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  • リベラル21  共産党のもう一つの衰退現象

    さきの、第9回中央委員会総会での志位和夫幹部会委員長の挨拶は、著しい党勢後退のために焦慮に満ちたものになった。共産党はいま、党員、機関紙「赤旗」の読者、支持者の減少、それから来る財政難に悩まされている。だが、わたしは、共産党の衰弱は党勢だけではないと思う。 共産党は21世紀に入ってからも何度か大きな政策上・理論上の転換をした。ところが、過去の党大会や中央委員会の「報告」には、これに関する討論らしい討論がない。党大会代議員の発言は100%党中央の議案を支持するものである。これは最近の第9回中央委員会総会も同じことであった。 以下、絶対に討論の必要があった、それなしには党指導部が鼎の軽重を問われても仕方がないと思われる事例を二つ上げる。いままでの繰り返しになるところがあるがお許しを乞う。 ウクライナ戦争がはじまると、2022年4月に志位氏は、急迫不正の侵略には現行法にもとづいて安保条約第5条で

  • リベラル21 これほどの強制立ち退きとは―北京火災現場のその後

    今月16日の欄に私は「人権に国情ありや!南南人権論壇の茶番」(新・管見中国33)という一文を載せ、その中で先月18日に北京で違法建築アパートから出た火災の火元周辺が市当局によって取り壊され、住民が強制退去させられた事件に触れたが、その後、北京を短期間訪れる機会があり、実際を見ることができたので、それを報告したい。 現場は北京市大興区新建村。市内の中心部から車で小一時間ほど南へ走ったあたりで(正確なキロ数は分からなかった)、名前が示すようにいかにも最近、人が集まってきた場所という印象の土地で、そこここに服飾関係の工場が目についた。火元を目指して進むと道路わきに延々と青いトタンの塀が現れた。それの切れ目から中を覗いてみてあっと驚いた。 塀の内側全部の建物が取り壊され、瓦礫がそのまま積み上げられていた。取り壊し・強制立ち退きといっても、私は火元の周り数10メートルからせいぜい100メートル四方

  • リベラル21  中印国境は緊張している

    8月半ば、北京の友人が「中印国境では、我国とインドとの戦争の恐れがあるが、日ではどう見ているか」といってきた。日では小さいニュースだったが、中国ではメディアがかなり緊張を煽っているらしい。 ドクラム高地(中国名・洞朗)は中国領チベットとブータン西部が接する地域である。この地で国境問題が顕在化したのは、文化大革命が始まった1966年といわれる。この年中国解放軍はチョモラリ(海抜7314m)南方のチュンビ渓谷南方に進駐し、その東側すなわちブータンと接するドクラム高地を自国領とし、1990年代には中国はここに道路をつくった。2000年代に入ってからも軍や民間人が越境したので、ブータン政府が抗議を行ったことがある。 今回の中印緊張は、今年6月中旬に中国軍がまた道路建設を始めたのに端を発している。この6月から中印両国軍それぞれ300人の兵士が進駐して、ときどき小競り合いをやった。中国ではこれ

  • リベラル21  ある越境逮捕事件をめぐって

    旧暦大晦日、1月27日の深夜、私服の中国公安(警察)と国家安全部(諜報機関)の数十名が香港の高級ホテル四季酒店に押し入り、滞在中の「明天系」持株会社CEOの蕭建華を拘束し、複数のガードマンとともに中国へ連れ去った。蕭はカナダ国籍を持ち香港永住権もあったが、そんなことはおかまいなし。蕭は連行されるとき抵抗しなかったという(各紙2017・01・31)。 中国情報治安当局が越境して香港住民を逮捕したのは、昨年の銅鑼湾書店事件以来2度目である。香港の「一国二制度」は名ばかりになろうとしているが、香港人は今回の強制連行事件に抗議していない。それは蕭が中国・香港の政財界で暗躍する人物として知られていて、出版言論の自由とか人権などには関係がないと見たからであろう。 蕭建華は1971年生れの45歳。400億元(6600億円相当)の資産を持ち、香港・中国の金融界では「なぞの大鰐」「株式市場の梟雄」といわれ、

