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現代史とロシアに関するnagaichiのブックマーク (69)

  • 本当に「ソ連は加盟国が0になっただけでまだ存在する」のか?|ryo-a (vitya)

    結論から言うと、Twitter発祥のジョークが一人歩きして信じられてしまったものだと考えられます。 (了承いただきたいこと:稿の筆者は政治学ならびに史学の専門家ではありません。必要であれば専門領域の方に補足いただけると幸いです。) 経緯昨今のウクライナ情勢悪化より前から、「ソ連はまだ存在する」という言説をがTwitterを中心として見られました。内容は至ってシンプルで、「ソ連は加盟国が0になっただけであり、まだ組織としては(空っぽだが)存在する」というものです。 その起源についてはまだ確定できないのですが、少なくとも2018年頃におふざけ的なものとして流行したようで、その様子がTogetterにまとめられています。当時の(日国内で感じられる)情勢としては現在ほど緊迫したものではなく、東欧・CIS諸国などの歴史・地理に関心がある層がネタにしていたといった程度だと思われます。(構図は違いま

    本当に「ソ連は加盟国が0になっただけでまだ存在する」のか?|ryo-a (vitya)
  • ロシア・ウクライナ戦争とナショナリズム | 東京大学

    ロシアのプーチン政権をロシアウクライナ戦争へ駆り立てたナショナリズムの思想はどのようなものなのでしょうか。長引くロシアウクライナ戦争の思想的背景について、近代ロシア文学・思想を専門とする、総合文化研究科の乗松亨平教授に聞きました。 イリヤ・レーピン〈トルコのスルタンに手紙を書くザポリッジャ・コサック〉(1880-91) ©Ilya Repin プーチン政権の帝国的ナショナリズムとロシア民族主義 ―― 今回の戦争をどのようにご覧になっていますか? 従来、プーチン大統領は現実判断に基づいてプラグマティックな行動をとる冷静な政治家であると一般的に評価されていましたが、2014年のウクライナ危機以降、今回の戦争に至るまでを見ると、その評価を変えざるをえません。プーチンのこうした変化の一因として、ロシア・ナショナリズムの思想が注目されています。 プーチンは、9月30日にウクライナ4州の併合を宣言

    ロシア・ウクライナ戦争とナショナリズム | 東京大学
  • 「“世界を変えたが、国家には背けなかった”」成蹊大学名誉教授 /富田 武 | 特集

    2022年8月30日、ソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが亡くなった(享年91歳)。すでに多くの評伝や追悼記事が書かれた。「彼は偉大な改革者だったが、民主化を徹底できず、市場経済の浸透もコントロールできず、退場した」「核大国の指導者として核軍縮に初めて着手し、冷戦終結に貢献したが、ソ連の解体を阻止できなかった」「グラースノスチを唱え、言論の自由と議会制民主主義をもたらしたが、それによる社会運動と民族運動の高まりに押し流された」等々が語られ、それぞれ一面をついているが、物足りない。 他方、人々はゴルバチョフがウクライナ戦争の最中に亡くなったため、独裁者にして侵略者のプーチンを生み出すことになったペレストロイカと対米欧協調の限界が強調される昨今である。よく人物の評価は「棺に覆われるときに定まる」と言われるが、「プーチンを生んだゴルバチョフ」といった乱暴な遡及法は同意し難い。筆者が「停滞のブレジネ

  • https://twitter.com/AtsukoHigashino/status/1564811592549933056

    https://twitter.com/AtsukoHigashino/status/1564811592549933056
  • ゴルバチョフ氏死去 91歳 旧ソビエト元大統領 冷戦終結に導く | NHK

    旧ソビエトの最後の指導者で東西冷戦を終結に導いたミハイル・ゴルバチョフ氏が30日に亡くなりました。91歳でした。 国際社会からは、東西冷戦を終結に導き、核兵器の削減に取り組んだゴルバチョフ氏の死を悼む声が相次いでいる一方、その業績に対してはロシアの市民から批判の声が聞かれるほか、ロシアメディアも比較的冷ややかに伝えています。 「ペレストロイカ」「グラスノスチ」 ゴルバチョフ氏は1931年、ロシア南部のスタブロポリ地方に生まれ、共産党の要職を歴任したあと、1985年に54歳でソビエトの最高指導者にあたる書記長に就任しました。書記長として、ペレストロイカと呼ばれた政治改革や、情報公開を意味するグラスノスチなど、閉鎖的な社会を民主化する政策を進めました。 外交政策でも、欧米諸国などとの対立の緩和を目指す「新思考外交」を掲げ、社会主義圏だった東ヨーロッパ諸国の民主化や東西ドイツの統一を容認したほか

