちゅう官憲に取り調べられ、本の売れ行きも散々。そんなある日、途方のくれた黄氏は「何を出せば売れるのか」と、西門町で営業する書報攤に聞いてみた。その答えはこうだ。 「台湾人が書いた本なんて売れん、出しても金を溝に捨てるもんだ。出すなら日本人が描いた漫画だな、ほら、この『叮噹』とかは一番売れているよ」*2 その話を聞き、黄樹滋氏は1974年から「叮噹(=ドラえもん)」の出版に踏み切った。児童楽園版の名前に少し手
まだ107年も先のことだけど、9月3日はドラえもんの誕生日。お祝いに(?)特別企画「台湾においてのドラえもん海賊版略史」*1をやっちゃうかな…と思い、とにかく興が冷めないうちにやってみた。 「児童楽園」と一緒にやってきた(1971年頃〜80年代初期?) 台湾の子供たちが「ドラえもん」との最初のコンタクトは、香港の「児童楽園」という、隔週刊の漫画雑誌からだというのは、当時の児童向け読み物の出版や流通事情を記録する資料では、よく言及されるので、定説と見做しても良いだろう。 1953年創刊し、そして1994年で休刊した「児童楽園」は、隔週刊で41年間に渡り出版し続け、香港では歴史のある児童向け画報雑誌である。判型は145㎜×175㎜で、全ページがカラーで薄い雑誌*2だった。 この「児童楽園」は香港発の雑誌だが、1960年代からは台湾でも売られていた。台北の西門町、重慶南路など書報攤*3では、いつ
うつつの夢に有った出来事 それはいつのことだったのか。きこりの泉から出てくる女神様は、青いロボ猫を手に、やさしい声で私に聞いてきた。 「貴方が落したのはこのまともなドラえもん(哆啦A夢)ですか」 「いや、もっと変(小叮噹)なの」 私は頭を横に振り、目を閉じてあの変なドラ面を思い出してみた。 *1 「そうだ…こんなのもあったな…」 機械仕掛けの女神様は、微笑を浮かべなからこう言った。 「正直のごほうびに、哆啦A夢(まともなドラ)をあげましょう」 そして、女神様は私の思い出の中にいた、あの小叮噹(ヘンなドラ)を、きこりの泉に引きずり込んでいった。 夢の裏側に有ったはずの無いモノ 月刊挑戦者史上、将来は「魔の九月号」と呼ばれるのであろうという今月号*2特集は、「哆啦A夢的時代(ドラえもんの時代)」だった。中身は、日本の方々からしてみれば、ドラえもんを語るには常識であるモノや、少しネットで検索かけ
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