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大江健三郎に関するmshkhのブックマーク (11)

  • 大江健三郎について

    例によってまとまりが全くない内容であるが,現在の自分の記録ということで,エントリを書いてみたい.大江健三郎について. 私がはじめて大江健三郎の小説を読んだのは,高校くらいのときだったと思うが,そのときは受け入れることができなかった.それは,大学に入ってもそうだったように思う.また,その政治的な活動や思想についても,完全に受け入れることができないような気がした. しかし,大江健三郎は,それ以降も,気になる存在ではあった.というのは,大江の師,渡辺一夫への思い,息子光氏のこと,大江の文学に対する姿勢,といった,いわば,その作品自体とは別のところで,関心を捨て切れなかったのである. そのような状況で,再び大江健三郎の小説を再び読んでいこうという気になったのは,2004,5年あたりの,朝日新聞の大江健三郎の連載「伝える言葉」を読んでからである.その連載は,現在では朝日文庫の「「伝える言葉」プラス」

  • 大江健三郎死去

    もう3週間前のニュースになってしまったが、時代の記録としてエントリにしておきたい。 大江健三郎が、今年3月の初めに亡くなった。 ノーベル文学賞 大江健三郎さん 死去 88歳 | NHK | 訃報https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230313/k10014006861000.html 私も、以前大江健三郎についてエントリを書いたことがある。もう10年前になるのか。 大江健三郎について https://dayinthelife-web.blogspot.com/2012/08/blog-post.html 上記エントリでは、大江健三郎の作品の書評をいつか書いてみたいなどと偉そうなことを書いていたが、忙しさにかまけて結局できなかった。このブログでは、そんなことばかりであるけれども。 大江健三郎の傑作としてネットで挙げられているのは、「万延元年のフットボール」が

  • 「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記

    (時事通信配信) 大江健三郎氏が亡くなられた。かつて谷崎潤一郎が死んだ時、三島由紀夫は、「谷崎朝時代」が終わったと評したが、私には、その少し前から始まっていた「大江朝時代」が今終わったと言いたいところである。大江氏は、東大五月祭賞を受賞し、「東京大学新聞」に発表された「奇妙な仕事」を、文芸評論家の平野謙が文芸時評で取り上げることによって、一躍有望な新人としてデビューし、ほどなく「飼育」で芥川賞を受賞したが、私には「奇妙な仕事」こそが初期大江において最も斬新な作品だと感じられる。当時、東大仏文科に在学中で、卒業とともにいきなり多忙な人気作家生活に入った大江氏には、苦しい時期が断続的に襲ってきた。高校時代からの年長の親友だった伊丹十三の妹と結婚し、精神的な安定をみたのもつかの間、浅沼稲次郎暗殺を題材にした「政治少年死す」を発表して右翼の脅迫に遭い、さらに脳に障碍のある男児・光が生まれ、彼ととも

    「大江健三郎がいた日本」の私     小谷野敦(作家・比較文学者) - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2023/03/24
    「作家は、ある程度地位ができると、勉強しなくなる人が少なくないが、中年以降になっても勉強を続けたのは、谷崎潤一郎と大江健三郎氏である」私が大江健三郎(と谷崎潤一郎)を尊敬するのはこの点なんだよな
  • ノーベル文学賞 大江健三郎さん 死去 88歳 | NHK

    現代日を代表する小説家で、日人として2人目のノーベル文学賞を受賞した、大江健三郎さんが、今月3日、老衰のため亡くなりました。88歳でした。 大江さんは、1935年、現在の愛媛県内子町で生まれ、東京大学在学中に発表した作品「奇妙な仕事」で注目を集めたあと、1958年には「飼育」で芥川賞を受賞しました。 そのあとも数々の文学賞を受賞し、新しい世代の作家として、戦後の日文学界をリードしました。 そして1994年、川端康成に続いて、日人としては2人目となるノーベル文学賞を受賞しました。 核兵器や平和の問題に対しても、文学者の立場から向き合い、広島で取材した被爆者や医師の姿を描いた「ヒロシマ・ノート」は、ベストセラーになりました。 また、憲法改正に反対する「九条の会」や、脱原発を訴えるデモの呼びかけ人として名を連ねるなど、社会問題に対しても積極的に取り組み、発言を続けてきました。 講談社によ

    ノーベル文学賞 大江健三郎さん 死去 88歳 | NHK
    mshkh
    mshkh 2023/03/13
    そういう年齢とはいえついに…。まだ読んでない本がいっぱいある
  • 大江健三郎と蓮實重彦と金井美恵子 - jun-jun1965の日記

    講談社から刊行が始まる『大江健三郎全小説』を記念して、『群像』で蓮實重彦と筒井康隆が対談したようだが、大江は『大江健三郎論』以来蓮實を嫌っているようで、大江と柄谷は対談しているが蓮實とはしていないのだから妙なものだ。いっぽう蓮實を今なお崇敬しているように見える糸圭秀実は筒井の宿敵である。 『表層批評宣言』であったか、大江が雑誌を見ていて蓮實の名を見つけるとゴミ箱へ放り込むという文章を見た蓮實が、その放り込む動作が描く放物線の美しさをなどと人をった文章で書いていて、私は若いころどこかでこれのまねをしたことがあるような気がするのだが、それは提出したレポートだったかもしれない。 ところが金井美恵子の『カストロの尻』の最後のほうに、藤枝静男について書いた随筆があってその注(298p)に、藤枝が中村光夫に浜松で講演を頼んだら土地の文学青年が中村に愚劣な文学論を話しかけ続け、タクシーにまで乗り込み、

