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哲学に関するn-eのブックマーク (31)

  • 科学哲学は物理学について何か「指導的なこと」を言えるか?

    TANIMURA Shogo @tani6s 私の「哲学vs物理学」つぶやきが、思いもよらぬ反響を集め、肝をつぶしました。togetterは、公開後2日間で、のべ8172回閲覧していただいたようです:http://t.co/I9tyjs7N 2012-04-09 18:36:00 TANIMURA Shogo @tani6s 「仕切りなおしてご議論したい」と申しましたが、私が「哲学vs物理学」の全議論を仕切り直すという意味ではありません。そんな力量が私にあるはずもなく、またツイッターという場を誰かが仕切れるはずもありません。たんに、自分の考えを仕切り直して表現したい、という意味です。 2012-04-09 18:36:21

    科学哲学は物理学について何か「指導的なこと」を言えるか?
  • 『科学哲学は物理学をどうしたいのか?』に対しての返答

    まとめ 科学哲学は物理学について何か「指導的なこと」を言えるか? 名古屋大学の谷村省吾教授(@tani6s)による科学哲学に対する疑問についてのツイートのまとめです。 疑問に対する科学哲学者(でない人も含む)からの返答、 『科学哲学は物理学をどうしたいのか?』に対しての返答 →http://togetter.com/li/286243 も併せてご覧ください。 谷村先生の仕事についてはこちら、 日経サイエンス2012年3月号「光子の逆説」 →http://www.nikkei-science.com/201203_032.html をご参照ください。 23982 pv 225 44 users 8

    『科学哲学は物理学をどうしたいのか?』に対しての返答
  • 人工意識 - Wikipedia

    人工意識(じんこういしき、Artificial Consciousness、AC)は、人工知能と認知ロボット工学に関わる研究領域であり、技術によって作成された人工物に意識を持たせることを目的としている[1]。Machine Consciousness (MC)、Synthetic Consciousness などとも呼ばれる。 人工的に知覚を持った「存在」を作る話は、古くは様々な神話など、数々存在する。ゴーレム、ギリシアのプロメーテウス神話、クレティアン・ド・トロワの機械人間、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』などが例として挙げられる。サイエンス・フィクションでは、人工的に意識を持った存在としてロボットや人工知能が描かれてきた。人工意識は哲学的にも興味深い問題である。遺伝学、脳科学、情報処理などの研究が進むにつれて、意識を持った人工的存在を生み出す可能性が出てきた。 生物学的には

  • 中国語の部屋 - Wikipedia

    中国語の部屋(ちゅうごくごのへや、Chinese Room)とは、哲学者のジョン・サールが、1980年に “Minds, Brains, and Programs(脳、心、プログラム)” という論文の中で発表した思考実験[1]。 中国語を理解できない人を小部屋に閉じ込めて、マニュアルに従った作業をさせるという内容。チューリング・テストを発展させた思考実験で、意識の問題を考えるのに使われる。 思考実験の概要[編集] ある小部屋の中に、漢字を理解できない人(以下Aとする)を閉じこめておく。この小部屋には外部と紙きれのやりとりをするための小さい穴がひとつ空いており、この穴を通してAに1枚の紙きれが差し入れられる。そこにはAが見たこともない文字が並んでいる。これは漢字の並びなのだが、Aにしてみれば、それは「★△◎∇☆□」といった記号の羅列にしか見えない。 Aの仕事はこの記号の列に対して、新たな記号

    n-e
    n-e 2012/03/30
  • シミュレーテッド・リアリティ - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "シミュレーテッド・リアリティ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2017年11月) シミュレーテッド・リアリティ(英: Simulated reality)は、現実性(reality)をシミュレートできるとする考え方であり、一般にコンピュータを使ったシミュレーションによって真の現実と区別がつかないレベルでシミュレートすることを指す。シミュレーション内部で生活する意識は、それがシミュレーションであることを知っている場合もあるし、知らない場合もある。最も過激な考え方では、我々自身も実際にシミュレーションの中で生きていると主張

    n-e
    n-e 2011/10/18
  • デジタル物理学 - Wikipedia

    デジタル物理学(デジタルぶつりがく、英: digital physics)とは、「宇宙は質的に情報により記述可能であり、それ故、計算可能である」という仮定によって導かれる、物理学及び宇宙論における理論的展望の総称である。このような仮定を立てるとき、宇宙は、コンピュータプログラムの出力、あるいはある種の巨大なデジタル計算デバイスとして理解される。 デジタル物理学は、以下の一つ以上の仮説を基礎としている。(なお、記載の順番はその主張の強さを示す):宇宙(あるいは現実)は、 質的に情報である(ただし、各情報のオントロジーがデジタルである必要はない) 質的に計算可能である デジタルに記述可能である 質においてデジタルである それ自身が壮大なコンピュータ(計算機)である シミュレーテッドリアリティ実行の結果である すべてのコンピュータは情報理論、統計力学および量子力学の原理と明白な整合性がと

