今年の8月はブログに戦争の話題を書きたくなかった。ブログも4年を越え、自分なりの考えはもうあらかた書いたような気がしていたし、しだいに8月15日という日が、自分には日本の独善的な欺瞞にしか思えなくなりつつある。が、ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)の死については書いておくべきなんじゃないかとふと思った。ためらった。私が書いたところでまた誤解されるだけなのだ。でも、書いておこう。 ジョー・オダネルの死を朝日新聞は少し奇妙な伝え方をしてた。11日付”「焼き場に立つ少年」の写真家ジョー・オダネルさんが死去”(参照)より。 ジョー・オダネルさん(米国の写真家)が米テネシー州の地元インターネットニュースサイトによると、10日、同州ナッシュビルで脳卒中のため死去、85歳。 奇妙な感じがしたのは、新聞社が「地元インターネットニュースサイトによると」みたいな書き方をしていいのだろうかということ
1945年の8月6日と9日に何がおこったのか知らない渋谷の学生たちへのインタビューからはじまるスティーヴン・オカザキのドキュメンタリー映画『ヒロシマナガサキ』は、原爆という出来事を、その基本の基本にたち返って検証しようというスタンスから作られた作品です。 当時の記録映像や存命被害者の証言、彼らの身体にいまだしも残る深い傷跡を90分見聞きすることは、圧倒的な事実を突きつけられているように感じました*1。いまだ原爆の負の側面を教育しないアメリカ、原爆の教育を怠りつつある日本には意義の多い作品であることは間違いありません*2。 とはいえ、原爆教育の話をここでするつもりはありません。そういうことよりも、核というもの原爆というものは日本のアイデンティティーの重要な一部として、そろそろというか改めてというか何度も繰り返しというか、再認識した方がいいのではないかと思ったりします。たとえば、原爆をテーマに
小田実が死んでしまった。大柄の農夫体型、でかい顔に短い首、細目に太眉、無愛想な早口、大声。決して麗しい容姿ではなかったが、昔(もう少しやせていた頃に)知人に「似てる」と言われて悪い気がしなかったのは、専門家を相手に、ほとんど徒手空拳で素人っぽい議論をしながらも、妙に説得力のある、あの人間味あふれる言葉遣いに魅せられていたからであった。 何冊か読んだはずの著作はほとんど手元に残ってないものの、「難死」という言葉がなんとなく忘れられないでいる(先日、新聞で見かけた「鳥瞰」に対する「虫瞰」という発想もちょっといい)。うろ覚えになるが、確か、大空襲の大阪で、自分の死の意味など何も考える暇もなく、無意味に死んでいった人々の累々たる屍の中で、そうした無意味な死、すなわち「難死」について考えたことが自分の出発点であるというようなことを小田はどこかで書いていたような記憶が。 戦禍の〈大阪〉とか〈広島〉にお
先週の朝刊の片隅に、ある人の「死亡記事」が載っていた。 その人は、原爆の残り火を59年間、守り続けてこられた福岡県星野村の、『山本達雄』さん。 今までに断片的には話しを聞いたことがあったのだが、このたび彼の事績が書かれたサイトから 足跡を紹介し、益々きな臭くなっているこの日本での平和の火の意味合いを考えたいと思う。 _/_/_/_/_/ _/_/_/_/_/ _/_/_/_/_/ _/_/_/_/_/ _/_/_/_/_/ ■美しき星野村■ 福岡県の南東、大分県との県境、吸い込まれるように杉木立の合間を縫って細い 道をたどって行くと、そこに星野村がある。星野村には、何よりも強く人の心を とらえて離さないものがある。それは、1945年8月6日以来59年間、一度 として絶えることなく燃え続けている火、広島に投下された人類史上初めての 原子爆弾の火、すなわち、世界で唯一の「火」であ
id:ryotoさんのブログ、ヒロシマ関連で興味深い記事を拝読す。 リーバー理事長 - for dust you are and to dust you will return しかし、原爆という出来事の悲劇性を考えるとき、アメリカ人を館長に据え、「アジアの人たちの意見を聞く」という行いが、原爆の悲劇性を相対化してしまうことがあり得るのではないか、と思う。 「アジア諸国の意見を聞くヒロシマ」というあり方自体問題を感じないが、そのような主張をする館長でいいのか?という疑問とのこと。なるほどなぁと思う。 ところでわたしはこの前、「仕方ない」発言関連で↓のようなことを書いた。2007-07-05 - 新生★KARPOS わたしには「原爆、ゆるすまじ」「二度と、ゆるすまじ」が骨の髄まで浸み込んでおり、それを剥がすことはできない。それでもって、根本的なところで「恨」があるというのは、もう運命としか言
