Your effort and contribution in providing this feedback is much appreciated.
Your effort and contribution in providing this feedback is much appreciated.
松尾恒一『日本の民俗宗教』(ちくま新書2019)は知的好奇心をかき立てられる本だが、すこし不思議な点がある。第三章「民衆の仏教への受容」の第三節「因果応報の志操の遊行と宗教者・芸能民」に、 中国の琵琶の音色やメロディーを考える上で注目したいのは、仏・菩薩の住む浄土の様子を描いた『浄土変相図』には、琵琶を含む、浄土での演奏の様子が見られることである。 「敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)」第二二〇窟の唐代の浄土変相図の一つ『奏楽図』には、正面の高欄(こうらん)のある高舞台に仏・菩薩や天女と思われる楽人たちが座して、琵琶やほぼ円形の胴の阮咸(げんかん)(ruanxian)などの棹のある弦楽器や横笛、ハーモニカ状の排簫(はいしょう)(pai2xiao1)などの吹奏楽器を奏している様子が描かれている(図23)。(略) 画中でひときわ目を引くのは、琵琶を背負いかつぐようにして弾く様子である。この奏法
<現在では先進国全体が当時の日本と同じ問題に直面している――混迷と動乱の時代、カルトの説く「真理」が人気商品に> オウム真理教の教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)と教団幹部の計7人の死刑が執行されたというニュースを聞いて、95年3月の恐ろしい出来事の記憶がまざまざとよみがえってきた。あの日の朝、当時3歳だった私の娘は保育園に行くため、地下鉄千代田線に乗っていた。幸い、地下鉄サリン事件が起きたのは少し後だったが、当時の衝撃は今も忘れられない。 日本は公共空間の安全性で名高い国だったが、この事件は首都東京の中心部で、日本人が起こしたテロだった。しかも犯人は庶民ではなく、科学者や一流大学の卒業生――つまり将来の日本を動かすエリート層の同級生や友人たちだった。 これは重要な問題だと、私は感じた。90年代前半の日本は既にさまざまな「神話」の崩壊を経験していた。不動産価格は上がり続けるという神話。優秀
着物姿の日本女性と桜の木。エライザ・シドモアは後に、桜の木をワシントンD.C.にも植えようと尽力した。(PHOTOGRAPH BY ELIZA R. SCIDMORE, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE) 1883年、エライザ・シドモアは、アラスカ行きの郵便船に飛び乗った。 ワシントンD.C.での生活にうんざりしていた彼女は、ナチュラリストのジョン・ミューアがサンフランシスコの新聞に寄稿した感動的な風景に心を動かされた。米国は1860年代にロシアからアラスカの地を購入したが、そこを訪れた米国人はまだほとんどいなかった。恐れを知らない27歳の記者兼写真家は、未知なる大地を自分の目で確かめることに決めた。 シドモアは毎朝6時に起き、コーヒーとロールパンの朝食をとると、オーロラを見たり、手紙を書いたりしながら1日を過ごした。後年、彼女はインタビューで、「水彩画のような風景
私はこの夏60歳になる。老人への道を辿りつつある。そう思うことのひとつには、自著にも書いたが、父が大正15年生まれであることについて、そう遠い歴史と感じられないことがある。 正確な期日は聞きそびれた。私の父は10歳から20歳まで朝鮮で暮らした。祖父の従兄弟の誘いから植民地で大家族を営んでいた。だが、彼はそうした家族を好まず、早々に満州鉄道学校の寄宿舎に入った。朝鮮人と一緒に少年期と青春期を過ごした。野球もした。私は父からそうした感覚を受け継いでいる。だが私も老い、今の日本人にはそうした歴史感覚は伝わらなくなった。そして歴史感覚が失われたとき、歴史の考察が始まるのだろうと、本書を読みながら思った。 本書は、その時代、植民地時代の朝鮮での野球を中心に、朝鮮における野球を歴史的に俯瞰的に扱った本である。と、いうと、いわば歴史の本筋ではなく、ディテールな、些末な歴史のようだが、実際に読まれてみれば
