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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (27)

  • パソコンがウェブユーザーにフリーを訓練したように携帯端末は課金を訓練する - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    サイバースペースの独立性 汚物にまみれた産業界と癒着した世界中の政府に告げる。醜く肥え太り正常な判断力を失った貴様等忌むべき独活の大木どもよ、私は魂の新世界、電脳空間からの使者だ。やがて訪れる未来の為に言う、我々に干渉しないでくれたまえ。貴様等は我々にとって歓迎すべからざる存在だ。この電脳世界に集う我々に対して貴様等は統治する術など持ってはおるまい。 ・・・我々は電脳世界に魂の文明を造り上げる。それはきっと貴様等が造り上げた世界よりはるかに人間的で素晴らしい世界となるだろう。 一九九六年 二月 八日 ジョン・ペリィ・バァロウ サイバー反体制派 電子フロンティア財団共同設立者 http://www.asyura.com/2003/dispute6/msg/284.html ウェブにはその始めから実社会とは異なる独立性をもってきた。国家とは異なる秩序、資主義とは異なるエコノミー、そして新たな

    パソコンがウェブユーザーにフリーを訓練したように携帯端末は課金を訓練する - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • ネット上の革命はすでにはじまっている? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ネット上に新たな経済活動は起こらなかった ネットが一般に普及して10年以上たったが、かつて「グローバルビレッジ」に代表されるような期待された「革命」は起こらなかったようだ。この理由の一番は、ネット上に新たな経済活動が起こらなかったためではないだろうか。 確かにネットの普及によって、企業活動は迅速に活発になった。またネット上に新たなビジネスも生まれた。しかしこれらは従来の資主義経済の延長上のものであって、下部構造としての経済活動そのものはかわることはなかった。 多くの人々はかわらず企業へ労働力を売ることで賃金を稼ぐ。ネットはこれとは別に社会関係を楽しむ娯楽である。すなわちネットは新たな経済構造生み出すことなく、社会的な関係を充実されるつながりのツールでしかない。 ネット上の社会関係のために実社会で働く ネット上では掲示板やブログなど長時間かけた活動が行われているが、そこでおこなわれる労力は

    ネット上の革命はすでにはじまっている? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    n-e
    n-e 2009/05/17
  • なぜ日本経済は低成長化するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「日の真のグローバリズムはこれからなんじゃないかな」 http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20090511#p1について 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん 古代なら人口減少は経済衰退を意味しただろう。中世までは人口減少は需要の減少を意味し、それは供給の減少も意味した。しかし、産業革命以降急速に技術革新が進んで、もはや必需品を作り出すのに特別な努力、知識、資金が必要ではない時代になり、人口減少が供給の減少を意味しなくなった。 人口が減れば必需品の需要も減る。それは必需品の生産も減ることを意味する。これらはほとんど正の比例関係にあると言えるだろう。しかし、必需品は減っても、所得が増え続ける限り便益品の需要は増え続ける。ここが日の今後の発展を意味している。 つまり、「もうがむしゃらに働くのは止めよう。質素でも趣味の世界に生きよう」は、デフレで生産が余り、かつ人口減少で

    なぜ日本経済は低成長化するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜiPhoneは「ケータイネット世代のきもち」がわからないのか   - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    テクノロジーはオプティミズ(楽観主義)を生み出す テクノロジーにはある種のオプティミズ(楽観主義)がつきものです。このようなオプティミズを支えているのは「テクノロジーの外挿性」と言うべきものです。たとえば図表上にある2点があると、その2点を通る1の直線が引くことができます。この2点を繋ぐことは内挿ですが、その直線を2点の外側へと延長することが外挿です。外挿された直線は見かけ上は無限に延ばすことができます。 統計的にいえば、近似線の法則性はデータ範囲内での成立するものであって、外挿には根拠がありません。ただ多くにおいて人は内挿でとどめることなどできません。とくにデータが数値化されやすい科学技術において、「外挿する欲望」に打ち勝つことができるでしょうか。すなわちテクノロジーの外挿性は夢の未来というオプティミズ(楽観主義)を生みます。 そしてこのようなテクノロジーの外挿思考が新たな技術開発を生

