群馬の森「朝鮮人追悼碑」代執行で撤去方針…それで「政治的な紛争」はなくなる? 抗議が止まらない理由とは 群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある朝鮮人追悼碑について県は代執行で撤去する方針を固めた。戦時中に労務動員された朝鮮人犠牲者を悼む碑だが、県は設置更新を不許可としている。県の主張を認める判決が2022年に最高裁で確定しているが、存続を求める抗議活動は各地で続いている。都内でも在日コリアンらが「歴史をなかったことにしないで」と訴えている。(安藤恭子)
立憲民主党の石垣のりこ氏が国会で提示した閣議決定書の写し=東京都内で2023年11月10日、田辺佑介撮影 1923年の関東大震災で起きた朝鮮人虐殺の事実関係を巡り、政府が臨時国会で歯切れの悪い答弁を繰り返している。野党側が質疑で虐殺の存在をうかがわせる国立公文書館所蔵の当時の閣議決定の文書を示したが、政府側はそれが政府内の文書に当たるかどうかや、そこに記された事実関係の判断を拒否したのだ。閣議決定は政府の統一見解としての重みを持つはずだが……。 9日の参院内閣委員会で、質問者の石垣のりこ氏(立憲民主党)が示したのは、震災翌年に当時の清浦奎吾内閣が出した閣議決定の文書だった。裁判の判決を無効にしたり、刑を減らしたりする「恩赦」に関する決定で、そこにはこう記されている。 「大正十二(1923)年九月の震災…
フィリピンで現代史の書き換えが始まっている。 20年余にわたり強権を奮った故フェルディナンド・マルコス(シニア)大統領時代の負の側面を打ち消し、その体制を覆した政変の意義を過小評価する動きだ。米中対立の激化にともないフィリピンを取り巻く安全保障環境に注目が集まる陰で、独裁者の長男ボンボン・マルコス氏の政権がジワリと進める歴史修正は、マルコス家からすれば「名誉回復」ということになる。 ピープルパワー記念日を祝日から削除 フィリピン政府は2023年10月13日、2024年の祝祭日を発表した。クリスマスや春節、イスラム教の犠牲祭などが例年通り告知されたなかで、1日だけ除外された日がある。2月25日の「エドサ革命記念日」だ。「ピープルパワー記念日」とも呼ばれる。 1986年、マニラ首都圏エドサ通りを埋め尽くしたコラソン・アキノ氏(のちの大統領)支持の人波によってマルコス家がアメリカへ追放され、独裁
朝鮮人虐殺「事実関係を把握できる記録ない」と松野官房長官が発言→誤り。防衛省も「文書保管」を認める国会答弁 関東大震災の直後に起きた朝鮮人虐殺について、松野博一官房長官が「政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と発言。ファクトチェックしました。
Published 2023/08/16 17:26 (JST) Updated 2023/08/16 17:29 (JST) 1923年の関東大震災の際に虐殺された朝鮮人らを悼む9月1日の式典に、東京都の小池百合子知事が今年も追悼文を送らない意向であることが16日、都への取材で分かった。都が同日までに実行委員会に伝えた。不送付は2017年から7年連続。実行委の宮川泰彦委員長は「悲惨な歴史から目を背ける姿勢の表れだ」と批判した。 都は不送付の理由について、式典とは別に都慰霊協会が主催する大法要で、小池氏が「大震災と、その極度の混乱の中で犠牲になられた全ての方々へ哀悼の意を表している」と説明した。 実行委は墨田区の都立横網町公園にある朝鮮人犠牲者追悼碑の前で式典を開催。歴代都知事が追悼文を寄せてきた。
フィリピンの首都マニラで行われた大統領就任式で宣誓するフェルディナンド・マルコス大統領(左)と、妻のルイーズ氏(右、2022年6月30日撮影)。(c)Ted ALJIBE / AFP 【6月30日 AFP】(写真追加)フィリピンの首都マニラで30日、故マルコス元大統領の息子フェルディナンド・マルコス(Ferdinand Marcos)氏の就任式が行われた。元大統領の失脚から30年以上を経て、マルコス家から再び大統領が誕生した。 国立美術博物館(National Museum)で行われた就任式には、中国の王岐山(Wang Qishan)国家副主席やカマラ・ハリス(Kamala Harris)米副大統領の夫ダグ・エムホフ(Doug Emhoff)氏らが出席した。 マルコス氏は宣誓後、「(米国からの)独立以降、発展が停滞していることを見抜いていた男を、私はかつて知っていた。彼は成し遂げた」「その
