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ブックマーク / uumin3.hatenadiary.org (25)

  • 2008-07-25 嫉妬の時代- uumin3の日記

    岸田秀が書いた『嫉妬の時代』(飛鳥新社)。これが出版されたのは昭和62(1987)年で、もう20年以上前になります。こので岸田は平等主義に醸成された嫉妬の感情が日を支配しているとして、「三浦和義事件」「戸塚ヨットスクール」「豊田商事事件」「積木くずし>親子関係崩壊」「鹿川くんへのいじめ」「写真週刊誌のモラル」など当時騒がれた事件・話題などを実例にして「嫉妬」というものを語りました。 彼が定義した嫉妬とは、 …ぼくが所有すべきもの、所有する権利のあるもの、所有して当然なもの、ぼくにこそ値するものを、ぼくが所有しておらず、あるいは、ぼくの所有が脅かされており、そして、第三者がそれを不当に所有していると思われる場合、または少なくとも、所有しているのではないかと疑われる場合、ぼくがその第三者に抱く憎しみの感情… というものです。「嫉妬について語るとすれば…ぼくの感情について語るしかありません」

    2008-07-25 嫉妬の時代- uumin3の日記
    morutan
    morutan 2008/08/01
    中間(平等)モデルの変化辺りとの関連かなぁ
  • 2008-06-24

    よしなが 少女マンガって、広いじゃないですか。いわゆるオメメキラキラの恋愛ものから、それこそ白泉系の『はみだしっ子』みたいなものまで。でも結局私、少女マンガって一様に言えるのはやっぱりマイノリティのためのものだなと思う。 … よしなが 『ハチクロ』は、大人の人のノスタルジーをかきたてるんですよ。ああ、こういうのが来の正統的な少女マンガだよなぁ、胸キュンの、って。 (『あのひととここだけのおしゃべり』p.26、p.31) ついでなんで書いてしまいますが、この引用の上の方、よしながさんが「マイノリティのためのもの」と少女マンガを位置づけるのは自分にとってとてもしっくりくる言い方でした。実際の立場とも(もしかしたら)ちょっと離れて、精神がそちらの方にいるといいますか(たとえ不遜でも未熟でも理解が足りなくても)孤独とか悲哀の方に流れていく自己認識がある時期にはあって、その感情に肯定を与えてくれる

    2008-06-24
    morutan
    morutan 2008/06/29
    「浜崎あゆみの発見」、と
  • 2008-06-10 - uumin3の日記-社会的役割

    天才的な才能を持ち育ったハンスという少年は、神学校というエリート学校へ2番の成績で合格する。 町中の人々から、将来を嘱望されるが、神学校の仲間と触れているうちに勉学一筋に生きてきた自分の生き方に疑問を感じる。そして周囲の期待に応えるために自らの欲望を押し殺してきた果てに、ハンスの細い心身は疲弊していく。 勉強に対するやる気を失い、ついに神学校を中退する。 そして、鍛冶職人となり、挫折感と、昔ともに学んだ同級生への劣等感から、悲劇の最後を迎える。 (Wikipedia語版より あらすじ) コメントで書いたように、細部こそ違えこれが思い出されてしまいました。 ハンスはエンマに純情をもてあそばれるだけ「まし」かもしれませんが。 読んでいて苦しくなるトラウマ小説*1では一、二を争うものです*2。 *1:一般にはビルドゥングス・ロマンとされています *2:個人的に ある専門職が十全の知識に基づい

    2008-06-10 - uumin3の日記-社会的役割
    morutan
    morutan 2008/06/11
    例のワイドショーなんかの「専門家」のコメントとか、それ以前に「専門家」による心理分析の是非、とか(「予防効果ないじゃん」
  • 2007-11-30