    n-e
    n-e 2011/10/18
  • オントロジー - Wikipedia

    オントロジー(英: ontology)は、以下の意味で用いられる。 哲学用語で存在論のこと。ものの存在自身に関する探究、あるいはシステムや理論の背後にある存在に関する仮定の意味。 オントロジー (情報科学) - 人工知能分野をはじめとするコンピュータの世界では、「概念化の明示的な仕様」と定義されることがある。 遺伝子オントロジー - 生物学的概念を記述するための、共通の語彙を策定しようとするプロジェクト。オントロジーはバイオインフォマティクスの分野で、概念・用語の明示的な仕様のこと。 オントロジー (Rain Dropsのアルバム) - Rain Dropsのアルバム このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リ

    n-e
    n-e 2011/10/18
  • 素朴実在論 - Wikipedia

    素朴実在論(そぼくじつざいろん、英:Naïve realism)とは、実在論の一形態で「この世界というのは、自分の眼に見えたままに存在している」とする考え方のことである[1]。 子供などが持っている素朴な実在論である。 「道路上に水がある」 「トンネルのむこうに川と木がある」 この実在観の例をあげると、例えば、木の葉を見て、ミドリの葉が実在していると思ったりすることである[1]。 また、例えば右のような場面において「水がある」と思ったり、「トンネルのむこうに川と木がある」と思うのも素朴実在論と言える。 素朴実在論が哲学者によって未熟だと烙印を押されるのは、一つには、上の木の葉の例で言えば、木の葉は夕日の中や薄暗がりの中では黒かったりし、ミドリ色として決まっている木の葉があるわけではない、ということからでもある[1]。 人間というのは素朴な状態なままだと、自分が肉眼で感じられた内容をそのまま

    素朴実在論 - Wikipedia
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    n-e 2011/10/18
  • メタファー - Wikipedia

    サミュエル・D・エアハート画、雑誌『パック(英語版)』の風刺漫画。民主党というレッテルを貼られた農家の女性が政変の竜巻から避難している様子が描かれている。 メタファー(希: μεταφορά[注釈 1]、羅: metaphorá、独: Metapher、英: metaphor)は、隠喩(いんゆ)、暗喩(あんゆ)とも呼ばれ、伝統的には修辞技法のひとつとされ、比喩の一種でありながら、比喩であることを明示する形式ではないものを指す。 メタファーは、言語においては物事のある側面をより具体的なイメージを喚起する言葉で置き換え、簡潔に表現する機能をもつ。わざわざ比喩であることを示す語や形式を用いている直喩よりも洗練されたものと見なされている。 メタファーにもいくつかタイプがあるが、一例を挙げると「人生はドラマだ」のような形式をとるものがある。 集団の中で悪影響を及ぼす人物をたとえた腐ったリンゴ メタフ

    メタファー - Wikipedia
  • 第1回「音楽の哲学」オンライン勉強会で、「”歌”の定義」を読んだ。 #ontetsu

    The Routledge Companion to Philosophy and Music (Routledge Philosophy Companions)がテキスト。今年出版された音楽をめぐる哲学の事典を読んでいます。興味ある方は声かけてくださいませ。

    第1回「音楽の哲学」オンライン勉強会で、「”歌”の定義」を読んだ。 #ontetsu
  • とても簡単な構造主義入門 - finalventの日記

    構造主義とは何か? いかめしい定義はさておき。 東京駅5時発の中央線の電車を考えてみよう。 この電車は平日ダイヤなら毎日、5時に東京駅から出発する。 ではここで問いかけ。 今日の5時発の中央線の電車と、昨日の5時発の中央線の電車は、同じだったか、違ったか? 答え、わからない。 でも、そんなこと気にしなくてもいいじゃん、「同じ電車」なんだから、といって、強引に「同じ」にするのが構造主義。 同じ時刻に同じ駅から出発する電車は、つまり、同じ。それで何か不都合でも?みたいな考え方。 そして。 この「同じ」であることを保証しているのが、時刻表。 時刻表という構造、正確にはダイヤという構造。 このように。 構造主義では、対象がまずある全体構造として捉えられ、その構成要素は、システム内部の差異(東京駅か秋葉原駅という差異や、5時か6時かという差異)によって同一または別物だと扱える。 しかも、その要素はす