    ゴルバチョフ氏死去 91歳 旧ソビエト元大統領 冷戦終結に導く | NHK
  • 1983年世界核戦争の危機「エイブル・アーチャー83」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    キューバ危機に次いで核戦争の危機が高まったNATOの軍事演習 冷戦の緊張が高まっていた1983年11月、NATO軍は核戦争が始まることを想定した軍事演習「エイブル・アーチャー83」を行なっていました。 このシナリオは、ソ連の指導者が交代し、代理戦争が激化し、ソ連がヨーロッパ諸国に侵攻するところから始まるもので、毎年行われていた軍事演習でした。 しかそこの年、ソ連の諜報機関はアメリカが訓練と称して核先制攻撃を行うのではないかと疑い、核兵器の発射準備を進めました。 結局軍事訓練の終了と同時に危機は過ぎ去ったのですが、のちにアメリカは実は知らず知らずの間にとんでもない核戦争の一歩手前の状態にあったことに気付いたのでした。 1. 米ソの緊張の高まり 1949年、アメリカと西ヨーロッパ諸国が結んだ安全保障条約「NATO」、そしてソ連と東欧諸国が結んだ防衛条約「ワルシャワ条約」の成立によって、世界は二

    1983年世界核戦争の危機「エイブル・アーチャー83」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • プーチン本その5−7:木村『プーチン』3巻セット:冗長な記述に埋没するが中身は悪くないし、最終巻は優秀。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    Executive Summary 木村汎『プーチン』三部作 (藤原書店、2015-2018) は、書きぶりはあまりにひどい無内容な水増しぶり。だがその中身はかなりきちんとしている。プーチンの自伝的エピソードのごまかしも述べ、また変な柔道談義で舞い上がることもなく、北方領土返す気がないことも指摘。特に最終刊の「外交的省察」は、最初の二つのうんざりする書きぶりがかなり薄れ、北方領土に浮かれたりせず、変な親ロシアのイデオロギーに流されることもなく、きわめてポイントを押さえた冷静なよい記述になっていて、2022年のウクライナ侵攻に繋がる動きもまとめられている。最終刊だけは読むべき。前の二巻は……ウザい書きぶりに耐えられれば。 だいたい何かについて勉強したいときには、一番薄いを見て大枠つかみ、一番分厚いを見てそのテーマで出てくるネタを一通りおさえるのが通例。すると他のについては、各種情報がど

    プーチン本その5−7:木村『プーチン』3巻セット:冗長な記述に埋没するが中身は悪くないし、最終巻は優秀。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • ロシアのウクライナ侵攻の背景を読み解く | 東京大学

    ロシアウクライナに侵攻してから約1か月。ロシア軍による攻撃が続き、民間人の被害が広がっています。ロシアが軍事侵攻に踏み切った背景に何があるのか。これまでの二国間関係、プーチン大統領の「ネオナチ」発言などについて、歴史社会学の観点からロシア・ユダヤ史やナショナリズム論などを研究し、教養学部でロシアウクライナ関係についても講じてきた鶴見太郎准教授に話を聞きました。 © Oleksli / Adobe stock ―― これまでのウクライナロシアとの関係について教えてください。 ウクライナロシアとの関係は、必ずしも全貌が明らかではないキエフ・ルーシ(9~13世紀、ロシア人とウクライナ人、ベラルーシ人の共通の起源とされる)の時代を別にすると、ロシア帝国の時代にさかのぼります。 現在のウクライナの大部分はそれまでポーランド・リトアニア王国の領域でしたが、東部地域は17世紀にロシアの支配下に入

