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  • テレビの時代の演芸 - 柳田威生blog

    http://twitter.com/ga_n_ma/status/52305633793425409 小谷野さんとのやりとりがあったこの人のつぶやきはちょっと興味ぶかい。テレビ時代の地方の演芸ということについて、考えてしまう。 私が小学生の頃、地元の地域センターに笑点メンバーを含む芸人たちが来たことがあって、もちろん自治体が呼んだのだが、彼らが、気の落語をやらないということのニュアンスはわかるつもりである。 とはいえ、芸人たちに怒る気持ちというのは、すくなくとも私はそんなにわかないのである。学校の催しとして教師に引率されて行ったのか、市の主催する興行として割安だったから家族で行ったのか、記憶が定かではないが、ようするにテレビで見ていた人たちを生で見ましょうという、そういうことに力点が置かれていたイベントであったことは子供心にあきらかなようであった。 そういう場で、芸人たちが客を舐めるよ

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  • つまらないものをなぜ避ける? - 柳田威生blog

    そもそも1970年代に大友克洋が「つゆのあとさき」を描いて、1980年代には森田芳光が『の・ようなもの』を撮っていた。落語がださいなんていうのは、(日映画がださいと思われる前から、思われていた。『タイガー&ドラゴン』以降の落語ブームには、正直いたたまれない思いをした。一部の落語家がテレビ放送の初期に大活躍したことは、で確認できるし、ユーチューブで映像を見ることもできる。 面白い落語を観たいとかいう人は、ほかにもいろいろ趣味がある、忙しい、正直なことをいってしまえば、けちくさいうえに情報に翻弄されることに喜びを見いだす倒錯的なひとたちなんだなあ、という思いを禁じえない。

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    muimimuimi
    muimimuimi 2011/03/29
    「落語好き」の手の多さは自分も含めて納得する。
  • 原発の唯幻論 - 柳田威生blog

    対米戦争が石油戦争だったから、敗戦後の日の支配層は、その心理的補償をもとめて原子力発電にすがったのであろう。すがったとしか言いようのない勢いで、日国は発電所の原発化を推進してきた。 日の支配層にとっては、アメリカからの原爆攻撃などは、どうしても目をつぶるしかない古傷でしかないのであった。アメリカに拝跪しなければ、日の支配層は存続できないからなのであった。なぜ原爆に日人は怒らないのか。ビンラディンですら訝っている。

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  • 漫画家 顕名なのに匿名という存在 - 柳田威生blog

    最近はそうでもなくなってきたのだろうが、諷刺マンガ家などは、顕名にして匿名の存在だったのではないかと思うのだ。鈴木義司や富永一朗は、テレビ番組に出ていたし、諷刺だけではなかった。横山泰三は文化人あつかいされて勲章ももらったが、これは例外であって、風刺マンガだけで有名になった漫画家はいないような気がするのである。 マンガ家の地位の低さは小林よしのりがさかんに話題にしていて、さすがに現在はマンガ家の地位が低いなどとはいえない感じになってきたが、同時に、マンガは一般人が気軽に親しむ文化とはいえないものになりつつある。

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    muimimuimi
    muimimuimi 2011/03/27
    作者の社会的地位と一般人が作品に抱く親近感。これは確かに。
  • 東京で使う電力は東京でまかなうべきか - 柳田威生blog

    政治)権力と平等は両立しないことが、今度の原発事故で鮮明になった感じ。分業とか集約というものも、結局はイデオロギーでしかなかった。原発は絶対に安全だということを、原発推進側はいやでも言わなければいけなかったのである。相対的にどうこうということは、イデオロギーではないからである。 補助金がいろいろ出ていたいままでの生活の安楽さと、これから故郷が廃棄されることとが、双葉町や大熊町の人たちの心のなかでちゃんとつり合っているだろうか。そんなわけはないと思うのだが。 集約する、ひとつのことでとりあえずは我慢して、豊かになったらいろいろと選択肢を増やす、というのは、資主義の論理なのでもあった。資主義に一期一会はない。 しかし個人にとっての商品は、しばしば愛着の対象である。私は個人持ちのオーディオヴィジュアル製品には当に高性能へのこだわりがなくて、ふたのアームが片方折れているソニーのWM-GX2

