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現代史と北欧に関するnagaichiのブックマーク (5)

  • 「タラ戦争」イギリスとアイスランドの漁業紛争 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    200カイリ排他的経済水域策定のきっかけとなった紛争 タラ戦争(The Cod War)は、主にイギリスとアイスランドとの間で戦われた、タラなどの水産資源をめぐった紛争です。 第一次から第三次まで断続的に争われたこの紛争で死者は出ませんでしたが、この紛争はアイスランドのイギリスとの国交断絶までエスカレーションし、結果的に現在主流である200カイリ排他的経済水域制度の策定につながっていきます。 1. 漁業水域をめぐる欧州の協定 北海漁業協定の策定 北海からスカンジナビア半島沖は豊かな漁場で、歴史的に近隣諸国の水産業を支えてきました。特に有名な資源がタラです。タラとジャガイモを油で揚げたフィッシュアンドチップスはイングランドを代表する料理です。 19 世紀以降にトロール船が普及して漁獲高が増えますが、一方て資源の乱獲が進んだことで、近隣諸国で漁業水域に関する関心が高まりました。特に経済を水産業

    「タラ戦争」イギリスとアイスランドの漁業紛争 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • ソ連が領海侵犯していると思い込んで15年、実はニシンのオナラだった(スウェーデン) : カラパイア

    1981年、ソ連海軍のバルチック艦隊に所属していたウィスキー級潜水艦(U-137)がスウェーデンの領海内で座礁した。これは「ウィスキー・オン・ザ・ロック事件」と呼ばれ両国政府間の大きな政治的問題になった。 ソ連側は不可抗力でスウェーデン海域に流されたと主張。だが、スウェーデン側は、ソ連が意図的に侵入したと考えた。スウェーデンの調査でソ連の潜水艦が核武装している可能性が示唆されたからだ。 その後何年もスウェーデンはソ連への警戒を解かなかった。領海からは不可解な水中の信号や音声が続いており、ソ連の潜水艦が潜んでいる疑惑が払しょくできなかったのだ。 事実ロシアとスウェーデンは一触即発の状態となったが、実はその原因は、意外なものにあった。

    ソ連が領海侵犯していると思い込んで15年、実はニシンのオナラだった(スウェーデン) : カラパイア
  • エストニアは“なぜ”IT先進国になったのか - farsite / 圏外日誌

    先日ラトビアに1年ほど住んでいた人と話す機会があったのだけれど、思いがけず感動したので書き残しておく。ラトビアではなく隣国エストニアのことだ。 ラトビアについては首都がリガだということぐらいしか憶えてなかったので、話題に苦慮し、とりあえずおなじバルト三国ということで、「隣国はすごくITが進んでるんですよねえ」と話を振ったら、その静かな人は、少しだけ興奮した口調で語り始めた。 私もいちおうはIT業界的なところに腰をかけている身なので、エストニアがIT先進国だという情報は入っていた。SkypeなどITベンチャーが多く、IT教育も充実、電子政府制度が発達して投票も納税も国民IDでぜんぶOKという国。マイナンバーの話題がかまびすしい頃、日もエストニアを手にせよという話はよく聞いた。 でも、なぜそうなったと思いますか? そんなこと問われるまで思いも至らなかったので、優秀なエンジニアがいたからとか

    エストニアは“なぜ”IT先進国になったのか - farsite / 圏外日誌
  • ノルウェー現代史の闇に迫るインディーズゲーム「My Child: LebensBorn」とは

    ノルウェー現代史の闇に迫るインディーズゲーム「My Child: LebensBorn」とは ライター:徳岡正肇 昨今は世界中どこでもインディーズゲームが開発されており,過当競争が問題視されるレベルに達している。だが,大手デベロッパでは発表しにくい(しかし興味深い)ゲームが生まれる母体として,インディーズゲームの隆盛は大変に好ましいものだといえるだろう。 クロアチアで開催されているカンファレンス「Reboot Develop 2016」にもインディーズゲームの展示/試遊コーナーがあり,個性的なゲームがプレイ可能だ。稿では筆者が気になった,印象的な作品についてレポートしよう。 レーベンスボルンという組織(日語ではしばしば「生命の泉」と訳される)は,1935年にハインリヒ・ヒムラーの手によって成立された。だが,ノルウェーにおいて「レーベンスボルン」という言葉は,別の意味を持つ。ナチスドイツ

    ノルウェー現代史の闇に迫るインディーズゲーム「My Child: LebensBorn」とは
  • すごい光景だ…スウェーデンが左側通行から右側通行に変わった日の道路 : らばQ

    すごい光景だ…スウェーデンが左側通行から右側通行に変わった日の道路 こちらの世界地図は、青い国が左側通行、赤い国が右側通行を表しています。 日やイギリス(イギリス連邦に属していた国)などは左側通行ですが、アメリカや他のヨーロッパを含む大半の国では右側通行で統一されていません。 中にはある時期から左右が変更された国もあり、スウェーデンでは1967年に左側から右側に変わりました。 その変更された当日、道路上ではどんなことになったのか写真をご覧ください。 わかりやすいほどの無法状態。 大半の車が道路に対して斜めになっており、危ないことこの上ありません。きっとあわてて、「あ、こっちだった」という感じなのでしょうか。 このデンジャラスな道路風景に対する、海外掲示板のご意見をご紹介します。 ●世の中に「あれ、今日からだっけ?」という瞬間写真があるとすれば、これだ。 ●道路に間違った方向で駐車するとこ

    すごい光景だ…スウェーデンが左側通行から右側通行に変わった日の道路 : らばQ
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