    ロシアのウクライナ侵攻の背景を読み解く | 東京大学
  • ウクライナ侵攻に関する英国の地理学者デヴィッド・ハーヴェイの論説: ペガサス・ブログ版

    《効憲 , Enforce the Constitution》-- 九州は筑後から九条実施のための情報を発信します.2004年12月25日開設 この記事のPVは4日23時現在6,970です.6日夕13,656.8日朝までで39,815.19日朝51,030. 7月4日59,265. 7/20追記: 末尾に、これに対する批判文について追記。 --------------- フェイスブックで、ロシアウクライナ侵攻に関するとても優れた論説に行き当たりました。英国の地理学者デヴィッド・ハーヴェイの2月25日付の論説で、Seiya Morita氏が緊急翻訳され、3月1日フェイスブックにアップロード、同氏の許可を得て転載します。長文ですが、まさに"must-read"です。 転載者は地理学も勉強したことはありませんし、この地理学者も知りませんでした。読んでみて、また経歴などを見ると、まさに碩学です。

    ウクライナ侵攻に関する英国の地理学者デヴィッド・ハーヴェイの論説: ペガサス・ブログ版
  • プーチン氏の終わりの始まりか ウクライナ侵攻の末路 政治部長 吉野直也 - 日本経済新聞

    「国際社会への挑戦だ。代償を払わせるという点で米欧は結束している」。バイデン米大統領ではなく、8年前のオバマ米大統領の言葉である。ロシアがクリミア半島を一方的に併合した際にオランダのハーグで開いた主要7カ国(G7)緊急首脳会議を現地で取材した。この緊急首脳会議で1998年にロシアも加えて正式に発足したG8体制は終わりを告げ、G7体制に再び戻ったのである。「我々と一緒に行動することが中国の利

    プーチン氏の終わりの始まりか ウクライナ侵攻の末路 政治部長 吉野直也 - 日本経済新聞
  • 日本の漫画・アニメから見た「ソ連崩壊」 「謎めいた悪役」扱いの過去も...30年でイメージ激変

    冷戦時代からソ連と東側諸国は、西側文化の中でも様々な描かれ方をしてきた。小学館「ゲッサン」で連載中のマンガ「国境のエミーリャ」(池田邦彦さん作、津久田重吾さん監修協力)は第二次大戦後に東西に分割された架空の日を舞台とする。ベルリンにように壁で分割された東京の東側で、西側への亡命を助ける脱出請負人という裏の顔を持つ少女・杉浦エミーリャを主人公にした歴史活劇である。2019年に連載開始、21年12月までに単行5巻が刊行済みだ。 作中、エミーリャらが暮らす「東トウキョウ」は共産化されてソ連のような暮らしぶりが描かれており、戦後処理の行方によってはありえたかもしれない「共産主義の日」を読むことができる。フィクションではあるが作のリアリティ、そしてソ連社会の実態とはどんなものだったか。そして日漫画・アニメはソ連のカルチャーをどう扱ってきたのか?ソ連に詳しく、同作で監修を担当している小説

    日本の漫画・アニメから見た「ソ連崩壊」 「謎めいた悪役」扱いの過去も...30年でイメージ激変
  • ソ連は娯楽少なく…声優ジェーニャ「アニメは二つ。チェブラーシカとヌー・パガジー」:朝日新聞GLOBE+

    ソ連が崩壊してから12月25日で30年になる。史上初の社会主義超大国としてアメリカと世界を二分し、冷戦を繰り広げたが、経済の悪化や、政権弱体化を招いたゴルバチョフ氏の改革などにより、1991年に消滅した。 物不足、厳しい情報統制…そんなイメージが強いソ連だが、実際はどうだったのか。1980年代末から崩壊までのソ連で子ども時代をすごし、現在は日で声優として活躍しているジェーニャさんに「私が生きたソ連」を語ってもらった。 ソ連の記憶について語る声優のジェーニャさん ――ソ連での暮らしぶりを教えて下さい。 私はシベリアのノボシビリスクという都市で生まれたんですけど、父が軍人だった関係でリャザンやゴーリキー(現在のニジニノブゴロド)など転々としていました。 ものは少なかったですね。それはあとから分かったことで、当時は普通だと思っていました。商店に行っても、陳列棚が空っぽの記憶しか残っていません。

    ソ連は娯楽少なく…声優ジェーニャ「アニメは二つ。チェブラーシカとヌー・パガジー」:朝日新聞GLOBE+
  • 「我々の国民はあなたたちが思っているより民主的」「ロシアを孤立させるべきではない」ソ連崩壊30年ゴルバチョフ元大統領インタビュー【全文掲載】(TBS系(JNN)) - Yahoo!ニュース