    夕方から諸方で亀田大毅選手の会見を何度か拝見しましたが、はっきり見えたのは「細い目を精一杯見開いて喋っている」*1というところと「顎を上に向けようとしている」というところです。これらが示すのは「お詫びをしよう」ということではなく「虚勢を張ろう」としている態度そのものでしょう。年齢から仕方がないというご意見もあるでしょうが、若年であれプロとして稼いでいるという観点からは褒められたものではないと考えます。 無意識の行動として、詫びよう、謝罪しようとしている態度はどうしても「うつむきがち」の姿勢をとらせると思います(十分条件ではなく必要条件みたいなものとして)。彼におそらく詫びる気持ちはなかったと判断したくなるのです。虚勢を張るのもいいのですが、これで後が無くなったと言ってもいいのではないでしょうか。 偉そうに「反省していない」などと私が叱責しても意味のないこととは思いますが、謝罪会見でなかった

    2007-11-30
    morutan
    morutan 2007/12/01
    不眠のタイプ分け
  • 2007-11-12:プライド - uumin3の日記

    ある時期、20代から30代の女性のかなりの支持を得た今井美樹の『プライド』 ♪私は今 南の一つ星を 見上げて誓った どんなときも 微笑を絶やさずに 生きていこうと この冒頭にグッと来た人も多かったと思うのですが、この歌詞の中で出てくるプライドに関わる一節は だけど今は 貴方への愛こそが 私のプライド これが二回。これはわかりませんでしたね〜。何で?という感じ。 その男の価値が高いのか。はたまた誰も理解しないその価値を自分だけ理解しているということなのか。いずれにせよそういうものにプライドを感じたりすると、後で痛い思いをするんじゃないかって他人事ながら心配してみたり…。(実はこの歌、作詞作曲が布袋寅泰なんですけど…) これがわかり難いのは、プライドがどう成立するかというところで、もちろんプライド(とか自尊心)とは何かというところも含めて、他者の評価というものが関わらずにはいられないだろうと思

    2007-11-12:プライド - uumin3の日記
    morutan
    morutan 2007/11/23
    「ホンモノ」というのではなく「大きな」「深い」などで表したほうが吉、と
  • 2007-10-15 スピリチュアルの流行 - uumin3の日記

    これを「他者問題」と絡めて語っているエッセイをたまたま読ませていただきました。お医者さんの業界紙みたいなもので連載ということでした。そこではスピリチュアル関係のもののブームを 他者と関わりたくないけれど他者に承認されたい というアンビバレントな態度(を持つ者が多いからでは)というところでまとめていました。 どうなんでしょうね。ブームを語るということは非常に現在を語るということに密接に関わりますが、同時に場合によっては現在の状況だけで説明するのが危ないと思われるところもあると考えます。 オカルティックなものの流行だとかスピリチュアルブームだとかいうものにはこの側面も強く、今までも何度も何度も類似のブームがあったり、注目を受ける状況があったものと思いますのでこれだけで説明というのは(それが可能なようにみえても)危ういのではないかと感じました。 たとえば10〜15年程前で言いますと、その当時も書

    2007-10-15 スピリチュアルの流行 - uumin3の日記
    morutan
    morutan 2007/10/24
    そういや「他者に関わりたくないけど承認されたい」ってのはここともリンクするな 「批判はされたくないけど気に入ってはもらいたい」(cf.「正しさ」ではなく「癒し」がほしい) http://morutan.tumblr.c...
  • 古くて新しいポジティブ・シンキング - uumin3の日記

    ちょっと弱々しく生きていればめげそうなのでこれは前向き思考しかないなんて思っていたところで、家のポストに生長の家の雑誌『白鳩』が投げ込まれていました。これはなんてタイミングと感じたのですが、今のところ引越ししてからは新宗教系の勧誘?としてはこれが第一号です。 ポジティブ・シンキングといったようなものは、手段としてはこれをある程度認めざるを得ないような内容を持っていると考えます。ただそれを目的化するようなものには個々人の選択が働くべきとも思いますが… 時折ブログでカーネギーの言葉云々といった成功哲学のを採り上げる方がおられますが、ああいう発想もすべからくポジティブ・シンキング的という形容があてはまるはずのもので、たとえばWikipediaの「ニューソート」の項目では生長の家の谷口雅春の名や成長哲学といったところを引いてこれを …気持ちを明るく保つことによって運命が開けるという考え方である。