  • 「ネットユーザーはルサンチマンだからちょっと刺激的なタイトルですぐ炎上するよね」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ネットユーザーは馬鹿だから、ちょっと刺激的なタイトルですぐ騙されるよね | Web担当者Forum http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2008/07/08/3508 IT系の出版社の編集者があつまる飲み会というものがあり、ネット系のメディアが中心になってからもたまに参加している。だいぶ前になるが、その集まりで、こんな発言があった。 「ネットユーザーは馬鹿ばっかりだから、ちょっと刺激的なタイトルをつけたら、すぐ騙されてクリックしちゃうんだよね。」 大手ニュースサイトであっても、記事タイトルの付け方1つでアクセス数は倍どころでなく変わるというのは、よく言われることだ。ユーザーを惹き付ける“良い”タイトルを付ければ、トップページでもクリックされやすくなるし、はてなブックマークなどのソーシャルサイトで取りあげられた場合にも加速度がつきやすくなる。 しかし、良い

    「ネットユーザーはルサンチマンだからちょっと刺激的なタイトルですぐ炎上するよね」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    n-e
    n-e 2008/07/10
    "暇な人に優位なメディア"//衆愚。全体としての意見を取りまとめるのは、やっぱり難しくて、後は個々の人の使用に対して効果が得られれば、という程度かな。
  • なぜ人間の尊厳の根源は仕事にあるのか プロフェッショナル(職業)=ナショナリズム - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    は「世界で一番冷たい」格差社会 たとえばある人に親切にされたとします。そこには贈与と負債の関係が生まれます。このような贈与関係は以前は必然でした。きびしい自然を生きるためには助け合いがなければやっていけません。そこに公共性があらわれます。 しかし現代はお金がそれにかわります。日常的な助け合いの関係がなくても、お金があれば助けを買うことができます。お金の便利なところは与えられた労力に対して対価を支払えば一瞬で精算されるところです。あとあとあのときは助けたから今度は助けてほしい、とうように再燃されることがありません。このような貨幣等価交換社会の中で人は他者に煩わされることなく、きままにいきていけます。だから公共性は最小限にしたい。それが消極的な自由であり、他社回避(動物化)です。 しかしこのような貨幣だのみの社会は危うい綱渡りです。なぜならばお金かなければ行き詰まってしまいます。これが現状

    なぜ人間の尊厳の根源は仕事にあるのか プロフェッショナル(職業)=ナショナリズム - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    n-e
    n-e 2008/07/03
    認識:"貨幣依存社会",お金がなければ行き詰まる,"こぼれ落ちた人々を補助するシステム"無し,"近接した人々の助けあいは解体"//主張:"誰もがプライドをもった職業につく" "そのような機会が与えられる社会"
  • 再び、なぜ人は「フレーム問題」に陥らないのか 「陶酔する人工知能たち」 その3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「運動自体の知覚」 たとえばアナタは椅子に座っている。少し離れたテーブルの上にりんごがおいてある。アナタは「あのりんごを取ろう」と思い、立ち上がり、テーブルまで歩き、りんごを手に取る。ミッション成功である。ここでとても不思議なことは、ミッションを達成するまでにどのように体を使い立ち上がり、二足で前進し、手を動かしてりんごを取ったのか「知らない」ということだ。アナタが知っているのは「あのりんごを取ろう」と思い、見事に取ったことだけである。 人にとってこれらの一連の動作は考えるまでもないとても簡単なことであるが、もしこれら一連の動作ができる人間型ロボットをつくろうと考えたとき、これら動作の難解さがわかる。「立ち上がる」「歩く」「掴む」、それぞれが先端のロボット研究のテーマとなっているような高度な制御技術が必要となる。現時点で一連の動作が行えるロボットを制作することはとても困難だろう。 このよう

    再び、なぜ人は「フレーム問題」に陥らないのか 「陶酔する人工知能たち」 その3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    n-e
    n-e 2008/05/29
  • なぜ「フレーム問題」は錯覚なのか 「陶酔する人工知能たち」その2 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    先のエントリー「なぜ人は人工知能化するのか」(http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20080522#p1)について、いくつか反響をいただきました。説明不足から誤解を与えているようなのでid:raurublockさんとの議論を参考にボクの考えをもう少し説明してみたいと思います。 「フレーム問題」という客観主義的な錯覚 人に人工知能の「フレーム問題」が起こる、というのは客観主義的な錯覚です。客観主義とは自らを<観察者の位置>(神の目線)におき、現象(フレーム)を観察することです。これによって現象(フレーム)は<観察者>とは切り放された客観的に存在することになります。基的に科学は客観主義です。 とくに人の認知について考える場合には、自らも現象(フレーム)の一部であり、現象に影響を与えることを考慮する必要があります。たとえば神経生理学などの実験によると、人の神経回路は入力