*前篇はこちらから 日本を「中国の映し鏡」ではなく他者としてとらえるべきと気づき始めた一部の中国人のあいだでは、一歩踏み込んで日本研究・日本認識の一新を求める動きもある。 たとえば、もともと知日派の閲覧が多いと言われるポータルサイト『騰訊(テンセント)』のオピニオンコーナー「大家」(「みんな・皆様」の意)に掲載された姜建強氏のエッセイ「君の知っている日本はこのようなものか?」(http://dajia.qq.com/blog/277148103204715) は、日本における司法の独立・学問の独立・表現の自由・権力者の面子にこだわらない現実的な政策立案・不正に対する厳格な社会的制裁・殺到する中国人観光客への「おもてなし」にもぬかりない誠実な職業精神などを列挙する(それは日本に仮託した自国批判とも読める)。そして、日本との暗い歴史も忘れるべきではないが、感情に流されずに日本の歴史と現実を研究
日展書道「篆刻」、入選を事前配分 有力会派で独占 2013年10月30日05時41分、朝日新聞デジタル 【沢伸也、田内康介】日本美術界で権威のある日展の「書」で、有力会派に入選数を事前に割り振る不正が行われたことが朝日新聞の調べで分かった。毎年1万人以上が応募する国内最大の公募美術展への信頼が揺らぐのは必至だ。(略) 日展の不正が話題になっていますが、実を言うとあの種の話は、美術の周辺にいる人なら誰でも知っている話です。あの手の話は何十年も前から公然の秘密で、日展に限らずどこの公募団体も似たような状態にあります。今回表沙汰になったのは書の分野ですが、他の分野でも似たようなものです。とはいえ、こうしたことは狭いアートクラスタの中での「常識」に過ぎないとも思うので、いちおう下記に大まかな解説をしておきます。 =================================== 日展をはじめと
京都御所の北隣、同志社大学に3方を囲まれるように佇む冷泉(れいぜい)邸は、現存する最古の公家住宅。24代目当主の長女に生まれた著者が、25代目にあたる夫と2人、いまも住まう。明治維新で大半の公家が東京に移った後もこの家が動かなかったのは、家祖である藤原俊成・定家父子以来の典籍や古文書を収めた蔵のお守りを続けるためだ。戦乱や天災を乗り越え伝えられた書物の多くは、いまや国宝・重文に指定されている。 冷泉家800年の歴史からは、「歌聖」とあがめられる家祖2人を凌ぐ才能は出ていない。だが、それを自覚した代々が「そこそこ」の感覚を頼りに、次代につなげることこそが務めと自らに課してきたから、文学史を書き換えるような書物群は散逸を免れたと、著者はいう。 〈私たちは、「相変わらず」でいると、なぜかいら立って、なにか変わったことがないか探すのです。本当は、相変わらずほどありがたいことはないのに、と思います〉
浮世絵といえば、東洲斎写楽や葛飾北斎を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、その後幕末から明治にかけて、いま見ても新しい浮世絵作品がたくさん生まれました。今回はそんなクールな浮世絵作品を紹介します。 ※2019年に16作品を追加しました。 巨大な骸骨の妖怪 相馬の古内裏(1845年ごろ) 歌川国芳 非常に有名な1枚。描かれているのは、平将門が討ち取られたあと、その娘とされる滝夜叉姫が呼び出した骸骨の妖怪です。滝夜叉姫はこの妖怪で父亡き後、その遺志を果たそうとしました。※滝夜叉姫は伝説の人です。 作者は奇才・歌川国芳(うたがわくによし)。まずは彼の作品から紹介します。 とどめの一撃 甲越勇将伝 武田家廿四将 三討死之内 諸角豊後守昌清(1847年ごろ) 歌川国芳 ビカーッて漫画みたいになっています。150年前にすでにこんな表現が使われていたことに驚き。 対決 和漢準源氏 乙女 天羅国斑足王悪
→紀伊國屋書店で購入 親韓派による韓国の漢字廃止批判である。 豊田有恒氏は『宇宙戦艦ヤマト』の設定者として有名だが、ヤマトタケルを主人公にしたヒロイック・ファンタジーを手がけたあたりから日本の古代史や朝鮮半島の歴史に関心を広げ、そちらの方面の著作が多くなった。軍事政権という暗いイメージしかなかった1970年代から韓国を50回以上も訪れ、学ぶ人がまだあまりいなかった韓国語をマスターして交友関係を広げてきたという。昨今の韓流ファンとは年季のはいり方が違うのだ。 豊田氏は朝鮮半島の人々と文化を敬愛するがゆえに韓国の漢字廃止政策を大変な損失と嘆き、年々過激化していくハングル至上主義に警鐘を鳴らしている。 漢字廃止が文化の継承を危うくし人々の思考を浅くしているという批判は呉善花氏の『漢字廃止で韓国に何が起きたか』でもみられたが、呉氏の批判の要諦は漢字を使わないと同音異義語が判別できなくなることと、関