    古くて新しいポジティブ・シンキング - uumin3の日記
    morutan
    morutan 2007/10/22
    tips系の成功哲学にネガティブな反応を持つことについて。どっぷりはまるんじゃなくてtipsとして使い分けるってのもあるだろうけど・・スピリチュアルなものへの忌避感があるのかな
  • uumin3の日記:本当に「悪」という人はいるのか?

    というあたりで、実はやることなすことすべて悪、心まで真っ黒という人間はいないのではないかということをかつて書きました。対象となる人、あるいはその時の心持などでそれは変わるもの。たとえば何人も殺したシリアル・キラーだってお母さんには優しいとか、自分の子供には愛着を持つとかいうことはもちろん考えられることだと思います。 しかしその人が不特定の第三者に酷薄であるとか、(私を含む)多くの他人に対して粗暴であるとかいう時、私たちはその人物を「良くない人間」と判断してしまうでしょうし、卑劣な行為や残虐な犯罪に手を染めていれば「悪い人間」と断じてしまったりもするのでしょう。 決してそこには「悪」という質が先行しているのではありません。ある対象(たとえば自分)に対する行為などの「よろしからぬ」現象から、私たちが思わず「悪い」質を感じ取ってしまっている*1ということなのだと考えます。 これは性善説を語っ

    uumin3の日記:本当に「悪」という人はいるのか?
    morutan
    morutan 2007/10/18
    さいしょから「悪」とか「善」とかで掛け金積みすぎなのかねぇ。。
  • 面白そうな 大学の授業システム - uumin3の日記

    ジャストシステムのメールマガジンからの情報ですが、面白そうな授業システムの紹介がされていました。 ただいま『大学塾!!Blog』では、 「携帯電話を活用して、授業で学生の発言を引き出す」 という教育方法を実践している滋賀大学、宮田先生のインタビューを掲載中。 携帯電話というと、普通に考えたら「メール」「私用電話」など授業の敵! しかし、携帯電話の手軽さを逆手にとり、学生の参加意識や積極性を引き出し意欲や理解を高めるという、ユビキタス時代を先取りした授業を行っているのです。 今の学生のケータイに馴染んだ在り方を逆用して、それで発言をリアルタイムに求めて授業するとは考えたものです。若干の問題もありそうですが、とにかくそれで授業を成り立たせて実績を作ってしまっているのは凄いものだと思います。 私がつくった「携帯電話対応コメントカード・データベース・システム」は、学生が授業中にその場で携帯電話から

    面白そうな 大学の授業システム - uumin3の日記
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    morutan 2007/08/25
    ケータイで授業への意見をアップさせるシステムとのこと。匿名らしい。前にエントリ書いたtwitter教育システムと似てる
  • 信を語ること - uumin3の日記

    以前に紹介したアントニオ・ダマジオのインタビュー記事の中に、彼の語る次のような一節がありました。 前著「デカルトの誤謬(Descartes' Error)」では、感情は肉体そのもので起こるプロセスに大きく依存していると主張しました。たとえば、驚くと鼓動が早くなり手のひらが汗ばむのは、恐怖を感じたことの単なる副産物と思われるかもしれませんが、実際には恐怖という感情を産みだすメカニズムの一環なのです。 実は人間の感情に関して意識変化が必ずしも先行するのではなく、そこに心身相関的なメカニズムが働いているという知見はデカルト的な意識中心の考え方への基底的な批判となり得ます。なぜならそれは、「意識が肉体の変化をもたらすという枠組みで私たちが考えることが特権的な「意識」のポジションを作り上げている」ということへの気付きだからです。 さらにその「意識」にしても論理的な整合性に先んじて志向があり、また合理