    なぜ「フレーム問題」は錯覚なのか 「陶酔する人工知能たち」その2 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    n-e
    n-e 2008/05/23
    "人の認知とは一つの(解釈)行為である。行為でない認知など存在しない"
  • なぜ人は人工知能化するのか  「陶酔する人工知能たち」その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜ人は「フレーム問題」に陥らないのか 人が世界と関わる二つの方法、認知と行為とはどのようなものだろうか。そのわかりやすい例が人工知能の「フレーム問題」だろう。人工知能にチェスのような「閉じた」ゲームを遂行させれば、計算によって最適解を求めながら遂行するだろう。しかしたとえば有名なダニエル・デネットの「フレーム問題の寓話」のような「開放系」の状況では、その過程で起こる場面(フレーム)が無限に考えられるために計算を収束させることができず、フリーズしてしまう。これを「フレーム問題」という。 「フレーム問題の寓話」 http://www.johf.com/logs/20070422b.html 昔、R1という名のロボットがいた。ある日、R1の開発者たちは予備バッテリーを別の部屋に隠して、その部屋に時限爆弾を仕掛け、まもなく爆発するようにセットした。R1は部屋をつきとめ、バッテリー回収作戦を立案し

    なぜ人は人工知能化するのか  「陶酔する人工知能たち」その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜオタクはニコニコ動画を語れないのか 「ネット動画時代の芸術作品」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜマンガは子供が見るものなのか マンガは子供が見るものと言われてきた。日のようなマンガによる多様な表現が行われるマンガ先進国でも、まだまだそのような考えは根強い。 なぜマンガは子供が見るものなのだろうか。簡単に言えば、実写に比べて画像表現のリアリティに欠けるからだろう。カメラが写すだけでは、光の情報しかない。人が「見る」ということは、「〜として見る」というように能動的に解釈することが必要である。 マンガは必要な情報だけを抜き出し、デフォルメされて書かれる。だから写真を見る場合には一から解釈する必要があるのに対して、マンガはすでに解釈されて提供される。(実際は写真もなにを写すというような解釈が含まれている。) 社会性が未熟な子供に対してマンガは、かわいいものはかわいく、怖いものは怖く、描くことで理解しやすいように噛み砕いて提供してあげる。その中で子供は社会的な解釈の共通基盤を学んでゆく。

    なぜオタクはニコニコ動画を語れないのか 「ネット動画時代の芸術作品」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 「ブログ」はもう終わったのか ハイウエイ論3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ハイウェイとデータベース アナログとデジタルの関係について。アナログとは連続的変化である。たとえばA〜Bというアナログの曲線があったとして、それを10分割し、それぞれの区間を平均した直線を並べると、曲線の近似線が現れる。分解能を上げて、100分割、1000分割、1万分割とすると、より曲線に近似する。これがデジタル化である。*1 だからデジタルは非連続的(離散的)である。しかしある段階を越えたときに「疑似連続的」となる。段階とは人がデジタルになめらかな連続性を感じたとき、人の認識能力を越えたときである。アナログの再現には、曲線自体を方程式化する方法がある。その方程式の汎用性が高ければ、異なるアナログの曲線を定数を変えるだけで表すことができる。 それに対して、デジタル化による再現はそのたびごとに、異なる曲線としてデジタル処理する必要がある。このためにデジタル化はさらにメタ-デジタルへ向かう。い

    「ブログ」はもう終わったのか ハイウエイ論3 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 貨幣依存社会とナショナリズムと人工知能化 ハイウェイ論1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    貨幣依存社会とハイウェイ 最近、救急搬送先の不足が言われている。この背景のひとつに、病院へかかる患者が増えている傾向があるという。病気が増えているわけではなく、核家族化し孤立化した中で、少し具合が悪いと、不安からとりあえず病院へいく、あるいは救急車を呼んでしまう。 以前ならば、大家族であり、地域コミュニティの中にノウハウが蓄積され、医者にかかる前にアドバイスが行われた。贈与関係が排除され、貨幣社会へと直結してしまう、社会がある。「お金があればなんとかなる社会」=「お金がなければどうしようもない社会」すなわち「貨幣依存社会」である。 救急医療システムとは、道路でいえば高速道路(ハイウェイ)である。通常の道路は、歩行者、運送車などの人々の社会性と利便性を考えて作られている。高速道路はこれらを括弧に入れて、自動車の利便性に特化した超越的な道路である。しかし一般道路も、そのはじめには、通行という目