    とても簡単な構造主義入門 - finalventの日記
  • 平岡公彦氏・finalvent氏・とつげき東北氏のニーチェ解釈――永井均「これがニーチェだ」がすごい - 誰が得するんだよこの書評

    平岡公彦氏に紹介された永井均「これがニーチェだ」をようやく読みました。僕の感覚からすると非常にわかりやすかったです。紹介していただいてどうもありがとうございます。僕がどうしても理解できなかったのは「どうしてニーチェは健全だとか健康だとかにこだわっているんだろう?」ということでした。だから「健全さ」すらも相対化してありとあらゆる価値基準にとらわれることなく好き勝手に生きればいいという主旨のことを述べました。しかし、むしろニーチェの思想は「何が健全か」よりも「何が醜悪か」で考えた方がわかりやすいように思います。というわけで、永井均の解釈に沿って「何が醜悪か」について整理します。 1.第一の醜悪なもの――弱いもの・劣悪なもの 「優れた能力」というものについて考えてみましょう。 たとえば、「速く走れること」は、「速く走れないこと」よりも明らかに「よいこと」です。こうした価値観に対して、速く走ること

    n-e
    n-e 2010/10/20
    "あれ、ニーチェさん実は「弱い」んじゃ……。"
  • イマヌエル・カント - Wikipedia

    イマヌエル・カント(Immanuel Kant ドイツ語: [ɪˈmaːnu̯eːl ˈkant, -nu̯ɛl -]、当て字は「韓圖」[1]、1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン王国の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。 『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。 イマヌエル・カントは1724年、東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)で馬具職人の第四子として生まれた。生涯のほとんどをその地で過ごしそこで没した。両親はルター派の敬虔主義を信仰していた。1732年、敬虔派宿泊施設であるフリードリヒ校に通学し始める。当校ではラテン語教育が重視されたほか、哲学は正規授業としてあり、ヴォルフ派の哲学が教えられていた。174

    イマヌエル・カント - Wikipedia
    n-e
    n-e 2010/05/17
  • 論理学 - Wikipedia

    論理学では、モーダスポネンスのような形式的に妥当な推論を研究する。 論理学 (ろんりがく、英語: logic) は、正しい推論の研究である。形式論理学および非形式論理学が含まれる。形式論理学は、演繹的に妥当な推論あるいは論理的真理の研究である。論証の議題や内容とは無関係に、論証の構造のみにより、前提からどのように結論が導かれるかを研究する。非形式論理学は、非形式的誤謬、批判的思考、議論学と関わりがある。非形式論理学は自然言語で記述される論証を研究する一方、形式論理学は形式言語を用いる。各形式論理体系は、証明系(英語版)を表現する。論理学は、哲学、数学、計算機科学、言語学を含む多くの分野で中核をなす。 論理学は、前提の集合および結論からなる論証を研究する。論証の例には、前提「今日は日曜日である」および「今日が日曜日であれば、私は働かなくて良い」から結論「私は働かなくて良い」を導くものがある[

    論理学 - Wikipedia
    n-e
    n-e 2010/04/17
    "ここでいう論理とは思考の法則、思考のつながり、推理の仕方や論証のつながりのことである。 よく言われる「論理的に話す、書く」という言葉は、つながりを的確に、論証を的確にということである。"
  • 哲学の方法論と「哲学的直観」

    at_akada @at_akada 『「神」という謎』、とちゅうまで読んでどっかいったと思ってたら旅行カバンのなかにあったので最後まで読んだ。すばらしいだった。宗教哲学、分析神学の入門書ということになってるけど他の関心をもった人にもぜひ読んでほしい内容。 at_akada @at_akada 『「神」という謎』がすばらしいのは、論証をちゃんと載せているところだ。数学することが証明することであるのと同じように、哲学することは論証することであると思うのだけど、哲学的論証がちゃんと載っている日語のは少ない。 boysmith @b_oysmith @at_akada 哲学でいうところの論証というのはどういう行為なのでしょうか?? もっとも基的なルール(公理のようなもの?)がどういうものなのかということに特に関心があります. 帰納・演繹・アブダクション、みたいな論理に則って議論をするとい

    哲学の方法論と「哲学的直観」
    n-e
    n-e 2010/04/10
  • モノの価値って全部錯覚だよね… ニュース速報BIP

    1 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/01/16(土) 12:26:25.36 ID:/NM5oBth0 自分のための錯覚を作りこむのが人生だよね… 2 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/01/16(土) 12:27:22.85 ID:vJSYb3AP0 なるほど穿った意見ですねい 4 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/01/16(土) 12:28:53.63 ID:/NM5oBth0 >>2 穿ってるつもりはあんまりない どう考えても、実感的にも、こんな結論になっちゃう 3 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/01/16(土) 12:28:46.81 ID:rHDvZS1PO ダイヤモンドはただの石 一万円札はただの紙 6 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/01/16(土

