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文章に関するmshkhのブックマーク (10)

  • もし文章を読みたい部分だけ読みたい粒度で読めるようになったら、というアイデアがめっちゃ面白い「これすごいな」

    きゅぶんず @kyubuns 「読みたいところだけ、読みたい粒度で読める文章」ってネタが降ってきたので作ってみた 拡大すると、文章の意味も拡大される pic.twitter.com/kEr7XsWaRA 2019-03-24 21:03:13 きゅぶんず @kyubuns 自分は文字ばっかりの文章が当に読めなくて、 文章を読んでいる間に退屈してしまって読み飛ばしまくってしまうのだけれど、 こんな風に気になった部分だけ、それも自分の好きな粒度で読める、みたいな媒体出来ないかな〜っていう妄想 2019-03-24 21:07:48

    もし文章を読みたい部分だけ読みたい粒度で読めるようになったら、というアイデアがめっちゃ面白い「これすごいな」
    mshkh
    mshkh 2019/03/26
    GUI だとこういうのはいろいろあるけど、テキストでこれは面白いかも(アウトラインエディタの発展版?)。応用はいろいろありそう。
  • テキストに下線を引くのは有効か否か

    Yuka Egusa @yegusa @yoshim32 「魚崎祐子『テキストを用いた学習場面における下線ひき行動の役割と有効性の検討』 早稲田大学 博士(人間科学)学位論文」hdl.handle.net/2065/458 これよむと、こういう場合には効果があるらしいとかいい感じでいろんあ研究がまとめられてたよ。 2012-10-09 16:36:10

    テキストに下線を引くのは有効か否か
    mshkh
    mshkh 2018/06/30
    私は本に書き込みはほぼしない。本に線とか書き込むと、見た目が汚くなってもう再読する気がなくなるんだよね。精読する場合は、独立したLaTeXファイルを用意する。数式も書けるし。電子書籍はメモ機能をよく使う
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

    ウェブリブログ:サービスは終了しました。
  • 2016年10月9日|mshkh_note

    来週月曜は出勤するのに,世間的には三連休なので,なんか三連休みたいな気分で一日過ごしてしまって,少し後悔. うーん,もう一つ追加アイディアが欲しいと思ってたんだけど,時間切れかな….とりあえずこれで形を作るか. ふと思えば,note もだいぶ続いた.クソみたいな内容で申し訳ないんですけど,日常の記録なんて普通はしょーもない内容になるよね…. ブログとか日記に限らないけど,文章を残しそれを積み上げていく行為というのは,大げさかもしれないけど,神からの恩恵があるような気がする.少なくとも,書くという行為は,一つの救いではないだろうか.

    2016年10月9日|mshkh_note
  • 【文学の学校・詳報】村上春樹氏「文章を書く、孤独な作業は『1人カキフライ』によく似ている」、古川日出男氏「見事にカキフライの話をされてしまって…」(1/4ページ)

    東日大震災後に福島県郡山市で始められた文学講座「ただようまなびや 文学の学校2015」で29日、最終プログラム「朗読とディスカッション」にサプライズゲストとして登場した作家の村上春樹さんは自作短編を朗読するとともに、ユーモアあふれる表現で小説における想像力などについて語った。大好物のカキフライを揚げることと執筆活動は、どちらも「孤独な作業」という点で似た行為なのだという。文学の学校校長で作家の古川日出男さんや、司会を務めた翻訳家の柴田元幸さん、アメリカ小説家のレアード・ハントさんらとともに登壇した村上さんは「想像力は、外部から与えられるものではなく、自分の中から出てくるもの」など、参加者約160人の前で、作品が生み出される背景について持論を展開した。 登壇者らの主な発言は次の通り(敬称略)。 ◇ 【村上春樹】 想像力について話せということですが、きょうは代わりに、カキフライのことを話し

    【文学の学校・詳報】村上春樹氏「文章を書く、孤独な作業は『1人カキフライ』によく似ている」、古川日出男氏「見事にカキフライの話をされてしまって…」(1/4ページ)
    mshkh
    mshkh 2015/11/29
    これ面白いんだけど,もう少し発言内容の詳しい情報はないかな…
  • 専門的な文章を読むには訓練が必要という当たり前だがあまり知られていないこと|Colorless Green Ideas