    リベラル21  ある越境逮捕事件をめぐって
  • リベラル21 文化大革命とはなんだったか――歴史修正主義とたたかう側の論理

    では学問研究の成果を無視して都合のよい事象だけをとりあげ、侵略戦争などの都合の悪い過去を抹消しようとする歴史修正主義が勃興して久しい。だが歴史の「修正」は日だけの現象ではない。 私の知っているのは中国しかないが、中国現代史をめぐっては隠蔽と歪曲がはなはだしい。こう考えるのは、私がそこで長年教えた日語科学生たちの、自国の現代史に関する知識が貧しく間違いだらけだったからである。 もちろん中国にも真実の革命史、民衆の生活史を語らねばならぬと考えた人々がいて、貴重な証言や資料を収集し、中国共産党によって抹消された真実を復元しようとしている。 ここに紹介する楊継縄もその一人である。元新華社高級記者である彼は、このほど香港で、『天地翻覆――中国文化大革命史』を出版した。前著の『墓碑』同様、中国国内で出版するのは困難だったからである。『墓碑』は1960年前後に中国土において3600万の餓死者が

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  • リベラル21 思想弾圧をする側の論理

    中国当局は2015年7月から9月の2カ月弱の間に、全国で少なくとも人権擁護の弁護士・活動家を300人拘束した。いまでも行方不明のものは20人を超えている。 国連人権担当官は12月6日、この2週間行方不明になっている弁護士江天勇の消息を明らかにするよう中国政府に求めた。 江天勇はかつて陳光誠・高智晟などの「危険人物」の代理人を務め、エイズ訴訟、レンガ工事件など多数の人権蹂躙事件にかかわってきた人物だ。 その陳光誠は山東省出身の著名な盲目の人権擁護活動家・法律家である。当局のあまりにひどい迫害を逃れて子とともにアメリカに亡命した。 高智晟も中国の法輪功や地下キリスト教会に対する人権侵害事件にかかわった。「国家政権転覆扇動罪」で有罪判決を受け投獄され、獄中で歯が抜けてしまい流動しかえない。2014年8月の満期出獄後も陝西省の故郷の村で厳しい監視下におかれている(2016・06・25共同)。

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  • リベラル21  中印国境は緊張する

    今年になって中印国境の緊張を伝えるニュースが多くなった。いままでもほとんど毎年数件は双方が実効支配線をこえて侵入する事件があり、両国はそのつど部隊撤収交渉をしてきた。両国とも実効支配地域への侵入を「わが部隊は巡回活動中、実効支配線をきちんと守っている」と意図的な越境行為を否定している。 善意に理解すれば、両国の実効支配線についての認識は必ずしも一致していないことが悶着の原因である。ところが必ずしも善意では理解できない場合が多い。特に今年はそうだ。 1962年中印国境戦争は敗北したインドに深刻な教訓を与えた。いまやインドのチベット国境警備隊(ITBP)は、戦闘機などを持つ格的軍隊である。山岳民族やチベット難民のよく訓練された山岳兵、グルカ兵の部隊もある。カシミールのラダクの町レーや、ヒマラヤ南麓のタワンは軍事基地化されている。もちろんその補給路も複数あり、年々整備されてきた。ブータン・中国

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  • リベラル21   文革論争は中国社会に混乱をもたらすか――もたらさない

    いままで中国文化大革命について、私は自分の思い出にまつわるあれこれを書いてきた。だがなお気にかかるのは、現在中国の老百姓(庶民)や知識人らが文革をどう考えているかということである。これについて中共中央の発言が文革をめぐる状況を明確に語っているので、まずそれを紹介したい。 5月16日は、50年前文革開始の大号令つまり中国共産党中央政治局拡大会議のいわゆる「五一六通知」がでた「記念日」である。中国では国家的事件の記念日には必ず公式行事が行われている。たとえば対日関係では「九一八(柳条湖事件)」「七七(盧溝橋事件)」などである。 だがこの5月16日には行事も声明もなかった。欧米や日のメディアが検証記事や特集を相次いで掲載するなか、人民日報など中国のメディアは完全にこれを無視しているかのようにみえた。ところがその前夜に、突然ネット上に左右両派が現れて激しくやりあった。これを見た人は勝負はつかない

