タグ

Lifeに関するnagayamaのブックマーク (213)

  • ソフトウェアエンジニアとしての最初の10年 - cockscomblog?

    働き始めてから丸10年経った。 2012年、僕は北海道に住む大学院生で、趣味としてプログラミングを楽しんでいた。Appleのファンだから、macOSやiOSのアプリケーションを開発して、ちょっとでもAppleに近づいたような気持ちになっていた。その夏1ヶ月のインターンシップに参加した。インターンシップで、それまで趣味だったプログラミングが突然違った価値を持ち始めて、これを仕事にしないといけないと思うようになった。それで、両親や先生に謝って、大学院を退学して、インターン先の会社に正社員として入社した。それが2012年11月のことで、それから10年間、株式会社はてなで働いている。 この業界では、10年同じ会社で働いているというと、ちょっと珍しい部類なのかなと思う。とはいえ社内ではそれほど珍しくもなくて、あまり気にならない。いろいろなプロダクトを夢中になって開発していたら、いつの間にか10年経っ

    ソフトウェアエンジニアとしての最初の10年 - cockscomblog?
  • GMO ペパボを退職した, 送別会を渋谷のなるとキッチンで開催してもらった - HsbtDiary(2022-10-31)

    GMO ペパボを退職した 10年と5ヶ月勤務した GMO ペパボの最終出社日(=退職日)でした。GMO ペパボでは執行役員としてエンジニアリングのトップマネジメントを担当していました。 せっかくなので、10年前にエンジニアとして入社してプロダクト開発を始めた時から今までにやってきたことを振り返ります。 ふつうの開発を根付かせた 「ふつう」とは何かという話はありますが、おおよそ同じくらいの規模の会社が当たり前のように行なっているプラクティスや技術を当たり前のように使えるようになる、というくらいの意味合いです。10年前の2012年にGMOペパボ(当時はpaperboy&co)に入社した時は、production のサーバーにログインしてコードを変更して、動いたらそこから svn に commit をする、というバックアップなのか...?という開発が行われてました。 当時一緒に入社した @k

  • 北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科博士前期課程に入学しました - Kentaro Kuribayashi's blog

    タイトルの通り、長い名前の大学院(以下、略称のJAISTを用いる)に社会人学生として入学しました。といっても、実際に入学したのは今年(2020年)の4月なのでしばらく時間が経っているのですが、ブログに書いてなかったのを思い出して、いまこうして書いているわけです。 JAISTは、校は石川県の能美市にあるのですが、品川に東京サテライトがあり、わたくしはそこの所属ということになります。研究面では、篠田陽一先生に主研究の指導を仰ぐことになりました(といっても、まずは所定の単位を取得することが先決ではありますが)。 ただ、新型コロナウィルスのこともあり、授業もゼミもオンラインであるため、入学してからは一度もキャンパスに出向いておらず、誰ともお会いできていない状態です(追記: この記事を書いた翌日に、ゼミへの参加のために初めて品川の東京サテライトへ出向くことができました)。 なぜ社会人学生になったの

    北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科博士前期課程に入学しました - Kentaro Kuribayashi's blog
  • 株式会社はてなを退職 - Sexually Knowing

    2020年8月14日付けで退職する運びとなった。 入社が2012年なので勤続丸8年を迎え社内でも古株の方になってきつつある。Web業界にしてはわりと長くいたほうだと思う。 自分自身でもこんなに長く籍を置くとは思っていなかったので驚いている。 退職を決めた理由は主に2つ。 金沢移住 1つめは、現在住んでいる京都を離れて金沢で暮らしたいと考えたから。 数年前に観光で訪れた金沢を歩いてから一目惚れしてしまい、自分がここで生活する想像をするうちに単なる夢想から具体的に実現することを考えはじめた。 これを書いている時点で、株式会社はてなの事業拠点は東京と京都のみであり、在宅勤務は育児や介護、その他会社が認めるに足る理由があるケースのみ認められている。 平時は週数日程度スポットでの在宅勤務はマネージャーと合意した上では認められている。またコロナ禍においては在宅勤務推奨となっている。ただし、継続的にフル