「アメリカに対し原爆投下の謝罪を要求すべき」と主張する人達が居ます。最近では民主党の小沢代表が久間防衛大臣辞任問題に関連して言い出していますが、アメリカは、少なくとも当分の間は謝罪する事は無いでしょう。現状ではそのようなことが言い出せるような状況ではない、と認識しています。 何故なら、被爆者達がアメリカの謝罪を拒み、献花を踏み躙った過去があるからです。 被爆者ら、献花を踏みつぶす 米艦長に抗議 長崎・平和公園 [1989年9月16日 朝日新聞 西部夕刊] 「核搭載の疑いがある」として本島等長崎市長らに反対されながら、長崎港に入港した米海軍フリゲート艦ロドニー・M・デイビス(4、100トン)のピーター・G・ロバーツ艦長(42)が16日朝、長崎市役所や県庁を表敬訪問した。 本島市長は 「核を積んでいるかどうか聞き、被爆都市の市民感情を説明する」 という理由で訪問に応じ、午前10時からロ艦長に会
夕方にちょっと買い物に出て、帰ってきてネットを覗いたらこの間の記事にいくつかトラックバックをいただいてますね。ブックマークコメントも見ました。 この件については単純にGoogleで検索してみても、わりに簡単にいくつかの興味深い結果が見られます。 revisionist Hiroshima の検索結果 約 79,800 件 たとえば次のブログ記事は検索結果の16番目のものです Oliver Kamm November 10, 2006 Cold War revisionism - a footnote This post is by way of a footnote to the comment three posts down the page on the Democrats, Iraq and history. It has nothing particularly to do wi
中国新聞の「資料館展示見直しに中韓の声」の記事を採り上げた、痛いニュース:【広島】 原爆投下は「日本の植民地支配から解放」とのアジアの声が根強い…原爆資料館展示見直しに中韓などの委員を起用へについて、いろいろなブクマ意見がついていますが… ここで頭に浮かんだのはHistorical Revisionism 歴史修正主義という言葉の使われ方についての次の言及でした。 なおアメリカに於ける歴史修正主義とは専ら「原爆投下は正しくなかった」と主張する人々を批判する為に用いられることがほとんどであることにも留意する必要がある。ただ日本語に翻訳された場合、歴史修正主義という言葉は用いられないことが多い。 (Wikipedia 日本語版「歴史修正主義」より) つまりこのHistorical Revisionismという語は、「原爆投下が正しかった」というアメリカの「(政治的に)正しい見方」から外れて原爆
久間章生氏の「原爆はしょうがなかった」発言につづき、米政府のロバート・ジョセフ核不拡散問題特使(前国務次官)が7月3日に、広島・長崎への原爆投下について「原爆の使用が終戦をもたらし、連合国側の数十万単位の人命だけでなく、文字通り、何百万人もの日本人の命を救ったという点では、ほとんどの歴史家の見解は一致する」と語ったという。 http://www.asahi.com/politics/update/0704/TKY200707040381.html アメリカは以前から、原爆は100万人の米兵の命を救った、として原爆投下を正当化してきたが、今度は、「何百万人もの日本人の命を救った」と、日本国民にまで、原爆投下に感謝せよ、と託宣するわけである。こんな議論に関して「ほとんどの歴史家の見解は一致する」というのであれば、どういう歴史家がそういう見解を述べているか、ジョセフ氏は明らかにすべきである。 原
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