    信を語ること - uumin3の日記
    morutan
    morutan 2007/08/24
    語れざるもの。知行合一の難しさについて
  • uumin3の日記 - 生物と無生物のあいだ

    評判が良かった、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書1891を読んでみました。なかなかにイメージとして喚起するものの多い、興味深い読書ができたと思います。 なかでも最も私の印象に残ったのは、生物の身体を構成する物質が絶え間なく作られ、壊され、再び作られていくという動的平衡のイメージでした。 エントロピー増大の法則は容赦なく生体を構成する成分にも降りかかる。高分子は酸化され分断される。集合体は離散し、反応は乱れる。タンパク質は損傷をうけ変性する。しかし、もし、やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも早く、常に再構築を行うことができれば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる。 つまりエントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に

    uumin3の日記 - 生物と無生物のあいだ
    morutan
    morutan 2007/08/07
    生物とは何か、とか
  • uumin3の日記 - ワーキングプアII(セカイ系の発想?)

    NHKスペシャル「ワーキングプアII」の再放送を視聴。いろいろ感情的に訴えかけるものはありましたし、何をどうすればということについて頭に浮かぶものも少なくありません。まとまらない考えの中ですが、二つだけすぐに書き留めておきたいと思うところがあります。 一つは、番組に採り上げられた皆さんには当に頭が下がるということです。不慮のダメージ(離婚、労働環境の変化、老いと病気…)をあれこれ負いながら、この方たちは誰を恨むでもなく、憎しみを生きるモチベーションにせずに努力を続けようとしていました。天に見放されたような状況のとき、これはおそらくとても難しいことです。その部分を悩みながらもクリアしていらっしゃるのには当に心が動かされました。 二つ目は上と少しく矛盾するかもしれないのですが、なぜ皆「自分(たち)だけ」で頑張ろうとするのか、そこに激しく疑問が湧きました。早くに離婚して男の子二人を抱えるお母

    uumin3の日記 - ワーキングプアII(セカイ系の発想?)
    morutan
    morutan 2007/08/04
    「国に頼る前に関係性の見直しをするのが先では?」ということで同意なんだけど、切れた関係を修復できない情況もあるのかな、と思う。っつーか、不条理な相手から頼られる側の心情も想像して欲しい
  • メンタルとソーシャルの間 - uumin3の日記

    「格差」とか「貧乏」の問題は社会システムの改変に絡めてよく語られます。でもここにも実は承認の問題が存在しているはずです。30過ぎでバイトとは情けないとか、一人前ではないとか、そういう声が生き辛さを作るものですし、人並みのモノが持ちたいとか、結婚生活を支える金がないからできないとか、そこらへんにも実際に社会的承認が得られない(と考えてしまう)苦しさがあって、それがあればこそ事は重大だと言えるのだと私には思えます。 つまりソーシャルな側面だけでなくメンタルな側面もそこにあるわけで、ただ単に収入が低い人にお金が回れば解決するというものではないということです。ところがこれらの問題をメンタルな面を前に出して語ると、やれ欺瞞だとか格差の維持を肯定しているとか、必要以上に叩く人が多いようにも見えます。 内田樹氏の「格差社会って何だろう」というエントリーは、「格差」とか「貧乏」の問題をメンタルな側面で捉え

    メンタルとソーシャルの間 - uumin3の日記
    morutan
    morutan 2007/07/29
    経済的側面、精神的側面の両方でしょうね。お金に偏って話す人がいる感じはするけど
  • 2007-07-22

