エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
辰巳正明「歌垣が育んだ、東国の万葉集」
筑波山麓には、こんな歌が流行っていた。山に雪が降ったのかな、それとも愛しい彼女が白い布を干してい... 筑波山麓には、こんな歌が流行っていた。山に雪が降ったのかな、それとも愛しい彼女が白い布を干しているのかな、という恋歌だ。東国の歌は、恋歌の世界でもある。 古代の東国は、都から遠く離れた、野蛮な土地とされていた。東男〔あずまおとこ〕は勇敢で、兵士に適しているというので、防人〔さきもり〕にあてられた。野蛮を勇敢に置き換えられた防人だが、しかし、彼らの歌は父母や妻子、そして故郷との別れを嘆く歌に満ちている。かつて、防人の歌には皇国の民の勇ましさが歌われているといわれたのは、嘘なのである。 父母も花にもがもや草枕 旅は行くとも捧〔ささ〕ごて行かむ (巻20-4325) 父母が花ならこの手に捧げて防人の旅に出ようという、心優しい歌だ。その防人たちがすぐれた歌を詠んだのは、東国の地が歌の文化に満ちていたからである。そうした歌の文化の一端が、冒頭に掲げた筑波地方の流行歌なのである。では、この歌はどのよう