    専門家はお互いにとって理解しやすくするために、専門用語を使って文章を書く。こうした専門的な文章を理解するにはしっかりとした訓練が必要である。 はじめに 西日新聞のウェブサイトに掲載されたコラムに次のような文章があった。 ネット上に公開された大学などの論文にある「解釈的文脈」「モダリティ辞」「ディアスポラ」「語用論」って何? 高度な論文でなければ注目されず、不勉強と冷笑されもするだろうが、難解な言葉で自己陶酔する世界観が学術界に広がっていないだろうか。 来、研究は人、社会に役立つべきものと思うが、ネット上の論文には個人的な知的遊戯に浸っている物が少なからず散見される。 田端良成 (2014年3月23日)「STAP細胞をめぐる一連の大騒動」『西日新聞』 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/desk/article/77391 この指摘は妥当なものでない。研究

    mshkh
    mshkh 2014/03/30
    全くそのとおりで,アウトリーチ活動とかならともかく,限られた紙面で専門家向けに成果発表している論文が,非専門家には分かりにくいのは当然のこと.マスコミは不勉強であることをもうちょっと自覚するべき
  • 有村悠さんは「東大ライター」を目指すべきだ | ブログ運営のためのブログ運営

    https://twitter.com/y_arim/status/327078761981952001 有村悠さんから人が次々と離れていくのは当然で、「絶対にエヴァンゲリオンには乗らない」という生き方が反面教師として機能し過ぎるからだ。ある意味、有村悠さんは他人の役に立っているのである。エヴァに乗らないとこういう結末になるという見苦しい見を提示してくれるわけだから、ひとびとは、この世に生まれてきたことの意味を覚悟せざるを得ない。 ソビエトに生まれたウクライナの少女がウサギの毛皮で作ったウシャンカをかぶらされ、女の子には重すぎるアサルトライフルを背負わされたら、生きて帰れないことくらいはわかる。雪に埋もれた貧村を後にして、目の前に広がる銀世界がいずれ黒檀色に変わることを当然のことと考えなくてはならない。ぺったんこになったお腹を膨らませるには他者を捕するしかないのだ。小さな踝で凍える大地

    mshkh
    mshkh 2013/04/25
    何かいろいろすごい
  • あなたの文章を私は読んでいます - Chikirinの日記

    匿名でブログ書くのって悪くないと思う。 残念ながらちきりんブログはもはや匿名ブログとはいえません。 リアルな私を知っている人でこのブログを読んでいる人はたくさんいます。当然そういう人に読まれることを意識して書いています。 けれど、誰にも言わず、完全な匿名でブログを書いている人もいるし、書くこともできるでしょう。 匿名でブログを書いていると最初は誰も読んでくれません。だから反応が欲しい人には続けるのがつらいかもしれない。 けど、書き続けていれば必ず誰かが継続的に読んでくれるようになります。 大人気ブログになったり、アクセスがすごく増えたりすることはないかもしれない。過疎ブログのまま何年も過ぎるかもしれない。 それでも“必ず誰かが”読んでくれるようになります。 完全に匿名でブログを書くと、自分の思うことをそのまま素直に表現できるはず。 誰にも遠慮せず、誰にも羞恥心を感じず気遣いもせず、思うがま

    あなたの文章を私は読んでいます - Chikirinの日記
    mshkh
    mshkh 2010/12/30
    素晴らしいエントリ
  • 書きなぐれ、そのあとレヴィ=ストロースのように推敲しよう/書き物をしていて煮詰まっている人へ

    書き物をしていて煮詰まっているという人には、いつもする話があるから、今日はそれを紹介しよう。 レヴィ=ストロースはこんな風に書く。 「私のなかには画家と細工師がおり、たがいに仕事を引き継ぐのです。 カンバスに向うまえにデッサンをする画家のように最初の段階では、まず書物全体の草稿をざっと書くことからはじめます。 そのさい自分に課する唯一の規律は決して中断しないことです。 同じことを繰り返したり、中途半端な文章があったり、なんの意味もない文章がまじっていたりしてもかまいません。 大事なのはただひとつ、とにかくひとつの原稿を産み出すこと。 もしかしたらそれは化物のようなものかもしれませんが、とにかく終わりまで書かれていることが大切なのです。 そうしておいてはじめて私は執筆にとりかかることができます。そしてそれは一種の細工に近い作業なのです。 事実、問題は不出来な文章をきちんと書き直すことではなく

    書きなぐれ、そのあとレヴィ=ストロースのように推敲しよう/書き物をしていて煮詰まっている人へ
  • 人の話を聞くというか - finalventの日記

    を読まない人間 私はを何冊読むかというのはどうでもいいことじゃないか以下略なんだけど。 繰り返し読むは、その著者の内的な感覚に耳を澄ましているという感覚がある。 というか、人の話を聞いているというか。 私は若い頃、今でもそうかな、人の話を聞かないとよく叱責された。この話は書いたけど、それは大半は私がさっさと話をマクロ処理してその権力性を脱色してしまうからのようだ。人の話を聞けというのは、ようするに命令なのだから。 それはそれとして。 私は、人の話を、自分としてはよく聞いている。声とか論理とか、特に、言葉と言葉使いの感性を。 特に、言葉のなかのある内的な感性の揺らぎみたいのを聞き分けようといつも無意識の努力をしている。 文章のうまい人や頭のよい人というのはいて、そういう人は、ある程度文章をそのままマシン的にかける。わかりやすく明解というか。でも、そこの内的な感覚はおもむろに欠落してい

    人の話を聞くというか - finalventの日記
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