「英語教育の専門家といわれる人たちは、自分の過去を棚にあげて、受験参考書など知らないというような顔をしたがる(本当にそうだった幸運な人はもちろん結構)。偏差値、業者テスト、予備校、塾通い、学参、問題集、単語集など現実の教育・学習環境には目をつぶって、コミュニケーションとかテスティングとかのきれい事ばかりを説く。」 (伊村元道(1993)「英語教育の中の受験参考書」『現代英語教育』30(1)) は、日本の英語教育史で従来手薄*1であった〈受験英語〉を扱った好書である。 *1 英語教育史の中で受験英語参考書を取り上げた研究としては、たとえば次のものがある。 荒牧鉄雄 (1968)「受験英語」日本の英学100年編集部編.『日本の英学100年大正編』 pp.327-337.研究社. 速川和男 (1990)「英語学習参考書の研究丁英文解釈参考書の系譜(1)」 『日本英語教育史研究』第5号. pp.1
危機と対応の混乱が続く福島第1原子力発電所。この国には、この「フクシマ」を含め54基の原子炉がある。そもそも被爆国であり地震国でもある日本に、なぜ、これほど多くの原発が造られたのか? 「原子力の戦後史」をひもといた。【浦松丈二】 ◇米国の「冷戦」戦略受け導入 政治主導で推進、議論尽くさず <ポダムとの関係は十分成熟したものになったので、具体的な協力申し出ができるのではないかと思う> 早稲田大学の有馬哲夫教授(メディア研究)が05年、米ワシントン郊外の国立第2公文書館から発掘したCIA(米中央情報局)機密文書の一節である。終戦直後から60年代までに蓄積された474ページにわたるその文書には、日本に原子力事業が導入される過程が詳細に描かれていた。 「ポダム」とは当時、読売新聞社社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏(1885~1969年)の暗号名。原子力委員会の初代委員長を務め、のちに「日本の
年末の28日、古代史関連の話の連想ではあったが、ツイッターでこんなことをつぶやいた(参照)。 近江というところはほんと変なところだった。近江から日本史を編纂しなおさなければならんくらい重要なのではないかと思われるわりに、ほぼ無視されている印象。 すると、いろいろ返信をいただいた。そのなかに、すでにそういう本がありますよと、本書「近江から日本史を読み直す(今谷明)」(参照)を薦められ、即ぽちっと購入して正月、興味を持って読んでみた。日本史を近江から描いてみたいと思う人はいるものだなというのと、読んでみると、この土地の歴史は実に奥深いものだと思った。 本書は、2005年から2007年、産経新聞の関西版に「近江時空散歩」と題して全60回連載された紀行文を、通史的に年代順に再編集したものらしい。読後感も、通史という視点より、現地を丹念に見て回る紀行文の延長という印象が強い。司馬遼太郎の「街道をゆく
Quazen exhibition booth design and stand construction with an efficient stand contractors, building program is an exhibition stand build company providing all around exhibition services in Europe. We offer a full range of stand construction, build up & services and have been developing projects in all European exhibitions, providing build up of unique concepts, using custom materials, for high-en
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く