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  • 震災日記 - 柳田威生blog

    二週間ぶりの風景。夜の四ッ谷駅の改札から駅前の交差点を眺める。暗い四谷の駅前。ちょっと自分でも驚くくらいに新鮮である。 週刊文春。小林信彦は若い頃(といってもいまの私よりすこし上の年齢だった時代)に、京王プラザホテルの最上階だかで地震に遭遇した話。これはどこかで読んだことがある。小林の取り扱うテーマには、高層建築への不信というのもある。 養老孟司がおすすめのコーナーですこしコメントしていた。震災後初養老である。「まじめはいやだ話」も、もういいかげん繰り言くさいな。まあ、これはこれでいいでしょう。佐藤優が三浦綾子の自己犠牲小説をすすめているのもなんだか不気味。直前に『獄中記』を読んでいなかったら、もっとギョッとしていただろう。内田樹はマンガをすすめていた。構えすぎである。立花隆は広島原爆を地震エネルギーに換算していて珍(紹介するの内容にそうあるのだろうか)。誰か寺田寅彦のエッセイを紹介し

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  • 震災日記 - 柳田威生blog

    渋谷駅前のスクランブル交差点の写真。誰かの落とした野球キャップ。 徒歩通勤にも飽きたので、外苑前から渋谷までちょっとの距離だったが、銀座線に乗ってみた。おかげで『YOYOCHU』の上映時間に間に合った次第。文明生活である。 映画館で映画を観るのは、震災後初である。大きな地震がこなくて良かった。払い戻されても、せっかく途中まで映画を観た時間を失うことがツライのである。 ひさしぶりに「週刊文春」を買った。立ち読みでなくて小林信彦を読みたかったのである。バンク原稿だったらしく震災の話題には触れていない。 いまその話を聞きたいと思うのは、宮崎駿、養老孟司、大江健三郎、岸田秀、といったあたりである。中年以下はツイッターで頼まれもしないのにベラベラやってるからな…。大江のコメントは朝日新聞経由で仏紙に述べたのを読んだ。養老など、石原慎太郎とはちがった性格のKYコメントをやらかしそうだが…。 昼間『悪魔

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  • 震災日記 - 柳田威生blog

    といっても、私の周囲はさしたる被害を受けたわけではない。 じわりと社会のもろもろの変動をうけて、これからゆっくりと締めあげられる方だ。 輪番停電というのも、ちょっと驚くべきことで、現実にたいして私の想像が追いつかない。火力発電所まで止めるのは、要するに火事になった時に消火できないからなのだろうが…。 伝聞のレベルで親類の安否確認は終了した。 昨日は新聞を買って、それからふと思い立って、新宿御苑に入った。家族やカップルたちが憩っていた。空が抜けるように青く、はしゃいだり、水のみ器を夢中になっていじる子供たちにばかり目がいってしまった。 自宅の片付けをする気になれなくて、がらくたまみれの自室でずっとテレビを見ていた。TBSとフジ、テレ東の画面の右肩に「アナログ」の文字が消失していた。 布団の頭のところに、高校の頃のエアチェック・カセットがバラバラと落ちていて、手元のテレコでマーラーの交響曲だの

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  • パチンコと入試 - 柳田威生blog

    『パチンコ「30兆円の闇」』というを読んだ。面白かった。要するに行政がパチンコを賭博とみとめずに自分たちの収入源として押さえつづけるために、いろんな悪徳が放置されていることを報告しているである。 ネットで試験問題の解答を問うた受験生が話題になっているらしいが、受験というのもパチンコと額は違うかもしれないが同じようにつまらなくも体制化した「産業」だなあと思うのである。この受験生はさしずめパチンコ業界における電波ゴト師のようなものか。日てこればっかり。

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  • 出版社が似た小説を宣伝するために先行した作品を絶版にするなんてことがあるのかしら - 柳田威生blog

    http://ja.wikipedia.org/wiki/佐藤亜紀#.E6.96.B0.E6.BD.AE.E7.A4.BE.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82.E9.80.94.E7.B5.B6.E3.81.AE.E7.B5.8C.E7.B7.AF しかし『鏡の影』という小説は出版社をかえて現役でありつづけているのだから、ようするにファンはついているわけで慶事であると思うのだ。 私はつい、「出版社が似た小説を宣伝するために先行した作品を絶版に」したのだと訴えることで、なにか別のモメントを佐藤が晴らそうとしたのだと、思ってしまうのである。 http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20060915 5年後のいまになって、この文章をはじめて眺めたのだが、いきなり他人の思惑の駒にされた当惑や憤りがよく伝わってくる。