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  • リベラル21 文化大革命の思い出

    50年前、中国文化大革命が始まると、在日華僑系の会社に勤めていた昔の友人は、文革反対を口にしたばかりにたちまち華僑青年の集団に囲まれ、ぶん殴られて最後は両腕をつかまれて階段から突き落とされた。また若い友人の中には熱狂的な文革支持者となり、その実態を見るために中国に渡り、「資主義の道を歩む実権派」を糾弾するデモ行進に加わり、帰国して「感動しました」と語るものがいた。 ここではそうした「はなばなしいこと」ではなく、自分の地理教員としての体験を書きたい。 1960年代の半ば中国からのニュースを見て、私の友人らは「中国共産党に何かあるぞ」といった。これが文革であり10年の騒乱の始まりだった。中国通の多くは文革を「魂を揺さぶる革命」と評価し、新島淳良氏などは、「毛沢東は延安で万巻の書を読み、前人のなしえなかったマルクス主義の普遍化を成し遂げた」などと持ち上げた。またある研究者は私に「国民党時代の

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  • リベラル21  日本にはジャーナリズムが存在するか

    さる3月3日、高市早苗総務相は放送法4条をたてに「放送局の電波停止の可能性もある」と発言した。「行政が何度要請してもまったく改善しない放送局に、なんの対応もしないとは約束できない。将来にわたり可能性がまったくないとは言えない」とか、テロの宣伝と見られれば停止対象だともいっている。 ニュース報道の公正性、ことのよしあしは政府が判断する、場合によってはテレビ局の存立基盤を奪うぞという、とんでもない発言である。発言対象は直接にはテレビ局だが、メディア全体に対する脅迫である。こんなものを放置していたら日は報道統制国家になる。 ところがこれに対し、ほとんどのテレビ局は反発しなかった。数日後、ようやく青木理氏らテレビキャスターらが呼びかけ人となって高市発言を非難する記者会見をした。また池上彰氏などは「欧米なら内閣がつぶれる」といった趣旨の発言をした。 ほかにもこのような動きはあるだろうが、今に至るも

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  • リベラル21  文化大革命の実態を語るひと

    今年は中国文化大革命が始まって50年にあたる。 現在中国では文革研究は低調だ。新事実の発見があっても公表は控える。文革だけではなく「大躍進」の研究についても有形無形の圧力がかかる。さいきん習近平中国共産党総書記が毛沢東の「大躍進」は正しかったといったそうだから、同じ毛沢東主導の文革では研究はますますやりにくくなっている。 ところが、昨年12月の中山大学(広州市)の「文化大革命の反省」講座で、具体例をあげて文革の実態をリアルに語った教授がいて、関係者や学生の注目を浴びた。この教授は于幼軍という。 Wikipedia・「百度」などによると、于幼軍は1953年広東省生れ。1985年に河南師範大学政治教育学部卒業。中学教師などを経て、86年広州市委宣伝部長に抜擢され、以後官僚として出世し、05年山西省の党委副書記、省長などを務めた。2007年10月の第17回党大会を目前に、文化部副部長(文部科学

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  • リベラル21 この40年間に中国にはどんな思想が現れたか

    馬立誠は人民日報の論説委員だった。2002年に「対日関係の新思考-中日民間の憂い」と題する論文を発表して、中国におけるナショナリズムや狭隘な反日感情に疑問を投げかけた(「戦略と管理」02・06)。昨年2月にも「日中の和解が最も重要なテーマだ」と強調した。だから中国では売国奴とののしる人もいるが、私から見ると冷静な分析家である。 昨夏、彼の『最近四十年中国社会思潮』(東方出版社2015)が手に入ったので読んでみた。 もちろん中国の現代思潮をたどることなど私の手に余るが、彼はこの40年間に現れた思想として、鄧小平思想・旧左派・新左派・民主社会主義・自由主義・民族主義・「民粋主義」・新儒家など八つの思想潮流をあげている。必ずしもこの順序で現れたのではないし、主義にもとづく党派があるわけではない。 毛沢東時代は右の思想は悪党、左は善人だった。いま右派は憲政を支持し社会保障と人権を求める人々、左は毛

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  • リベラル21  中国少数民族を周縁視する時代は終わった

    近刊書に『周縁を生きる少数民族――現代中国の国民統合をめぐるポリティクス』(勉誠出版)という好書があります。一読して文化人類学研究者たちのいきいきとした若い情熱を感じることができました。 残念ながら論文集なので、一つ一つが孤立していてつながりがありません。それで内容の紹介もそれぞれになります。 書は三部に分かれていて、第一部は「チベット族のナショナリズム・宗教実践・歴史認識」とされています。1980年代後半からラサを中心に起きた、公然たるデモによる中国当局への抗議運動が、2008年(北京オリンピックの年)の一斉蜂起で頂点に達し、その後焼身自殺による抗議が突出しました。ところがチベット社会にはこれと並行して、目立たたない日常生活でのしずかな抵抗運動があります。 別所裕介論文は、チベット人のデモや焼身自殺といった激しい抗議から、菜・不殺生・環境保護など柔らかな抵抗にいたる、庶民のナショナリ

