ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky、Vassily Kandinsky[1]、本名:Wassily Wassilyevich Kandinsky(ロシア語: Васи́лий Васи́льевич Канди́нский)、1866年12月4日(ユリウス暦)/12月16日(グレゴリオ暦) - 1944年12月13日)は、ロシア出身の画家であり、美術理論家であった。一般に、抽象絵画の創始者とされる。ドイツ及びフランスでも活躍し、のちに両国の国籍を取得した。 画家のガブリエレ・ミュンターのパートナーとしても知られている。 彼はモスクワに生まれ子供時代をオデッサで過ごした。1886年から1892年まで、モスクワ大学で法律と政治経済を学ぶ。 1896年、ミュンヘンで絵の勉強を始め、象徴主義の大家フランツ・フォン・シュトゥックに師事する。 1902年、ベルリンの分離派展