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    n-e 2010/01/19
  • 心理主義 - Wikipedia

    心理主義(しんりしゅぎ、英: psychologism、独: Psychologismus)は、価値、真理、妥当性などの抽象概念を何らかの心理的作用として把握しようとする学問上の態度を意味する。これは、特定の思想というよりもむしろ、功利主義、唯物論、科学主義などのように形而上学的思弁的議論を好まない思想に広く見られる方法論のひとつである。哲学上の心理主義はフッサールなどが「論理・認識論的な考慮を払わず心理学的なものを重視しすぎる」と批判的に用いたことに始まる。 芸術上の心理主義は、人物の心理描写に重きを置く創作態度を指す。 心理主義の意義[編集] 心理主義は、多くの場合、実験や観察によって確定できない概念(価値、正しさなど)を実証可能なものとして扱うために採用される。確かに、「価値とは何か?」という議論を思弁的に行うよりも、「価値とは個々人の嗜好である」と定義して誰が何を嗜好するかを観察す

    n-e
    n-e 2010/01/19
  • 直接実在論 - mzsmsの雑記

    直接実在論(ないしは、「自然な実在論」)というが、どちらかといえば、存在論というよりも認識論の一説。 僕なりに定式化すると、「あらゆる種類の感覚に対して『認識における同一性判定と存在における同一性判定が必然的に一致する』領域があるなどという保証はないので、そんな領域を哲学的に特定するというプロジェクトは見込みうすであり、そういうプロジェクトが成功するという前提に立った哲学理論は採用するにあたらない」という主張だといえるかもしれない。 とはいえ、このままだとさっぱり分からないので、センスデータ説の批判からはじめよう。 センスデータ説とは、人が黄色い紙を見ているとき、直接に意識に与えられているのは物理的な対象であるその紙ではなく、自分の精神の中の黄色いセンスデータなのである、という立場だ。なぜならば−と、センスデータ説は続ける−、人は物理的には身の回りに黄色いものなど何もないのに夢の中で黄色い

    直接実在論 - mzsmsの雑記
    n-e
    n-e 2009/05/18
    何か面白い
  • 哲学を「する」ほど余裕はないんだよなぁ・・・ - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    知り合いからすすめられて幾星霜。二回ほどとおしてはいるんだが、やっぱり集中力と時間がいるもので、哲学系統のは、いまの生活スタイルではなかなか読めないなぁ。 ハイデガーや現象学を読みこめたのも高校から大学にかけての暇がある時ばかりだった。独特の用語で、世界構築していくため、長時間読書の時間がとれないと僕のような凡人には理解がついていかない。「さらっと通して」全体像を理解するというのは出来るが、「そういう読み方」は、哲学書にはあり得ないものだからねぇ。哲学を「する」というのは、いま僕らが立っている大地の存在を疑うようなもので、そういった、絶対にあり得なさそうなものを、言葉一つ一つを峻厳な定義で積み上げて、世界を再解釈してしまう・・・というところにある。むしろ、結果よりも、その「過程」に意味があるもの。だから、時間があれば、学生時代に一つの哲学を徹底的に繰り返し読むような読書ができると最高なん

    哲学を「する」ほど余裕はないんだよなぁ・・・ - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
  • 脳男 - 脳の中のミ−ム

    「脳神経科と精神科というのはどういう違いがあるんだね」 真梨子はフォークをもてあそびながら適当な答えを探したが、ふとハーバードで同じクラスだった学生が言った言葉を思い出した。 「脳神経医学は死と戦うための医学、精神医学は生と戦うための医学、ですわ」 (p.65) しかし、その光景を確かに見はしたものの、それを見ているものが自分自身だという認識はなかった。なぜなら視覚上の体験には主体的な身体活動が伴わないからだ。実際には光を受容する網膜、そこに映った光の分布を情報として処理する大脳皮質、それをつなげている視神経などの活動がなければ視覚体験は成立しないが、大脳皮質の視覚野は網膜に映った光の位置をそのまま位置情報として処理するから、そこには情報の受容、言語情報への変換、分析という一連の過程が介在しない。視覚は物事を一瞬にして把握するのだ。そのため、見るという行為においては主体の認識が希薄になる。

    脳男 - 脳の中のミ−ム
    n-e
    n-e 2009/04/22