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  • リベラル21   いま、チベットの寺はどうなっているか

    中国新疆ウイグル自治区ではウイグルと公安の衝突が毎週あって死者が続出しているが、チベット人地域からは最近焼身自殺のニュースがない。どうなっているんだという質問を受けた。このところ確かに焼身自殺者は少なくなっている。私の考えでは、自分の宗教的熱情だけでは抗議自殺ができなくなったことがある。自殺者の親戚知人が逮捕、投獄されるようになったからだ。もっと重要なのは、ダライ・ラマの自制を求める発言がようやくチベット人地域に浸透したことである。 ところが、最近また、ダライ・ラマのチベット帰還を求める自殺者が現れた。これは、寺院僧侶への圧迫がより強化されたことを思わせる。 そこでやや古いが、ある僧侶の訴えからチベット仏教寺院の現状を探りたい。語り手はジグメ(49歳)、ときは2007年、場所は中国甘粛省甘南蔵族自治州夏河県のラブラン大僧院、記録者は北京在住のチベット人作家ツェリン・オーセルである(http

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  • リベラル21 垣間見たネパール

    2014年12月10日からネパールへの小旅行を試みた。死ぬまでに一度ネパール・ヒマラヤを見たいという思いで、ポカラからジープでアンナプルナ山群のカリガンダキ(川)をさかのぼり、ヒンズー教と仏教の聖地ムクチナート(標高3798m)をめざした。降雪のため途中で引返したが、その後この地域は大雪となり遭難者が出た。帰路マルファで河口慧海が下宿していた家に行き、100年前チベット入りを果たした彼の冒険行に敬意を表した。 ダウラギリ山群・アンナプルナ山群を見た。マナスル・ヒマルチュリも遠望した。この感激はひとくちでは語れない。若いうちに見ていればもっとましな人間になれたかもしれない。 ここでは中国のネパール進出と政治の印象の一端だけを記す。 首都カトマンドゥ、第二の町ポカラでは、ほこりと排気ガスの中にデーヴァナーガリー文字に混じって漢字の看板が目立った。「川菜(四川料理)」「唐人府」「満堂紅」といっ

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  • リベラル21   ダライ・ラマが転生しないとしたら

    チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世(79歳)が、ドイツ紙「ウェルト」との会見で、自身の後継問題を踏まえて、「チベット仏教の転生制度を廃止すべきだ」と述べたことが、波紋を広げている。中国外務省の華春瑩報道官は10日の記者会見で、「発言はチベット仏教の正常な秩序を大きく損なうもので、中央政府と信者は絶対に認めない」と反発し、転生制度の維持を求めた。 このニュースを伝えた「産経」矢板明夫記者はつぎのように記している(2014.9.10)。 「中国政府は、無神論を信奉する共産党の一党独裁ながら、チベットでの転生制度を容認。高位の活仏だったパンチェン・ラマ10世が1989年に死去した後は、ダライ・ラマ側と競う形で後継の霊童探しが展開され、中国政府『公認』の候補が『パンチェン・ラマ11世』となる一方、ダライ・ラマ側が選んだ別の少年は行方不明となった」 チベット仏教の頂点に立つダライ・ラマが「

  • リベラル21   事件は作られる――テロと焼身自殺が終わらないもう一つの理由

    現代中国では、地方政府に対する抗議(暴動)が毎年20万件くらいあるとみられている。これはいまに始まったことではない。 清国の最盛期、康熙・雍正・乾隆の時代にも多くの民衆叛乱や盗賊集団があった。もちろん放ってはおかない。だがいくら討伐しても叛乱や盗賊は減ることがなかった。減らないわけを清代史家の増井経夫先生はこう書いている。 「討伐軍の諸将が軍費を着服して軍隊を動かさず、官兵は給与の不渡りから略奪を働き、民衆は叛乱軍よりも官兵を恐れ、将軍は叛乱の鎮圧より叛乱の継続の方が自分の仕事が続くものとした。中には反乱軍を避けてその後尾だけを追撃し、(乾隆帝の寵臣)和伸の一族で、河南巡撫の景安などは、尾追(ママ)ばかりで迎撃しないので迎送伯と呼ばれた。そのうえ、降服者を皆殺しにして賊を殲滅したと報告して軍功とした……(『大清帝国』第三章)」 ここで重要なのは「将軍は叛乱の鎮圧より叛乱の継続の方が自分の仕