    「我々の国民はあなたたちが思っているより民主的」「ロシアを孤立させるべきではない」ソ連崩壊30年ゴルバチョフ元大統領インタビュー【全文掲載】(TBS系(JNN)) - Yahoo!ニュース
    nagaichi
    nagaichi 2021/12/24
    ゴルバチョフのせいではないけれど、プーチン体制が野党を弾圧したり、反体制派人士を毒殺しようとしたりしなければ、他所からも「民主的」に見られると思いますよ。
  • 9人が怪死「ディアトロフ峠事件」の真相を科学的に解明か

    1959年2月26日、ディアトロフ峠で遭難した登山グループのテントを調べるソ連の捜索隊。テントは内側から切り開かれ、多くのメンバーがを履かずに下か裸足で外に出ていた。(PHOTOGRAPH COURTESY OF THE DYATLOV MEMORIAL FOUNDATION) 60年以上前のロシア(当時はソ連)で起きた悲惨な出来事は、秘密の軍事実験やイエティ、さらには地球外生命体との接触まで、さまざまな陰謀論を産み出してきた。しかし現時点で最も納得でき、最も理にかなっていると思われる仮説は、自動車事故の実験や映画『アナと雪の女王』で使われたアニメーションをヒントにした雪崩のシミュレーションにもとづくものだ。 スイスの2人の研究者が2021年に発表したデータは、9人の雪山登山者にむごたらしい死をもたらしたのは、不思議なほど規模の小さい遅発性の雪崩が原因だった可能性を示唆していた。雪山で

    9人が怪死「ディアトロフ峠事件」の真相を科学的に解明か
  • スターリンの影武者はどうなったか

    高齢の「諸民族の指導者」の影武者を務めたのは24歳のダゲスタン人だった。そして誰からも疑われなかった。 ダゲスタンのある村出身の若き青年フェリクス・ダダエフが正式な替え玉となる以前から、スターリンには3人の影武者がいた。替え玉を見つけることは、1920年代からすでにクレムリンの警護を指揮していたニコライ・ヴラシク将軍が提案していた。警護担当者らは、スターリンには敵が多すぎ、労働者の会合に赴くのは危険だと考えたからだ。 この判断は正しかった。最初の影武者、コーカサス出身のラシドフは、彼の車列が赤の広場を通過する際に爆弾で吹き飛ばされてしまった。だがダダエフの経歴はさらにすごい。第一に、彼は55年間事実を隠し、家族にも真実を語っていなかった。第二に、彼はまだ生きている。現在なんと100歳だ。 戦死扱い ダダエフは1920年に生まれたダゲスタンの高地にあるカジ・クムフ村で生まれた。幼い頃から牧人

    スターリンの影武者はどうなったか
  • 地図から消され、世界から隠された旧ソ連の「閉鎖都市」

    今日のロシアは民主主義国家だ。少なくとも名目上は。しかし、古い慣習はなかなか捨てられず、全体主義だった過去の影響もまだ色濃く残されている。 例えば、ロシア全土に点在する閉鎖都市。40以上あることは確認されているが、実際はもっと多いかもしれない。都市が閉鎖されるようになったのは1940年代後半からで、偏執症的な政治を執るようになっていたヨシフ・スターリンの命令によるものだった。また戦後も宇宙開発や核開発が各地で行われていたため、鉄のカーテンの裏側すべてが秘密のようなものだった。 閉鎖された都市は地図からも抹消された。ロシア北極圏の辺境の地にあり、悪名高きグラグ(強制労働収容所)の囚人たちに強制労働させることで作られた都市、ヴォルクタなどは歴史が浅く、存在しなかったことにするのはそう難しくはなかった。 しかし昔から国の中心にあり、戦略的軍事施設を抱えるニジニ・ノヴゴロドのような都市は、たとえそ

