【サッカーに生きる人たち】「ガンバ大阪というクラブを真のビッグクラブにしていく」梶居勝志(ガンバ大阪 強化部長) 2016.07.12 一度だけ、サッカーを離れたことがある。 のちにガンバ大阪となる松下電器産業サッカー部の一員として天皇杯を制した翌年の1991年から92年の出来事がきっかけだった。Jリーグが発足し、日本全体でサッカー熱が急騰していた。サッカー選手なら誰もが夢を抱き、期待に胸を躍らせていた。 しかし、28歳となるこの時に、病気で戦列を離れたことが災いしたのか戦力外通告を突きつけられてしまう。別のチームでプレーできる可能性はあった。だが、家族がいた。自分一人だけの人生でもない。サッカー選手としての夢を追うより、会社員としての安定した生活を選んだ。 「選手でやりたいという思いだったけれども、それ以降のことはあんまり絵が描けていなかった。ですから、このタイミングでちゃんと職場復帰し