    株式会社はてなを退職 - Sexually Knowing
  • 2019年ふりかえり - しゅみは人間の分析です

    同人誌を生産する生活 同人誌制作が生活の中心だった。同人活動を始め、それに振り回された一年といえる。はもともと絵を描く人だったが、ある日突然漫画も描くようになった。配偶者とはいえ、ひとの趣味なので始めは放置していた。だが、どうも雲行きが怪しい。スケジュールが破綻していたのだ。新刊が落ちるかもしれない、そんな状況で2019年を迎えた。年末年始の休暇をすべて費やし、私はスケジュール管理とアシスタントをすることになった。は1日に4ページの作画をこなし、私がベタとトーンを塗る。正月も休むことなく作業をし、締切前日には当然のように徹夜をした。 同人誌を作るのは文化祭の準備と似ている。あらゆる手段を使って完成させ、イベントで頒布しないといけない。を用意できたら対面販売の喜びが得られる。インターネットで得られるただの数字とは違って、目の前の人がを買ってくれるのだ。狭いスペースに何時間もいるの

    2019年ふりかえり - しゅみは人間の分析です
  • コンピュータ・サイエンスやりたくなって1年ちょっとコツコツやってる/やったことたち - でこてっくろぐ ねお

    私は経済学部出身でWeb系エンジニアをやっているわけだが、コンピュータ・サイエンスはずっと学びたいと思っていた。 そんな中、Turing Complete FMというpodcastに出会ってその気持ちが更に強くなり、ここ1年くらい、子育ての合間にコツコツコツコツとコンピュータ・サイエンス周りのことを学んでいた。このエントリでは、学んでいたこと、及び子育ての合間にどうやって時間を捻出しているのかをまとめた。 目次: やっている/やったこと コンピュータサイエンス系のPodcastを聞く コンパイラを書く(ペンディング中) OSの作り方を学ぶ RustでOSを書く(ペンディング中) Rustを学ぶ プログラミングコンテスト系のサービスをやってみる LeetCode Atcoder 計算理論の初歩を学ぶ 白と黒の扉を読む 大学の教科書で使われているような書籍で学ぶ システムのパフォーマンスについ

    コンピュータ・サイエンスやりたくなって1年ちょっとコツコツやってる/やったことたち - でこてっくろぐ ねお
    nagayama
    nagayama 2019/05/25
    参考になる
  • 父、帰国 - 怠惰を求めて勤勉に行き着く

    家族みんなで日に帰って来ました。3月末付で現職の米国ラボから離れ、誠に勝手ながらそのまま退職する道を選びました。 改めて経緯を整理すると、最大の理由は家族(特に長女)の環境に対する拒絶感が想像より大きく、親として完全にサポートしてやることができませんでした。様々な不運が重なり、娘としては最悪の米国体験となってしまいました。これはたったひとつのサンプルであり、これをもって米国の何たるかを語るつもりはサラサラありません。他の皆さんの米国進出の妨げとならないことを願いつつ、こういうこともあるのだという体験のシェアはしておこうかなと思います。 我々はBurlingameというサンフランシスコ半島の中ほどにある美しい街に住みました。ここはこの辺りではかなり珍しく、白人比率が高くアジア人が少ない特異な街でした。娘のクラスも、アジア系は娘ともうひとりだけ1でした。人種としてマイノリティというのみならず

    父、帰国 - 怠惰を求めて勤勉に行き着く
  • 息子とのふたり旅が楽しすぎた

    中2の息子と父子ふたり旅。 秋田、岩手、東京、浜松を経由して今名古屋に向かってる。 名古屋で少し遊んだら帰り道となる。 当に楽しすぎた。 幸せすぎた。こうやって一緒に喜んで旅に出てくれる息子で良かった。 ありがとう、息子。 間違いなく一生の思い出になった。 秋田では旧友に会い、稲庭うどんをべた。ババヘラアイスというのも初めてべた。美味しかった。 盛岡ではわんこそばに挑戦した。 2人とも100杯には届かなかったけど楽しかった。盛岡八幡宮も美しかった。 平泉ではレンタサイクルで中尊寺、金色堂を見てひたすら感動した。 2人で汗かきながら坂道を登ってたどり着いた堂、なんか妙に美味しく感じた瓶のコーラ。 東京では新宿でリアル潜入ゲームをやったりVRゾーンでマリオカートやったりゾーマをやっつけたりした。夜にはちょっといいお寿司をべた。初めてカウンターでお寿司をべて息子はすごく嬉しそうだった