    地図から消され、世界から隠された旧ソ連の「閉鎖都市」
  • 墓場から蘇る「カスピ海の怪物」――エクラノプラン再び

    ソ連軍が開発したこの地面効果翼機は「エクラノプラン」の別名で知られ、航空機と船の一種のハイブリッドといえる/Musa Salgereyev/TASS/Getty Images (CNN) カスピ海の西岸に乗り上げたその機体は、まるで巨大な水生獣のように見える。波の上よりも深海に生息していそうな奇妙な物体であり、飛行できるようにはとても見えない。 しかし、はるか以前のことではあるが、それは実際に飛行していた。 そして今年、30年以上にわたる眠りから目覚め、「カスピ海の怪物」が再び始動した。史上まれに見る異形の飛行機械は、これで最後となるかもしれない旅を終えようとしている。 怪物が再び動いたのは今年7月。タグボート3隻と護衛船2隻によってカスピ海沿岸の海上を14時間かけて移動し、ロシア南端近くの海岸地帯に届けられた。 こうして、380トンの「ルン級エクラノプラン」は、ロシア連邦を構成するダゲス

    墓場から蘇る「カスピ海の怪物」――エクラノプラン再び
  • 第2次大戦の空襲生き延びたワニ、84歳の大往生 モスクワ動物園

    ロシアのモスクワ動物園で飼育されていたワニの「サターン」(2020年5月24日提供)。(c)AFP/MOSCOW ZOO 【5月24日 AFP】第2次世界大戦(World War II)の最中の1943年に、ドイツの首都ベルリンにある動物園を襲った爆撃を生き延び、戦後はロシアで過ごしたワニの「サターン(Saturn)」が、84歳でこの世を去った。ロシアのモスクワ動物園(Moscow Zoo)が23日、発表した。 同動物園は、サターンの死について「一つの時代の終わり」とコメント。ミシシッピワニは野生下で50歳を超えることがほとんどないため、84歳は「立派な年齢」だという。 サターンは1936年に米国で生まれ、その後ベルリンの動物園に移された。空襲により仲間たち数頭が死んだ後、1943年11月23日にこの動物園を脱走。 1946年になって英軍兵士らに発見され、旧ソ連当局へ引き渡された。 同動物

    第2次大戦の空襲生き延びたワニ、84歳の大往生 モスクワ動物園
    nagaichi
    nagaichi 2020/05/25
    3年間失踪してたというのが面白いな。
  • ソ連崩壊の主原因は何か?: 極東ブログ

    ソ連崩壊の主原因は何か? ちょっと考えさせられることがあったので、再考してみた。話の枕に、ネットを検索してみた。 Wikipediaを見ると、日語版には「ソ連崩壊」の項目があるが、経緯をメモ書きしただけで、原因についての言及はなかった。英語版は充実していた。が、経緯が詳細なだけで、原因考察はなかった。考えてみるに、Wikipediaって、なぜ?に答えるものではない。 『世界雑学ノート』というサイトが2位にヒットした。いわゆる一般向け解説サイトのようである。それによると、「原因の一端は、ゴルバチョフが小規模な改革を繰り返すにとどまり、抜的な経済見直しを実行できなかったことにあります」とある。同時代を生きた自分でもそんな印象はある。 『世界平和アカデミー』というサイトも比較的上位にあった。内的要因と外的要因を分け、内的は①ゴルバチョフ書記長の登場、②民族主義の高揚、③エリツィンの登場、④反

    nagaichi
    nagaichi 2020/05/09
    「資源の呪い」を過大に見た説だな。アメリカとの軍拡競争の負担や重工業偏重で経済のバランスのおかしかったところ、ペレストロイカでトドメを刺されたというあたりが穏当では。
  • ぼくは見た、国の消滅を | NHKニュース

    10歳だった。 その時ぼくは、まだ「ソビエト連邦」だったモスクワにいた。 そこで見たのは、「国」というものが劇的に変化する瞬間だった―― 外務省が公開した6000ページにのぼる外交文書。外交官たちの生々しい報告が、私をあの時代に連れ戻した。そして私は、何が起きていたのかを初めて実感した。 (政治部・渡辺信) その書き出しは、文学的だった。 『BUKSOVAT(空転する)。2年1か月のモスクワ在勤を終え帰国する日、空港の暗い待合室で搭乗を待ちながら、ふと、この単語が頭に浮かんだ。ゴルバチョフの始めたペレストロイカを、ひと言で総括するとすれば、まさに「空回りしている」というのが適当ではなかろうか』 1987年11月の「ソ連在勤を終えて」という報告書の冒頭だ。書いたのは、モスクワの日大使館の政務班長だった角崎利夫氏。これまで私が読んできた硬い外交文書とは異なる表現で、1985年に書記長に就任し

    ぼくは見た、国の消滅を | NHKニュース