渡月橋は嵐山の風景にとってなくてはならない存在である。もし、渡月橋がなければ嵐山の風景は物足りないものになるだろう。また、ここに近代的な橋を置いたならその景観は潤いを無くすだろう。 現在の渡月橋は木橋ではない。昭和九年にコンクリート杭、鋼桁の橋になった。しかし「外形上旧態を保存すること」にこだわって、スパンを一〇メートル強と短くし、木製の桁隠しや高欄が古くからの木造の様式になっているため、外見は木橋に見える。そのスタイルが今日まで守られてきた。 渡月橋の歴史は古代にまで溯る。奈良時代にすでに橋が架けられていた可能性がある。とすると、嵯峨野一帯を開発した渡来系の氏族・秦氏の関与が想定される。 嵐山の周辺は平安京の郊外にあって、平安時代から院の離宮や貴族の別業が営まれ、やがて多くの寺院も建てられるようになり、景勝地としても定着していった。大堰川に架けられた橋は、南岸にあった法輪寺によって