    夕方のニュースでアフガニスタンにおける韓国人23名拉致事件のリミットが間もなくであるという報を伝えていました。日11:30までに韓国軍撤退とタリバンで逮捕・収監されている人物の解放がなければ、韓国人人質を殺害するとタリバン側は言っている由。 ところでこのニュースで(私はTBSとANNを見ただけですが)、拉致された韓国人を「医療ボランティアの23人」「医療、教育に関するボランティア」などとしか伝えないのには理由があるのでしょうか? 確かに彼らは医薬品・鉛筆・ノート・せっけんなどの援助物資を幼稚園や病院*1に渡そうとしていたのですが、彼ら自身は医療関係者ではなく、「韓国人医療・奉仕団」という名前で動いてはいますが「アフガニスタンで短期宣教に参加していた韓国人キリスト教信者たちのグループ」であることは朝鮮日報他で最初から報道されているのです。 アフガン拉致:危険を顧みず活動を行うキリスト教信者

    2007-07-22
    morutan
    morutan 2007/07/24
    『他人様の認められた才能をくさす必要などどこにもなく、それには拍手を送りつつ「自分は自分」と考えていけばいいだけなのではないでしょうか?』
  • 2007-07-14

    『ロミオ×ジュリエット』にばかり文句をつけているようで何ですが(前回)、いくらなんでもこれはないんじゃないかと… 第15幕 自我〜進むべく道〜 進むべく道って日語じゃないですよね?*1 「進むべき道」というように自然にならないのではこの脚を書いている人は当に古語を知らないといいますか、日語のある面が不自由なのではないかと思ってしまいます。前回のは苦笑で済ませられるとしても、この間違いはあり得ないと思ってしまいました。 *1:「(誰それが)進むべく、道を探す」のように「べし」が「道」にかからないのならいいのですが、ここはそう判断できないでしょう m_um_uさんから歴史修正主義について断片的に書いたものへのトラックバックをいただいています。ありがとうございます。久間発言などに絡んでこれについてもっと書かれる方がおられるのではと思っておりましたがほとんど目にしてはいませんでした。また探

    2007-07-14
    morutan
    morutan 2007/07/14
    なぜに一部のそれ系の人は傾斜するのかなぁ。。
  • 原武史『滝山コミューン一九七四』 - uumin3の日記

    前評判の時からちょっと触れていたこのを、夕べ読み始めて昼過ぎに読み終えました。今とは全く異なった時代感覚の中をふらふらした気分です。またある程度の懐かしさと同時に、集団と個人の問題の重苦しさにあてられ続けた感もあります…。 話を、あさっての方向から始めてみたいと思います。つい最近話題になっていたあるブロガーの問題に関してそれなりに興味を持って追っていた私は、nitinoさん@うどんこ天気の「愛と友情のブログスフィア罵倒ダメ☆ゼッタイ×ナンデスッテ・マップ」にたどり着きました。そこでまず掲げられた図に思ったのは、「何でここに全体主義?」という疑問でした。 nitinoさんが描かれたのは、あるブロガーの行為についてそれぞれどう関わるか・どう思うかのスタンスを、政治的立場チェックの表のように二つの軸を使って座標平面上でわかりやすく見せようとした図です。縦軸が「罵倒表現への判断軸」となっていて、

    原武史『滝山コミューン一九七四』 - uumin3の日記
    morutan
    morutan 2007/07/11
    全体主義、ナチズムという言葉への脊髄アレルギーがあるのでしょうね。(まぁ、ナチのほうはびみょーなのでファッショとかうんぬん) 対象を「絶対悪」としてしまうことによる思考停止問題
  • uumin3の日記 歴史修正主義と Hiroshima

    夕方にちょっと買い物に出て、帰ってきてネットを覗いたらこの間の記事にいくつかトラックバックをいただいてますね。ブックマークコメントも見ました。 この件については単純にGoogleで検索してみても、わりに簡単にいくつかの興味深い結果が見られます。 revisionist Hiroshima の検索結果 約 79,800 件 たとえば次のブログ記事は検索結果の16番目のものです Oliver Kamm November 10, 2006 Cold War revisionism - a footnote This post is by way of a footnote to the comment three posts down the page on the Democrats, Iraq and history. It has nothing particularly to do wi

    uumin3の日記 歴史修正主義と Hiroshima
    morutan
    morutan 2007/07/11
    ってか、修正主義という言葉にまだ違和感があります。なんかほかの言葉ないんですかね。(この文脈だと「日本は降伏を進めていた」論だけど) | そして、修正修正主義 → http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20070704#p2
  • uumin3の日記 - 歴史修正主義という言葉