    貨幣依存社会とナショナリズムと人工知能化 ハイウェイ論1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    n-e
    n-e 2008/05/08
  • なぜ金玉は「フレーム問題」に陥らないのか 現実とはなにか9 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    金玉は行為し続ける 金玉は不思議な形をしている。体から垂れ下がった袋。温度が低いときには縮こまり放熱を妨げ、温度が高いときは、広がり、放熱を促進することで、精子を守る温調機の働きをしている、と言われる。男性ならば誰もが知っているだろうが、金玉が動くのは、ある温度においてではない。陸に上げられたタコのように、たえずうごめき、精子を攪拌し、温度を調整している。これは人が生まれ、死ぬまで繰り返される。 ここに行為の質がある。行為は機械のように、刺激があり→体が感受し→いかに反応するか検討し→脳が反応を命令し→実際に体を動かす、ということではない。そうではなくて、温度、重力、大気圧、さまざまな圧力がたえず体へ作用し続け、さらには他の神経システムを経由してくる内的な刺激もあり、金玉の動きのように、人は絶えず環境との調整を行い、行為している。 金玉の動きは生理反応であって、意図的な行為とは異なると考

    なぜ金玉は「フレーム問題」に陥らないのか 現実とはなにか9 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ人工知能は笑わないのか 現実とはなにか7  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「フレーム問題」 人工知能には、1969年、ジョン・マッカーシーとパトリック・ヘイズによって示された「フレーム問題」がある。ダニエル・デネットによる以下のような物語が有名である。 昔、R1という名のロボットがいた。ある日、R1の開発者たちは予備バッテリーを別の部屋に隠して、その部屋に時限爆弾を仕掛け、まもなく爆発するようにセットした。R1は部屋をつきとめ、バッテリー回収作戦を立案した。部屋の中にはワゴンがあり、バッテリーはワゴンに載っている。R1は「引き出す」というアクションを実行すればよいと判断し、ワゴンを部屋の外に引き出すことに成功したが、そこで最初の悲劇が起こった。時限爆弾もワゴンの上に載っていたため、部屋の外に出たところで R1は爆破されてしまったのである。 開発者らは第2のロボットの開発にとりかかった。自分の動作が引き起こす結果 (副次的作用) を判断できるロボットを作ればいい。

    なぜ人工知能は笑わないのか 現実とはなにか7  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    n-e
    n-e 2008/04/08
  • なぜ日本人はグローバリズムに乗り遅れたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「空気を読め」に感じるヒステリックさ 「空気を読め」とは、「そこに空気があることを知れ」ということですが、そもそも空気があるのでしょうか。すると「空気があるように振るまえ」ということ、場に秩序を求める願望ということでしょう。 このような傾向で、一般的に知られているのが、儀礼的無関心です。無関心とは関心が「ない」ことですが、儀礼的無関心は、関心がないことが「ある」ということです。関心がないことに意識的であれ、ということです。 あるいは、「消極的な自由」という言葉があります。〜から自由になるというような積極的な自由ではなく、他者に迷惑をかけない程度に好きなことをする自由です。これを実現するためには、不必要に他者に干渉する/から干渉されるということが排除されます。これは儀礼的無関心につながります。「他者に干渉する/から干渉される」ことがないとは、関心が「ない」ではなく、関心がないことを意識に行う

    なぜ日本人はグローバリズムに乗り遅れたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    n-e
    n-e 2008/03/05
    信頼文化と交渉下手。国際社会で信頼が通用しない、国内でも信頼が崩壊する、そんな日本社会のこの先をどう作ろうかみたいな話
  • なぜネオリベラリズムを批判することは難しいのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    近代というデジタル化 最近のネオリベラルや、動物化をめぐる議論は、アナログとデジタルの関係で語るとわかりやすいのではないだろうか。 アナログとはこの世界の連続性であり、決して反復されることがない。たとえば放り上げたボールの軌道を古典力学で計算できても、現象は空気や熱などの環境に左右され、あくまで近似的なものでしかない。では、そのような環境も含めて計算すればと思うが、原子単位のふるまいを観測することなど不可能である。物理学はどこまでも近似でしかない。このよな意味で、この世界(アナログ世界)は連続であり、決して反復されされないし、再現されることはない。 人はこのようなアナログ世界を単位で切り取り、その関係性を見いだし、近似的に記述してきた。それがデジタル化である。たとえば大量のリンゴがあり、品質管理するために大きさで分類するとする。長さが2cm単位で分けると、10cmも12cmも、10〜12c

