タグ

utagakiに関するnabinnoのブックマーク (10)

  • 歌垣の世界 [978-4-585-29111-4] - 5,280円 : 株式会社勉誠社 : BENSEI.JP

    古代の歌垣関連記事から旧来の歌垣論の再検討、どのように進化してきたかなど幅広く「歌垣」を掘り下げた一冊。 附録として、1995年に著者が直接現地(中国雲南省ぺー族集落)に赴き、約1時間20分にわたる自然な歌垣の映像・音声を収録したDVDを附す。 はじめに 序章 歌垣像への道 歌垣はなぜ消えたのか 歌垣を必要としない結婚制度の普及が歌垣を衰えさせたか 歌垣は〈古代の古代〉以来の風習 第一章 日古代の歌垣関係記事 A(『常陸国風土記』筑波郡) 百数十キロメートルの遠隔地からも参集した 歌の数は膨大だったろう 大規模な歌垣は場所と日時が決まっていた 配偶者を得たいという切実な思い 歌会の場で即興的に歌われた歌ではない B「筑波嶺に登りて嬥歌会をせし日に作れる歌一首并せて短歌」(「高橋連虫麻呂歌集」  『万葉集』巻9・1759・1760) 「嬥歌」は侮蔑感のある漢語 少数民族国家知識人の複雑

  • 歌垣の世界

  • 歌垣(カガヒ) - 神社詣で88ケ所

  • Takagi Masakatsu - Utagaki (Trailer)

  • 歌の起源を探る 歌垣

    【目次】 序論 『歌の起源を探る 歌垣』への招待(真下 厚) 「歌垣」への招待 日の歌掛け文化(真下 厚)/アジアの歌掛け文化(岡部隆志) 日の歌掛け文化古代の歌垣 ―「歌垣」「歌場」「 歌」とその歌―(居駒永幸)/万葉贈答歌の世界(真下 厚)/田植歌の掛け合い ―中国地方の田植に見る―(田中瑩一)/柴折薬師の「男女問答」―土佐の歌掛け伝承の一環として―(井出幸男)/奄美の歌掛け(小川学夫)/沖縄の「手踊りエイサー」にみる掛け歌の諸相 ―歌唱形式を手がかりに―(酒井正子) アジアの歌掛け文化 中国漢族の掛け歌 ―掛け歌における勝ち負けの諸相―(飯島 奨)/中国少数民族の掛け歌 ―チワン族・うたは誰に向かって歌いかけられるのか―(手塚恵子)/中国少数民族の掛け歌 ―ペー族―(工藤 隆)/中国少数民族の歌掛け ―モソ人―共同体の物語と心の物語のあいだ(遠藤耕太郎)/ロシアにおける歌

    歌の起源を探る 歌垣
  • 筑波山 - Wikipedia

    筑波山の地形図 筑波山(つくばさん)は、日の関東地方東部、茨城県つくば市北端にある標高877 m(メートル)の山。筑波山神社の境内地で西側の男体山(標高871 m)と東側の女体山(標高877 m)からなる。雅称は紫峰(しほう)。筑波嶺(つくばね)とも言い、茨城県のシンボルの一つとされている[1]。 概要[編集] 富士山と対比して「西の富士、東の筑波」と称される[2]。茨城県の県西地方からの眺めが美しいとされる[3]。全域が水郷筑波国定公園に指定された保護エリアであり、中腹から山頂付近は特別保護地区(自然公園法)に指定され筑波山神社境内地となっており、古くから樹木および木竹以外の植物の損傷・植栽、動植物の捕獲・採取等が禁じられてきたほか、火器の無許可使用、リード無しのペット散歩等の行為も禁止されている[4]。『万葉集』にも詠まれ[2]、日百名山、日百景の一つとされる。百名山では最も標高

    筑波山 - Wikipedia
  • 辰巳正明「歌垣が育んだ、東国の万葉集」

    筑波山麓には、こんな歌が流行っていた。山に雪が降ったのかな、それとも愛しい彼女が白い布を干しているのかな、という恋歌だ。東国の歌は、恋歌の世界でもある。 古代の東国は、都から遠く離れた、野蛮な土地とされていた。東男〔あずまおとこ〕は勇敢で、兵士に適しているというので、防人〔さきもり〕にあてられた。野蛮を勇敢に置き換えられた防人だが、しかし、彼らの歌は父母や子、そして故郷との別れを嘆く歌に満ちている。かつて、防人の歌には皇国の民の勇ましさが歌われているといわれたのは、嘘なのである。 父母も花にもがもや草枕 旅は行くとも捧〔ささ〕ごて行かむ (巻20-4325) 父母が花ならこの手に捧げて防人の旅に出ようという、心優しい歌だ。その防人たちがすぐれた歌を詠んだのは、東国の地が歌の文化に満ちていたからである。そうした歌の文化の一端が、冒頭に掲げた筑波地方の流行歌なのである。では、この歌はどのよう

    辰巳正明「歌垣が育んだ、東国の万葉集」
  • 衣袖漬常陸國風土記 總記、新治、筑波、信太、茨城、行方郡

    一、總記 常陸國司(くにのつかさ)解(げ)。申(まをす)古老相傳舊聞(ふること)事。 問國郡(くにこほり)舊事,古老(ふるきおきな)答曰:古(いにしへ)者,自相摸(さがむ)國足柄岳坂(あしがらのやまさか)以東諸縣(もろもろのあがた),惣(すべて)稱我姬國(あづまのくに)。【○我姬,亦作吾嬬(あづま)、吾(あづま),東也。】是當時(このとき),不言常陸(ひたち)。唯(ただ)稱新治(にひばり)、筑波(つくは)、茨城(うばらき)、那賀(なか)、久慈(くじ)、多珂(たか)國,各(おのもおのも)遣造(みやつこ)、別(わけ),令檢校(かとらし)。 其後,至難波長柄豐前大宮(なにはのながらのとよさきのおほみや)臨軒(あめのしたしろしめしし)天皇(孝德)之世(みよ),遣高向臣(たかむくのおみ)、中臣幡織田連(なかとみのはとりだのむらじ)等,惣領(すべをさめ)自坂已東(ひむがし)之國。于時,我姬之道(あづ

  • Amazon.co.jp: 盆踊り 乱交の民俗学: 下川耿史: 本

    Amazon.co.jp: 盆踊り 乱交の民俗学: 下川耿史: 本
  • 歌垣 - Wikipedia

    出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2014年9月) 歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。現代では主に中国南部からベトナムを経て、インドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。古代日の常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが、『万葉集』などから、うかがい知ることができる[1]。 概要[編集] 歌垣の風習は、日の他に、中国南部からベトナム、インドシナ半島、フィリピンやインドネシアにも存在する。このことから、古代日文化は、東南アジアから中国南部にかけての地域と、一体の文化圏を築いていたという見方もある。 現代の中国南部および東南アジア北部で見られる歌垣を概観すると、祝

  • 1