    息子とのふたり旅が楽しすぎた
  • 島のこと

    メタデータをダウンロード RIS形式 (EndNote、Reference Manager、ProCite、RefWorksとの互換性あり)

    nagayama
    nagayama 2018/04/19
    よい
  • (声)妻が願った最期の「七日間」:朝日新聞デジタル

    パート 宮英司(神奈川県 71) 1月中旬、容子が他界しました。入院ベッドの枕元のノートに「七日間」と題した詩を残して。 《神様お願い この病室から抜け出して 七日間の元気な時間をください 一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子(ぎょうざ)や肉味噌(みそ) カレ…

    (声)妻が願った最期の「七日間」:朝日新聞デジタル
  • Joekyo.com

    人生に繁栄をもたらすブログ

    Joekyo.com
  • Love Publishing Technology Blog Posts with HackerNoon | HackerNoon

    Join a global network of 45,000+ published devs, builders, founders, makers, VCs, hodlrs, and hackers. Start submitting your tech stories and tutorials to get published FREE on HackerNoon — no pop-ups, no paywalls.

    Love Publishing Technology Blog Posts with HackerNoon | HackerNoon
  • がんと闘病の小林麻央さん、BBCに寄稿 「色どり豊かな人生」 - BBCニュース

    では一般的に、がんについて表立って話をするのは珍しい。著名人の場合、回復した、もしくは亡くなった時に初めて、その人ががんだったと知ることの方が多い。しかし34歳のアナウンサー、小林麻央さんは病気を公表し、既成概念を破って闘病中の経験や思いをブログでつづり始めた。小林さんのオフィシャルブログは現在、日で最も人気のブログと言われ、多くの支持者を集めている。病気によって生きることへの考え方が変わったという小林さんが、BBCに思いを寄稿した。

    がんと闘病の小林麻央さん、BBCに寄稿 「色どり豊かな人生」 - BBCニュース
    nagayama
    nagayama 2017/06/23
    “病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。”
  • 私が松江にUターンした理由

    おことわりもともと[松江移住ITエンジニア Advent Calendar 2016](http://www.adventar.org/calendars/2018)の記事をQiitaで公開していましたが、「プログラミングとは関係ない」という理由で公開停止となりました。まあ、執筆当時知らなかったとは言え、基準は明確ですし、そのことに不満はありません。しかし、せっかく書いた文章が公開されなくなるのはもったいないので、こんどはMediumに書いてみることにしました。 今度はどうかな? はじめにこれは[松江移住ITエンジニア Advent Calendar 2016](http://www.adventar.org/calendars/2018)の25日目です。 私が松江に引っ越してからおおよそ20年になります。松江移住ITエンジニアの中でも古参と言っても良いでしょう。Ruby関連となれば確実に

  • 最期に見る夢をいくらで買いますか? - ベンチャー役員三界に家なし

    ごきげんよう。 当はビッグデータとビジネスについて書こうと思っていたのだけれど、高野さんのお子さんを初めて保育園に預けるエントリを見て、どっちでも良くなってしまった。 (娘の保育園の入園式だった - 言いたいことがなにもない http://mtakano.hatenablog.com/entry/2015/04/01/235117) この瞬間の切ない感じ。当に貴重だし、決して忘れることのない当に価値がある瞬間だと思う。 最近、各方面でマンションの大規模修繕についてちょっとした話題になるということがあった。 その議論の過程で、住民の合意が取れず大規模修繕も建て替えも不可能になってしまったマンション内でのやりとりを公開されている人がいた。 (大規模修繕も立替えも出来ないまま沈殿してゆく中古マンションの現場より - 市況かぶ全力2階建 http://kabumatome.doorblog.

    最期に見る夢をいくらで買いますか? - ベンチャー役員三界に家なし
  • 夫 Powered by LINE

    なかなかターゲットユーザではないことを思い知らされ続け2年近くとなり、ようやく作業に取り掛かることが出来ました。エクスポートについての言及もないヘルプページに意気消沈するところから始まり、Atomがページングさせてくれない仕様に泣いて全ページをクロールして補完し、移行先であるMediumに特定の日付を指定した記事をべさせるためだけに、Wordpressを装うXMLを組み立てることとなりました。芸能人ブログの引っ越しのご相談お待ちしております。 というわけで、しばらくはMediumのPublicationでやってみようと思います。ここまでお付き合い頂いた根気強い閲覧者の皆さんに感謝しております。https://medium.com/namika

