人間とは面倒なものである。 日頃は、自由に振る舞いたいと思っていても、いざ「どうぞ、ご自由に」と言われると、さて何をしてよいのやら分からなくなる。現代では息子や娘が必ずしも<家>を継がなくてもよい。個性を活かして自由に職業を選択しなさいと言われる。すると自分のしたいことは何かに悩み、自分の個性や天職を求め続けていつまで経っても職に就けない。“自由”に生きることは難しい。 やや旧聞に属するが、ブッシュ大統領は、再選後の演説で「自由のために戦うならば、アメリカはあなた方の味方だ」と語り、盛んに<恐怖からの自由>を強調した。このような“自由”は<○○からの自由>である。私たちも同じような意味で自由の語を使っている。文久二年(一八六二)に出た『英和対訳袖珍(しゅうちん)辞書』ではfreedomの訳語を「自由」としている。これは束縛や拘束からの自由である。 仏教も“自由”の語を大切にするが、その意味