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    muimimuimi
    muimimuimi 2011/03/01
    いやあ、今夜の議論も含め、解説書ではないかもしれないが副読本ではある。教科書や参考書、解説書よりも副読本のほうがおもしろいのが常。
  • 経済的には商業出版との図書館の関係は映像におけるユーチューブのようなものであるか - 柳田威生blog

    http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110226 自治体がベストセラーを何冊も買うのはおかしいとは思う。これには国が法律をつくって自治体に購入冊数制限を課した方がいいとは思う。 とはいえ、A>Cかどうかは一概にいえないんじゃないでしょうか。の分野によるのでは。娯楽小説を自治体が住民に供給するのは、自治体が住民に二週間にわたる立ち読み(館外貸出のこと)を許しているようなものなのかもしれない。 一般読み物で生計をたてる側にとってみれば、読まれることと経済的な利益が両立しなければ困るわけだ。このあたりのことは山夏彦がくりかえし話題にしている。「いいだからみんなで一生懸命筆写して回覧しましたなんて真顔で語るんだ。冗談じゃない。ちゃんと買って読みなさいよっていうんだ」 経済(学)というのはありそうもない仮定からひきだされる「現実」を、実際の現実と比較するよ

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  • 人類には基本的に… - 柳田威生blog

    鼻の大きな男は…という俗説があるけれども、私は、口の大きな男は案外そうではないかと考えているのだ。 生殖器官は要するに内臓なのだから、腹部のどこにあったってべつに構わないのだが、消化管を作る際に、どうせならいっしょに作っちまおうと「自然」は「考えた」わけだ。 精子の働き具合にあわせて精巣が体外に出たというのもよく聞く話だが、あるいは逆に、偶然によって体外に出てしまったから精子がそのように変化したのかもしれないではないか。どちらにしろ哺乳類における話だから、たかだか2億年ほどの話である。 芥川龍之介が大きかったというのは一部で有名な話だが、痩せた人や背の低い人がそうだったりするとわりとショッキングである。あるいは個体差が著しいため、人類文化の早い段階で隠して生活することに決めたのか。芥川の口は…、大きいという感じはしないが、唇は厚いようだ。 石原裕次郎と勝新太郎は立派な鼻をしていたが、それほ

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    muimimuimi
    muimimuimi 2011/02/25
    丸谷才一的。と言うと怒る人もいるのだけれど。ちなみに丸谷先生は人が辟易するまでやる。そこまでが芸風。
  • 簡略化の技術としての「絵心」 - 柳田威生blog

    ということをここしばらく考えている。 自分の仕事について自分が理解しているのは当然だが、他人はそれを理解しているわけではない。だから説明ということをするわけだが、その余裕がないという状況もありうる。 そこで問われるのが、「絵心」の有無なのではないか。 同様に「歌心」ということも考えている。うまく歌うことではなく、自分の身の丈にあわせて自分の歌を繕うこと。その配慮のことをじつは歌心と昔の人は呼んだのではないか。屋という考えは、俺は、好きではないねぇ。

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  • 歌って飛ぶ象 - 柳田威生blog

    『ダンボ』のことである。スピルバーグのドタバタコメディ映画『1941』で『ダンボ』を見て泣くのはスティルウェル中将という人物で、実在の人物から名前とエピソードを借りているらしい。『ダンボ』は1941年の新作映画だから、『1941』劇中のスティルウェルが『ダンボ』のセリフを覚えるまでくり返し見ているのは、なんだか間違っているような気もするのだが、べつに成立しない話なわけでもない。 ところで、 http://www.jtnews.jp/cgi-bin/revpick.cgi?TITLE_NO=3192&REVPER_NO=20054 この感想には笑ってしまった。まったく正しいがゆえに笑えてしまう黒い笑いである。たしかに『ダンボ』は、幼い子供をもった母親を、徒に不安にさせる映画ではあった。

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    muimimuimi
    muimimuimi 2011/02/16
    ピンクの象って幻覚で見るものらしいのだけれど、あの場面は忌まわしかったなあ。
  • 日本橋へ - 柳田威生blog

    京橋に用があったので、日橋まで足をのばしてみた。 とても寒い。中央通を京橋から日橋にむかって歩く。スルガ銀行に気温表示板があって、14:01の気温は4度だった。傘をもつ手がかじかんだ。 コレド室町など眺める。さすがに表通りの建物のエクステリアは、新宿や渋谷とはちがって品がある。 江戸通と交差したら右へ折れてずっと両国橋(兩國橋)まで歩く。いくら土曜の午後といっても、シャッターを下ろしている店がずいぶんあるなと思う。 両国橋へ着いて、隅田川を眺める。これが隅田川なのか。当然というか、なんの感慨もわかなくて、あのくらいの堤防を「カミソリ堤防」と呼んだのかと、しばし呆気にとられる。 私は写真や映像でしか東京スカイツリーを見たことがなくて、やっと物を拝めるかと思っていたのだが、とうの建物は、たれこめた雲にすっぽりと隠れてしまっていた。 そしてすずらん通りを歩く。みごとに何もない、といっては小