    リベラル21   事件は作られる――テロと焼身自殺が終わらないもう一つの理由
    nagaichi
    nagaichi 2014/09/16
    以下、重箱の隅。「尾追(ママ)」としてるけど、『清史稿』巻345列伝132の景安伝に「景安尾追至南召」とあり、ほかにも「尾追」の用例はいくつもあって、実は誤記じゃないんだな。
  • リベラル21  中国官僚のビヘイビアについて

    習近平政権下の中国では、インターネットに対する当局の取締はきわめて厳しい。ニュースのコメントでもプロチャイナでなければ、批判や皮肉は作戦部隊がいてすぐに消してしまう。そして政府お雇い「五毛党」による政府称賛のコメントが続々載る。地方では政府批判はもちろん、警察を批判したくらいでも発信元がわかればたちまち逮捕だ。これで中学生がやられたこともある。 ところがときどきパソコンやアイフォーンや携帯電話に、人に快哉を叫ばせるような、しびれさせるような「ブラック・ユーモア(「冷幽黙」とか「黒色幽黙」という)」がメールや「微信(facebookに似ている)」に乗ってやってくることがある。読んで面白ければ、それっとばかりに友人知人に送る。これが当局による抹消部隊の油断の隙間に生残って次々伝染してゆく。そして私ごときでも読むことができる。 ある人はこういった。「人々は生活に追われ考える力がない。官僚・知識人

    リベラル21  中国官僚のビヘイビアについて
    nagaichi
    nagaichi 2014/08/22
    「円明園」ジョークは笑ったけど、マジメな話としては、どっかのレベルで必ず気づくでしょ。中国は近代史教育を徹底してやっている。時間が足りなくなって流されてしまいがちな日本の歴史教育の比ではない。
  • リベラル21   チベット高原の巨星――プンツォク・ワンギェル逝く

    チベット人は「天に日月あり、地にダライ・ラマとパンチェン・ラマあり」という。では日月に次いでチベット高原に明るく輝く星は誰か。 それはガランランパ・プンツォク・ワンギェルである。漢語表記は「平措汪傑」、略称はプンワン。彼はこの3月30日早朝7時に北京で亡くなった。92歳だった。 この日、親しい新聞記者が北京から電話で「あなたが伝記を書いたプンワンという人が亡くなりましたよ」と知らせてくれたとき、私は全身の力が抜けた。しばらくして涙がわいてきた。悲しみはその過ぎこしかたがあまりに波乱に満ち、悲劇的であったからである(拙著『もう一つのチベット現代史』明石書店2006)。 私がプンワンとはじめて会ったとき、すでに80歳前後であったが、長身で、勇猛果敢で知られたカンパ(チベット東南高原の人)そのものだった。話し方は闊達、政治家というよりは学究、とりわけヘーゲルとエンゲルスに通じた人という印象を受け

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  • リベラル21 中国政府は新疆問題を解決できるか

    はじめに 漢とウイグル両民族の間には激しい対立感情がある。3月1日の昆明無差別テロは権力を持たない普通の漢人を対象にした。中国当局はウイグル人の犯行だとしたから、漢人のウイグル人憎しの感情は激しくなった。 ここに漢人ではあるが、少数民族寄りの作家王力雄注1)のウイグル論を二つの論考から抜粋して紹介する。 注1)王力雄(1953~)は1984年黄河源流からの筏下りを敢行。『天葬』など、チベット人社会を対象にした記録文学で名をなし、『我的西域,你的東土』(邦訳『私の西域、君の東トルキスタン』集広舎2011年)で新疆ウイグル自治区の現状を語った。チベット人作家ツェリン・オーセルの夫である。 「陽光時務週刊」第54期から <ウイグル人にとっての1949年革命> 1949年革命のとき、新疆に進駐したのは、解放軍第一野戦軍第一兵団すなわち王震注2)部隊である。漢人は王震をこの上なく敬うが、ウイグル人の

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