    大江健三郎と蓮實重彦と金井美恵子 - jun-jun1965の日記
    mshkh
    mshkh 2018/06/02
    群像劇とでもいうべきか
  • 大江健三郎全小説 講談社 今日のおすすめ

    20位までの結果はこちらをご覧ください。 ■大江健三郎全小説 発表以来一度も書籍化されたことのなかった「政治少年死す」を含む入手困難な小説群を収録、さらに詳しい解説を付した全集決定版。 1957年に大学生として瞠目のデビューを果たして以来60年、その革新的なテーマと文体で常に現代日文学の最前線を走ってきた大江健三郎。 青年の苦悩、政治と性、共生、神なき祈り、魂の救済──ノーベル文学賞作家の文学の全貌を、わかりやすい解説を付して編集した全集決定版! 大江健三郎(おおえ・けんざぶろう) 1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科卒業。大学在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。同様に在学中の'58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、'64年『個人的な体験』で新潮文学賞、'67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、'73年『洪水

    大江健三郎全小説 講談社 今日のおすすめ
  • 夜よゆるやかに歩め - jun-jun1965の日記

    政治少年死す」も入っている『大江健三郎全小説』が出るそうだが、どういうわけか、『青年の汚名』が入っていない。あと大江最大の封印作『夜よゆるやかに歩め』は当然のように入っていない。 これは1959年、デビューしたての大江が『婦人公論』に一年間連載した「通俗恋愛小説」で、中央公論社から出たあと、講談社ロマン・ブックスで1963年に出ているが、その後は封印された。 主人公の康男は大学の仏文科の学生で、新進音楽家の従兄がおり、そので女優の矢代節子というのがヒロインである。節子は30歳になる。従兄がパリへ行ってしまったあと、康男と節子は次第に親しくなって、とうとう関係を結んでしまい、節子は妊娠するのだが、パリの従兄とは離婚して節子と結婚し、子供を育てようと康男が明るく決意したあとで、節子が妊娠中絶してしまい、康男は怒って関係を断つ。 従兄にはSという愛人がいたが、節子のほうが先に浮気をした、と聞

    夜よゆるやかに歩め - jun-jun1965の日記
  • 大江健三郎はなぜ嫌われるようになったのか - 黒色中国BLOG

    最近は、時間があると上掲のシリーズ記事の下調べをしている。1960年の開高健訪中の記録である。 これ自体は全90頁程度の短い文章だけど、内容を詳細に解読するにあたって、訪中団の他の参加者の記録にも目を通している。他の参加者の記録を読むことで、開高健の見聞を多角的に検証できる…と思ったからだ。 そうすると、まず第一に目を通すのは、日文学代表団の7名が共同執筆した『写真中国の顔ー文学者の見た新しい国』というになる。 写真中国の顔―文学者の見た新しい国 (1960年) (現代教養文庫) 作者:野間 宏 メディア: 文庫 現在、アマゾンやヤフオクで古書が手に入る。 これを読むと、1960年時点で、7人の日人がどのように中国を見たのかがわかる。そして、この7人の視点を通じて、訪中記を読んだ当時の日人が、中国をどのような国だと認識したのか、時代の空気が読めてくるのではないか。 7人の記録の一字

    大江健三郎はなぜ嫌われるようになったのか - 黒色中国BLOG
  • 大江健三郎「火山」 - jun-jun1965の日記

    1978年秋、高校一年生だった私は、『国文学解釈と鑑賞』の「作家と出発期」という特集号を買った。作家になろうと考え始めていたため、この特集が気になったのであり、その巻末におかれた、戦後作家処女作一覧など、葦編三絶するほどに開き見たものである。 そこに、柘植光彦の『現代文学試論』という、至文堂から出たの広告があった。柘植は当時40歳、専修大助教授だった。埴谷雄高、福永武彦、大江健三郎、三島を扱い、それぞれ作品論があった。だが大江の分は「火山」論とあって、私は首をひねった。「火山」なんて作品があっただろうか。 当初私はこれを、大江の新作ではないかと考えた。何しろ高校一年生だから、自分の知らない新作があってもおかしくないと思ったのだ。だが、実際には既に講談社文庫の『万延元年のフットボール』の年譜でも見ていた、1955年、20歳の大江が書き、銀杏並木賞を受けて『学園』に発表され、のち単行に入れ

    大江健三郎「火山」 - jun-jun1965の日記
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

  • 連合赤軍事件はひたすら愚劣である - jun-jun1965の日記

    私は、連合赤軍あさま山荘事件について、オウム真理教の地下鉄サリン事件と同様の、あるいは三島由紀夫の自衛隊乱入割腹事件と同様の、愚劣な、無意味な事件だとしか思っていない。ただし、フランス革命についてはそう思っていない。これらが愚劣なのは、結局は社会全体や国家の変革などまったく成し遂げられず、単に人が集団を作って何かを信奉して蹉跌した際の、行き場を失った精神エネルギーが起こした病的な事件だからである。のみならず私はドストエフスキーの『悪霊』についても、何の関心もない。 連合赤軍事件については、高橋和巳の「内ゲバの論理」を一読すれば用は足りる。人間はどうやら、集団を作ると狂気に陥るものらしい。むろん、孤独であることによって陥る狂気もあるが、私は中庸を尊ぶから、いずれもよしとしない。集団がもたらす狂気は、単に狂気なのであって、私はあさま山荘事件の連中に何一つ共感するところはない。人殺しども、と思う

    連合赤軍事件はひたすら愚劣である - jun-jun1965の日記
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