    夫 Powered by LINE
  • 幼い我が子を亡くすということ - 今日の興味

    2歳になったばかりの娘が先日急逝しました。 いつも通りに一緒に夕飯をべ、いつも通りにお風呂に入れ、いつも通りに「バイバイ」とおやすみのあいさつ(娘は言葉を覚えるのがやや遅く、「いってきます」も「いってらっしゃい」も「さよなら」も「おやすみ」も、顔が見えなくなるときのあいさつは全て「バイバイ」でした)をして、そしていつも通りに次の日の朝一緒に朝べるはずだったのに、二度と目覚めることはありませんでした。 葬儀を終えるまでは喪ったことそのものが悲しくつらく、半月経った今では更に寂しさが加わり、日時生活のちょっとしたことに娘の面影を見つけては悲嘆する毎日です。 写真を残せなかった後悔 赤ん坊の時は何でもないような時でもバシャバシャと写真を撮っていましたが、歩けるようになってしばらくすると出かけた時やハレの日以外はあまり撮らなかったのを激しく後悔しています。 また1歳半くらいになるとカメラを

    幼い我が子を亡くすということ - 今日の興味
  • 脳動脈瘤の治療をした

    私は26歳男性である. 1年前,数日間頭痛が続くことがあり,病院に行った.もともと偏頭痛持ちで小学生くらいのころから定期的に頭が痛くなる体質だったが,そうした偏頭痛は大体半日くらいで治るので心配になったのだった. 医者は恐らく緊張型頭痛だと考えられるが,念の為頭部MRを撮るかと言ってその日のうちにMRを取ることになった.MRはCTと違い放射線ではなく磁気で人体内部を走査するもので,1回に40分ほど,1万円くらいかかった. 結果が出るのには1週間程度かかると言われ,その日は家に帰った.私は緊張型頭痛だったのかと安心し,それから数日して頭痛が収まったので,MRの結果をうっかり聞くのを忘れたままそれから1年が経った. ある日,病院から手紙が来た.手紙には頭部MRの検査結果でお話したいことがあるという旨が書かれていた.頭痛はすっかり良くなっていたが,私は心配になり,1年ぶりに病院へ足を運んだ. そ

    脳動脈瘤の治療をした
  • 私のロールモデル: エンジニア立ち居振舞い番外編 - ローファイ日記

    お題「エンジニア立ち居振舞い」 pepabo Advent Calendar 2016 24日目の記事です。 割と飲みの席とか、某ポエムサービスでは語ってはいるんですが、そういえばブログで書いたことがないような気がしたので父の話をします。 実は今年の福岡での新卒研修で同じような話を若者にしていて、でもまあ、あまりに個人の話なのでとスライドも公開していなかったのですが、せっかくなので内容を加えて書き下します。 僕の父は欄間職人をやっていて、6X歳を超えるいまも自営で東三河の片隅に店を持ってやっていってるわけだけど、僕は子どもの頃からそういう背中を見て育ってきたからか、今の自分を振り返ってみると随分自分の仕事ぶりが影響を受けているなと思ったりする。 今日は、6X歳のいまも職人の父を見ていて思ったこと、あるいは直接言われたことなどいくつかをしたためてみる。 生涯、勉強すること これは僕の父の仕事

    私のロールモデル: エンジニア立ち居振舞い番外編 - ローファイ日記
    nagayama
    nagayama 2016/12/24
    かっこいい
  • ダークソウルおじいちゃんは1472回死んでいた!〜テレビで話題の80歳が実践する、濃厚ゲームライフ〜

    今回で3回目の開催となる、デジタルからアナログまで古今東西のゲームが集まる日最大級の“ユーザー参加型”ゲームイベント“闘会議”。2017年2月11日(土)、12日(日)に開催される“闘会議2017”は、「ゲームと一緒に、生きてきた。」というテーマを掲げている。 電ファミ編集部では、この「ゲームと一緒に、生きてきた。」というテーマを体現し、ゲームを通して人生を謳歌している人々に、インタビューを行うことにした。 今回登場するのは、大阪府堺市で理髪店を営んでいる加三清(かさん・きよし)さんだ。加三さんは80歳という高齢にもかかわらずゲーム趣味としており、高難易度のために“死にゲー”などとも呼ばれるアクションRPG『ダークソウルⅡ』を、とりわけ熱心にやり込んでいる。その様子が関西のTV番組で紹介されると、インターネット上で“ダークソウルおじいちゃん”として一躍話題となり、日国内はもとより海外

    ダークソウルおじいちゃんは1472回死んでいた!〜テレビで話題の80歳が実践する、濃厚ゲームライフ〜
    nagayama
    nagayama 2016/11/11
    なんかちょっと感動してしまった