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    muimimuimi
    muimimuimi 2011/02/12
    掌編。
  • 芥川賞選評 - 柳田威生blog

    石原慎太郎と村上龍が『母子寮前』になにを言うか楽しみにしていたのだが、ともに言及なし。川上弘美の評は、慇懃にすぎて可笑しい。いちばんしっくりきたのが山田詠美の評。 島田雅彦は、人の心を逆なでする無内容さはいまだ健在といったところ。死ぬまでこんな文章ばかり書いていたらある意味偉い。あと30年ほど頑張ってほしい。

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    muimimuimi 2011/02/10
    選評読みたいような、既にお腹いっぱいなような。
  • 聞けば使える - 柳田威生blog

    知り合いに面白い人がいて、はじめて聞いた言葉を意味を調べることなくすぐに使いたがるのである。だからしばしば使い方を間違う。あまりは読まないらしい。音として言葉を知ったら、それはすぐに使えると思っているらしいのである。そしてたしかにそういう言語の運用法はなくもないよな、と思う。その言葉のニュアンスは、その言葉を聞いた時に相手の口調から察するわけであるから。 いまは高度情報化社会でいろいろ専門が分化しているから、かえって他人の話に調子をあわせるだけで、内容を理解しないまま受け流す人が増えた。また、困ったことに、自分の知識を衒うことに夢中になって、相手が理解しているかどうかを気にしない話し手も多いのである。 私は不躾な人間だから、知らないことは知らないといって、話の流れを平然と断ち切ってしまうし(逆のパターンで「この話題について知らないなら、この先はやめておこう」と相手にいうこともある)、その

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  • あっ! - 柳田威生blog

    筒井としては、こういうことを言うことも、「文学」の営業品目に含まれていたのかもしれないなあ。政治家が個人情報保護を盾に出版を妨害することについて、筒井がわざわざコメントではなく文章を書いてこれを非難してフライデーだかに載せたことがあって、私はそういう筒井のふるまいがなんだか不思議だった。 これは、私は、いま卒然として筒井の真意がわかったような気になった私は、これをフォニーであるとは全然思わないのだが、しかし同時に、この筒井のふるまいを不思議に思ったり、茶番だと思ったりする読者大衆は膨大にいるだろうな、と思ったのである。「なんだ、かっこつけやがってよ。そんなことしたって、意味ねえよ」と。意味を重視して、当人の気持ちをまったく忖度しない、客観的な社会が到来した。たとえば、タバコを吸ったって健康への寄与はないのだからと平然とタバコを弾圧するような、そういう社会。 いまの世の中、だいたい筒井の危惧

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  • 本音とされるものが建前("Phon(e)y")になるとき - 柳田威生blog

    アメリカ 村上春樹と江藤淳 作者: 坪内祐三出版社/メーカー: 扶桑社発売日: 2007/12/07メディア: ハードカバー購入: 1人 クリック: 16回この商品を含むブログ (25件) を見る坪内祐三がちょっとずるいと思うのは、江藤淳が『自由と禁忌』のなかで、「ロックフェラー財団研究員とは、いったい何だったのだろう? これらは後世の批評家や文学史家が、解き明かさなければならない一つの興味深い宿題である」と書いているのに、そのことを黙っているのだ。「こういう」の中で『自由と禁忌』について触れているのに。 そして、このは批評書でもなければ文学史の著作でもない、その趣なきにしもあらずなエッセイ、あるいはゆるやかな私小説なのだ。「興味深い宿題」をこなすのは自分には荷が重いと、坪内は判断したのだろう。 終幕で小島信夫との面識を得ることに、坪内が過剰にビビったのが、おかしい。このは、江藤や小

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  • 『裏声で歌へ君が代』 - 柳田威生blog

    「カルチュラル・ショック」という語が見える。カルチャーショックは和製英語なのだろうなあ。「ラジオ・カセット」はどうだろう、ラジカセを正式名称ふうに表記するなら、ラジオカセットプレーヤーとかレコーダーと書くべきではないか。 パーティー会場で梨田と居合わせた呉連宗が四十七士のことに触れる。その場所は単行の47ページである。偶然なのか、それとも意識しておこなったお遊びなのか。

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    muimimuimi
    muimimuimi 2011/01/14
    おもしろい。