というあたりで、実はやることなすことすべて悪、心まで真っ黒という人間はいないのではないかということをかつて書きました。対象となる人、あるいはその時の心持などでそれは変わるもの。たとえば何人も殺したシリアル・キラーだってお母さんには優しいとか、自分の子供には愛着を持つとかいうことはもちろん考えられることだと思います。 しかしその人が不特定の第三者に酷薄であるとか、(私を含む)多くの他人に対して粗暴であるとかいう時、私たちはその人物を「良くない人間」と判断してしまうでしょうし、卑劣な行為や残虐な犯罪に手を染めていれば「悪い人間」と断じてしまったりもするのでしょう。 決してそこには「悪」という本質が先行しているのではありません。ある対象(たとえば自分)に対する行為などの「よろしからぬ」現象から、私たちが思わず「悪い」本質を感じ取ってしまっている*1ということなのだと考えます。 これは性善説を語っ
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