昨日の朝日新聞の15面に、「逆張りの引力」という耕論で3人が登場し、そのうち田野大輔さんが「ナチスは良いこともした」という逆張り論を批判しています。 https://www.asahi.com/articles/ASQ5S4HFPQ5SUPQJ001.html 私が専門とするナチズムの領域には、「ナチスは良いこともした」という逆張りがかねてより存在します。絶対悪とされるナチスを、なぜそんな風に言うのか。私はそこに、ナチスへの関心とは別の、いくつかの欲求があると感じています。 ナチスを肯定的に評価する言動の多くは、「アウトバーンの建設で失業を解消した」といった経済政策を中心にしたもので、書籍も出版されています。研究者の世界ではすでに否定されている見方で、著者は歴史やナチズムの専門家ではありません。かつては一部の「トンデモ本」に限られていましたが、今はSNSで広く可視化されるようになっています
九月一日に墨田区・横網町公園で催される、関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式典の実行委員会は二十三日、小池百合子知事が今年も式典に追悼文を送らないことが分かったとして、都に抗議声明を出した。知事の追悼文取りやめは五年連続となる。 追悼式典は一九七四年に始まり、毎年、歴代の都知事が追悼文を送ってきた。小池知事は就任二年目の二〇一七年から「都慰霊協会が営む大法要で全ての震災犠牲者を追悼している」として、個々の式典への送付を取りやめている。実行委は追悼文を送るよう知事側に要請したが、「送らない」との返答があったという。 この日、都庁で会見した実行委の宮川泰彦委員長(80)は「民族的な差別意識などで虐殺された人は自然災害の犠牲者とひとくくりにせず、二度と同じ過ちを繰り返さない姿勢を示してほしい」と訴えた。実行委から抗議声明を受け取った都の担当者は「知事に速やかに伝えるが、都の方針は変わらない
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
日系人強制収容「恥ずべき歴史」 バイデン氏が声明―米 2021年02月20日16時26分 日系人強制収容所入りを前にした、当時2歳のユキ・オキナガ・ハヤカワ・ルウェリンさん=1942年4月、ロサンゼルス(米国立公文書館提供)(AFP時事) 【ワシントン時事】バイデン米大統領は、第2次大戦中に日系人の強制収容につながる大統領令が署名されて79年になる19日、「米国の歴史の最も恥ずべき時代の一つ」として、連邦政府の謝罪を「再確認」する声明を発表した。 【地球コラム】議会突入と「嘆かわしい集団」 癒やしがたい米国の分断 声明は「日系米国人は彼らの生まれだけを理由に標的にされ、投獄され、非人道的な強制収容所で生きることを余儀なくされた」と指摘。「米国は、すべての人の自由と正義という建国以来の理想を実現することはできなかった」と表明した。 真珠湾攻撃翌年の1942年2月、当時のルーズベルト大統領は大
2020年12月1日、ベルリン・ミッテ区の区議会は、同区に設置された「平和の像」の恒久設置に向けて、手続きを進める決議案を採択した。「平和の像」はアジア・太平洋戦争における日本軍「慰安婦」を象徴し、全ての戦時性暴力・性奴隷制に反対する意味が込められている。 この件は日本と韓国で注目を集めており、この決議は地元ドイツよりも早く、両国で報じられた。 「平和の像」は今年9月末、民間団体の「コリア協議会」の主導で、約1年間の期間限定で、ミッテ区のモアビート地区に設置された。ベルリンでは2019年、「あいちトリエンナーレ」で展示されていた「平和の像」と同じ作者によるモニュメントが、期間限定で設置されている。女性芸術家グループGEDOKが主催するイベントで、ブランデンブルク門前に展示されていた。 日本政府の妨害を想定して、「平和の少女像」の設置計画は、可能な限り秘密裏に推進された。9月末、設置の事実が
衆院選初当選後の1996年11月の特別国会召集日に初登院して職員に議員バッジをつけてもらう自民党の菅義偉氏=国会内で1996年11月7日撮影 安倍晋三前首相が退場し、今度は菅義偉政権である。「外交の安倍」の7年あまりで、中国や韓国との関係はすっかり冷え切ってしまった。だからこそ菅首相には期待したい……のだが、心配である。なぜなら菅首相、史実に反する歴史修正主義的な発言をしてきた知られざる過去があるからだ。【吉井理記/統合デジタル取材センター】 「歴史教育を考える若手議員の会」のメンバーだった菅首相 あまり人目に触れていないであろう1冊の本がある。 今から23年前に出た「歴史教科書への疑問」(1997年、展転社)である。編んだのは「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」。当時の歴史教科書を「反日的」と断じ、従軍慰安婦問題の記述をなくそうと活動した自民党議員の集まりで、本にはこの会の勉強会
「安重根はテロリストだと韓国に伝えました」の菅義偉に、「イギリス公使館焼き討ちしたり佐幕派を暗殺していた伊藤博文」はテロリストかどうか質問してほしい。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く