東京裁判のとき「あなたと東条の間に思想的対立があったそうだが」と尋ねられた石原莞爾が、「東条には思想などというものはない。ないから対立するはずがない」と答えたのは有名な話だが、山下悦子にも思想などというものはない。今の若い人は、十五年くらい前にどかどか出た山下の雑な著作など読んでいないだろうが、単に上野千鶴子を叩いて名を挙げようという「思想」があっただけで、必要もないのに丸山圭三郎や浅田彰が出てきて、ひたすらニューアカ・ブームの尾っぽに載ってマスコミ出世しようという意図が透けて見えるばかりで、高田里恵子など一歩間違ったら山下になっていたのではないかと思われる。『マザコン文学論』を出したあとで、青野聰の「母よ」にからめての文藝評論を『群像』に書いて、谷崎の「母を恋ふる記」が何の屈折もなく母恋いを綴っているのに対して青野は云々と書いて、翌月の「侃侃諤諤」で、谷崎作品はかなり屈折しているのに山下