在特会の「京都朝鮮学校襲撃事件」は、実際に朝鮮学校が公園を使うことに対する「苦情」はあった。ただ、朝鮮学校が出来た1960年当初は、周辺も空き地だらけで、目の前の空き地で体育の授業をやっていた。3年後に問題の児童公園が出来たのだが、朝鮮学校側と京都市との間で話し合いがもたれ、文書等で合意が残っているわけではないのだが、なんとなく普通に公園を使うことと、朝鮮学校がグラウンドとして使用すること(ずっと占有すべきではない)の”棲み分け”が出来き、地元でだれもそのことを「問題だ」と考える人はいなかった。別に不便でもなんでもないからだ。 様相が変わりだしたのは、京都南郊にもマンションが立ち並び、経緯を知らない新住民が増えてきたことに加え、2009年2月に阪神高速道路の延伸工事の影響で、公園自体が狭くなり、「棲み分け」のための金網も撤去される。そのころから「近隣住民」を名乗る者からボツボツ抗議の声が上
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