    中国新聞の「資料館展示見直しに中韓の声」の記事を採り上げた、痛いニュース:【広島】 原爆投下は「日の植民地支配から解放」とのアジアの声が根強い…原爆資料館展示見直しに中韓などの委員を起用へについて、いろいろなブクマ意見がついていますが… ここで頭に浮かんだのはHistorical Revisionism 歴史修正主義という言葉の使われ方についての次の言及でした。 なおアメリカに於ける歴史修正主義とは専ら「原爆投下は正しくなかった」と主張する人々を批判する為に用いられることがほとんどであることにも留意する必要がある。ただ日語に翻訳された場合、歴史修正主義という言葉は用いられないことが多い。 (Wikipedia語版「歴史修正主義」より) つまりこのHistorical Revisionismという語は、「原爆投下が正しかった」というアメリカの「(政治的に)正しい見方」から外れて原爆

    uumin3の日記 - 歴史修正主義という言葉
    morutan
    morutan 2007/07/11
    あぁ、納得。同じような違和感があったもので。
  • 仏教と女性差別 - uumin3の日記

    かつてアメリカフェミニズム(というよりウィメンズ・リブ)の運動で「なぜキリストは男なのか」という疑問(と批判?)が語られたことがあったといいます。これが日では「女性は仏陀になれるのか」という問いになって語られることはあるかもしれません。 仏教の教義自体が非常に広範なものである以上に、それが混淆的で融通が利くものだけに、寛容さと同時に差別的な国情があればそれに合わせる無碍さが裏目に出るということはあると考えられます。実際、現実の教団や宗派、寺院などにおいて女性が不当な扱いを受けていた(る)という情報は現在でも散見するところ。 しかしこれが仏教の教義的な(つまり質的な)ものかということについては、仏教学者の否定的な意見があり、「女性が仏陀になること」は可能とされています。 …仏陀は男女その他の相対的区別を超越しているのであるから、女性は仏陀になれるし、仏陀になったときには男でも女でも

    仏教と女性差別 - uumin3の日記
    morutan
    morutan 2007/07/11
    「小乗では女性は仏陀になれない(つか、阿羅漢目指す人が多数)、大乗では女性にも仏陀への門戸を開いている」、と。それにしても「五障三従」ってひどいな
  • 2007-07-06

    既存メディアに寄りかからないコミュニケーション(「風の旅人 編集便り 〜放浪のすすめ」より) 博物館のオープンを記念して、2007年12月に上智大学が中心となってシンポジウムを開くのだが、このことを多くの人に知っていただくために、発掘チームが某新聞社に相談にいった。すると、新聞での紹介やシンポジウムに新聞社が協賛する場合、2500万円〜3000万円を新聞社に支払わなければならないという話しになって、そんな大金がある筈がないということで、私のところに相談が来た。 ハゲしく憤る。 新聞社は「協賛」の名の下に数千万円のお金を取っているという話です。 ここに書かれたことが当なら、新聞取るのを止めていてほんとによかったと思います。何が文化活動だと言いたいです。上智大学ももっと怒っていい。(大手)新聞はもう終わっていたということです。 情報とその流通は確かに(権)力になるものです。意識してその力を振

    2007-07-06
    morutan
    morutan 2007/07/11
    「たかがシンポジムの協賛だけで2500~3000万円の金をふんだくろうとする新聞社」、と。つか、パブ記事にするためらしい。特に大手は金銭感覚がおかしくなってるのだと思う