    なぜネオリベラリズムを批判することは難しいのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ「動物化」は現代を生き残るための戦略なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「ソウゾウ性」と動物化 人が生きるためには、想像を創造することが必要だ。「ソウゾウ(創造、想像)性」とは未来への可能性であり、そこに向かおうとすることで生きる力が生まれる。しかし想像はどこまでも虚像である。それは虚像であるからこそ柔軟に創造される。そして虚像を創造するために現状をこえて錯覚することが必要である。 ソウゾウすることは、「命がけの飛躍」であり、現状から飛躍するにはリスクが生まれる。そしてリスク回避のために人は情報収集を行うだろう。情報が少ない時代には、そのような試みに対しても、解答が得られず、夢をみることを容易にした。そしてそこに貧しくても(貧しいからこそ)、ハングリー精神(生きる力)がうまれえた。 現代の情報過多の時代、夢をみることが難しくなっている。ソウゾウする前に、多くの情報が提供されてしまう。それは生きる上で失敗をさけ、リスク回避としては有用であるが、諦めとともに、足元

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    n-e
    n-e 2008/03/03
    リアルを生きる皆は、どう生きているのだろう。安定した帰属先があるのだろうか。
  • なぜ資本主義社会では「ひきこもりながら」生きることがめざされるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    動物化した主体の他者回避 動物化した主体の形成は、成長過程における「父」の機能の弱体化に特徴があるだろう。社会的な価値観が維持されないなかで強い「父」の機能が働くなくなっているという、社会的規律教育という去勢の不十分。これは、「大きな物語の凋落」と呼ばれる。 去勢によって習得する社会性は、他者との関係において、どのような状況で、どのように振るまうべきかという儀礼であり、それでも協力していかなければならない他者との間の緩和装置として働いていた。 だから去勢不全において社会的な規律、儀礼の習得が未熟な主体は他者とのアクセスに多大な負荷を感じる。なぜなら他者とはそもそもにおいて、不確実な存在であるからだ。すなわち動物化した主体は他者回避が大きな特徴となる。 動物化と資主義の密接な関係 それでも主体が主体であるためには、他者からの承認が必要とされる。このための動物化した主体の承認は、「他者」と異

    なぜ資本主義社会では「ひきこもりながら」生きることがめざされるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    n-e
    n-e 2008/03/03
  • ランキングという化け物を乗りこなすことができるのだろうか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    小さな屋の密やかなコミュニケーション ボクは屋が大好きで屋を見るとつい入りたくなるし、精神的にまいったときなど、大きな屋にいってブラブラしてると落ちついたりする。小さな屋は売れ筋のものが店頭の前面を占めていて、どこでも同じように感じるが、色々な屋に行くとそれぞれに特徴があることがわかる。それはビジネス街の屋にはビジネス書が多くあるというような地域性以上に、なぜこんな小さな屋にこんながあるんだろうというものである。 なぜか精神世界系のが多い屋、あるいは何らかの傾向を持った哲学系のが並んでいる屋など。屋がどのようなシステムで運営されているか知らないが、それが小さな屋のささやかな個性なのだろうか。こんなところでこんなマニアックなは売れないだろうと思うと、誰が買うのか売れていたりする。マニアックなを置き、ささやかに自己主張する屋さんと、それを買う常連客の間に密か

    ランキングという化け物を乗りこなすことができるのだろうか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    n-e
    n-e 2008/03/03
    人気なものは外れないが、無個性となる、と
  • なぜ国家は必要とされるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    第三の波平 グローバルな資主義の展開というのはますます拡大していて、たとえば昨年ベストセラーになったトーマス・フリードマンの『フラット化する世界』(日経済新聞社)でも出ていましたが、アメリカ人とインド人が直接に賃金競争を行うような場合が出てきている。そのとき、労賃の競争そのものが国境を越えているのであれば、実は再分配をアメリカの中とかインドの中だけでやってもしようがない。そうするといずれにせよ、ネイションの範囲内での共感可能性をもとにして、国民国家の中で富の再分配をいくら整えてもどうしようもないという事態が早晩やってくると思います。(東) 大澤真幸vs東浩紀 『ナショナリズムとゲーム的リアリズム第2回』 http://shop.kodansha.jp/bc/mailmagazine/backnumber/gendai_01.html この話はとても東らしいのだけど、ネグリの帝国論と同じ

    なぜ国家は必要とされるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない